【アナザーストーリーズ】立花隆vs.田中角栄(5)

NHK―BSプレミアムの録画で「アナザーストーリーズ 立花隆vs.田中角栄」を観ました。

きのうのつづき

締め切り間近の9月半ば。案の定、編集長の田中は政府側からアプローチを受け、ある人物と会うことになった。この裏話を直接取材したノンフィクション作家の塩田潮は語る。

田中健五さんを連れ出して、ホテルニューオータニの和室だそうですけど、部屋を取ってあって、田中健五さんを連れて行って、行ったらそこに当時の官房長官の二階堂進さんが秘書官を連れて来ていた。

二階堂官房長官は総理の腹心。大物議員が直に現れるとは。

この話は田中健五さんからも聞きましたし、二階堂進さんの秘書官からも聞いていて、田中さんの話と秘書官の話が一致しています。二階堂さん自身はその日にオランダのハーグで起こった日本赤軍の事件が発覚したために、そそくさと帰って行ったと。つまり何も話をしなかった。何のために今日こうやって会ったのか、よく分からないと。接触して何をしているのかも聞いてないんですね。では、何のために来たのか。それは田中角栄さんに対する一種の義理立て。この種の話はそれ以上のことをしてはいけないと。そのこと自体がまた後で記事にされたら、大きな問題になりますんで。

さらに首相秘書官だった小長も編集長に接触していた事実があった。

小長が言う。

私は当時の編集長、田中健五さんは存じ上げていましたから、何かアプローチをしたような記憶はありますね。どんな中身なんですか?という感じで。ちょっと鮮明には思い出せませんけど。何か問題があることを言われていたら、思い出すんですけど。言われてないと思うんですよ。心配するなという感じだったんじゃないでしょうか。(向こうにプレッシャーをかけるようなことは?)そういうことになっちゃいかんというのがベースにありますからね。報道の自由を官邸の権力で、というのは当時からそれなりに配慮していました。

しかし、児玉隆也のメモには、自民党議員などから編集部に圧力ともとれる働きかけがあったことが記されている。「やめてほしい」「取材その他の金は償う」。

ついに、原稿締め切りの9月20日が来た。児玉の「淋しき越山会の女王」はすでに完成。しかし、立花は…。

斎藤禎が振り返る。

実際、原稿を書き始めたのは22日、23日くらいじゃないですか。本当は20日締め切りですから。校了が26日の朝です。編集部も真っ青だけど、印刷所も真っ青です。立花さんはほとんど徹夜なんです。(疲れで)手が動かなくなっちゃいまして。鉛筆も持てないんですよ。

河野修二が振り返る。

手が痛くて書けない。口述筆記を頼むと。うーっと考えながら、喋るんですけど、声もちょっと聞きづらいようなところもありましたから。(もうヘロヘロ?)だったんでしょうね。

26日、校了の朝。斎藤は最後のギリギリまで立花を支えた。

朝明けてましたけど、続きは凸版行きましょうと言って、フラフラだったんですけど、二人でタクシーに乗って。「立花さん、今度は随分良い仕事しましたね。本が出たら世の中の人、驚きますよ」と言ったんですけど、「そんなことないよ。言っても仕方ないよな」なんて言っているうちに、立花さんはコトンと寝ちゃうんですよ。

最後の最後になって、まだリード部分の原稿が入っていなかった。

田中(健五)さんが「今の段階で立花君の原稿を読んだのは君しかしないから、君がリードを書きなさい」って言われて、ハイと言ったのはいいんですけど、30字か40字だと思って、わかりましたって言ったんだけど、リードが200字くらいあったんですよ。なんだこりゃと思って、書きますと言ったんだけど、立花さんが私に憑依したというか。

斎藤は一気に書き上げた。

かつてこれほど政治と金の結びつきが論議された時代があったろうか・・・

雑誌ジャーナリズム始まって以来の大調査に基づき、田中政権の金脈と人脈の解明に挑み、あわせて権力の持つからくりを抉ったのがこのレポートだ。

斎藤が言う。

どうしてあんな力が出たのか、僕が文春に何十年もいた中で、これが一番思い出深いですね。

つづく