神田伯山独演会
三鷹市公会堂で「神田伯山独演会」を観ました。800人弱のキャパシティのホールでの講談である。伯山先生は、初心者からマニアまで幅広く楽しめるような構成と演出で、さすが“講談の伝道師”として講談界を活性化する努力を怠らない姿勢に頭が下がるばかりだ。
中入り前には、三席。落語にもなっている滑稽味満載の読み物を並べ、観客の心を鷲づかみにする。中入り後は、客電を落とし、雰囲気たっぷりに、赤穂義士伝をしっかりと読む。あれだけ笑っていた客席が、シーンと静まり返り、すすり泣きすら聞こえてくる。伯山先生をきっかけに講談の魅力にはまっていく人たちが続出する現象は、このようにちゃんとした理由があるのだ。
「三方一両損」。江戸っ子気質を柳亭小痴楽師匠に喩えているのが面白い。白壁町の金太郎vs三河町の吉五郎の江戸っ子対決をお互いの大家も含めて滑稽に描くのが愉しい。一応、大岡越前守の裁きということになっているが、伯山先生も「そんなことがあったとか、なかったとか。そういうときは、大概はなかったんですが」と笑いを取って締めるのもご愛嬌だ。
「荒大名の茶の湯」。天下を取った徳川家康がどのようにして諸大名を手中に収めていったのか。まあ、これも実話ではないだろうが、事程左様に家康は人心掌握術に長けていたということだろう。加藤清正、福島正則、池田輝政、浅野幸長、加藤嘉明、黒田長政、細川忠興。武術ではお互いに引けを取らない大名たちだが、茶道ということになるとてんで分からないというところを漫画チックに描く。リーダー格の細川の動きを順に真似ていって、“詰め”の福島で落とす。脳内に劇画のような武将たちの姿が浮かんだ。
「阿武松緑之助」。長吉が尾車という四股名を貰ったが、並外れた大飯食らいで武隈親方から破門されて、一旦は川に身投げを考えるが…。餞別代わりに貰った二分で“おまんまの食い納め”をしようとするのが可笑しいが、それを見た宿屋の橘屋主人が錣山親方を紹介して、もう一度力士としてやり直すという美談になっているのも好きだ。最後には武隈との遺恨相撲になるという、これまた落語にするにはうってつけの滑稽&ちょっぴり人情モノになっているのが素敵だ。
中入り後の「荒川十太夫」。五両三人扶持の低い身分の侍が物頭役と偽った、その仔細が泣かせる。武士の情け、というより矜持とでも言ったらいいのだろうか、堀部安兵衛に対する敬意の念でもある。
安兵衛切腹の際に咄嗟に出た“嘘”。6年経った今も忌日、忌日にその嘘を貫き通すというのも、武士としての筋が通っている。貧乏暮らしをしながらも、楊枝削り等の内職をしながら拵えた金で人足を雇い、物頭の身なりを整えて墓参をするという…。久松の殿様も、この十太夫の心意気に感じ入って、500石取りの本当の物頭役に昇進させたのだろう。人の上に立つ者は、こういう人情がわかる人であってほしい。それは現代にも言えることではないかと思った。