【アナザーストーリーズ】戦後最大のヒーロー・力道山 知られざる真実(8)
NHK総合の録画で「アナザーストーリーズ 戦後最大のヒーロー・力道山 知られざる真実」を観ました。
きのうのつづき
力道山が1963年にソウルを訪れたときの貴重な記録映像が残っている。当時はまだ韓国と日本の間には国交はなく、その正常化に向けた交渉が大詰めを迎えていた。
力道山は韓国政府に招かれ、連日要人たちと会っていた。公式スケジュールの合間を縫って、力道山がプライベートで会っていた人物が今回の番組取材で見つかった。
当時、シルムのチャンピオンだったキム・ハクウン。韓国のシルムと日本のプロレスでともに協力しようと力道山に声を掛けられという。
韓国人として誇らしいと思っていました。お会いした当時、力道山は世界チャンピオンだったから、人で埋め尽くされていましたよ。私たちの一挙手一投足を皆が見ていました。我々が観衆に挨拶したら、力道山も一緒に手を振ってくれました。故郷が恋しくなかったら、チャンピオンがわざわざ来ると思いますか?自分の故郷だと思って愛しているからですよ。いつかはここに来て、こうやって成功したことを知らせて、誰でもできるんだということを見せたくて来た。そう感じました。
滞在中、力道山は南北の軍事境界線近くまで足を向けていた。
張本勲が語る。
38度線まで行ったそうですよ。涙を流して、お兄さんの名前を叫んだそうです。故郷を持っている人は帰りたいじゃないですか。しかも親兄弟もいるんですから。
韓国を訪れた年の暮れ、力道山は赤坂のナイトクラブで諍いを起こし、ナイフで刺された。一時は回復に向かったが、一週間後に命を落とした。1963年12月15日。駆けつける人々の中に、張本の姿もあった。
前の日の6時頃、見舞いに行ったんです。ガスが出ると胃が元に戻るそうですよ。ガスが出て、臭いよと窓を開けたんです。30分くらい居て、これは大丈夫だと帰ったんです。で、夜中2時頃ですかね、電話が鳴って、私は当時赤坂に住んでいましたから、近いですから急いで行きました。が、死に水はとれませんでした。
享年三十九。その死は日本だけでなく、韓国と北朝鮮でも惜しまれた。
何人になろうと祖国はひとつしかありませんから。やっぱり誇りと自信は持っていますよ。何人になろうとね。悲しくも、二つにぶった切られたけれどもね。一つになってね、日本と韓国、半島を昔のように行ったり来たりできるといいなとしょっちゅうおっしゃっていました。
戦後日本に燦然と現れ、国民に勇気を与えたヒーロー、力道山。私たちは彼のことをどれほど知っていただろうか。こう、番組では結んでいる。
テレビとプロレス。タッグを組んだ木村政彦。そして、祖国北朝鮮への思い。力道山を多角的に取材した番組スタッフにも敬意を表したい。