「ノルウェイの森」~“世界のハルキ”はこうして生まれた~(6)

BSプレミアムの録画で「アナザーストーリーズ 『ノルウェイの森』~“世界のハルキ”はこうして生まれた~」を観ました。

きのうのつづき

「ノルウェイの森」のヒットにより、世界中で村上作品の翻訳がはじまった。欧米諸国をはじめ、現在では何と50言語に翻訳されている。「ノルウェイの森」はアジア、特に中国や韓国などで人気だ。

「ノルウェイの森」に魅了された一人、パリ在住のベトナム人映画監督、トラン・アン・ユン。その瑞々しい映像で国際的に高い評価を得ている監督だ。2010年、映画「ノルウェイの森」を発表。でも、原作を読んだのは1994年のこと。完成までに16年もの年月が必要だった。

番組の第三の視点は「トラン・アン・ユン」。当時、映像化には大きなハードルがあった。それでも、トラン監督が諦めなかった理由とは。村上作品が世界を魅了する秘密に番組は迫った。

この冬、「ノルウェイの森」の読書会が催された。東アジア村上春樹研究会。アジアから来た留学生を中心に村上作品について勉強会を10年ほど前から続けている。

世界でもいち早く「ノルウェイの森」の翻訳書が出版され人気となったのがアジア諸国だ。研究会の顧問を務める名古屋外国語大学の藤井省三教授が言う。

台湾、上海、北京、韓国でもそうだけど、「ノルウェイの森」が圧倒的に人気があって、台湾の場合だと80年代後半に民主化運動があった。台湾の民主化は成功したが、政治というのは複雑で大変な世界で、そこに若い学生が参加していくと、色々と傷つく。政治運動に傷ついた心を癒してくれたのが、村上春樹の「ノルウェイの森」だったのです。

時代や国の違いを超え、共感を呼ぶのは作品の根底に流れる喪失と再生というテーマだ。

1994年、フランス・パリ。出版されたばかりの「ノルウェイの森」を手に取った男がいる。フランス語版のタイトルは「不可能のバラード」。この本の虜になったのが、トラン・アン・ユン。映画監督だ。

トランが語る。

村上は私たちの心の奥底に触れる普遍的なことを書いていました。作品を読みながら、是非映画にしたいと思っていました。

ベトナム人映画監督のトランは現在、パリを拠点に活動している。1993年、31歳のとき、「青いパパイヤの香り」でデビュー。カンヌ国際映画祭でカメラドールを受賞した。50年代の平穏なベトナムを舞台に一人の少女の成長を瑞々しく描き出した。そのリディカルな映像と仄かなエロティシズムは批評家たちから絶賛された。

トランは12歳のときに祖国を失っている。ベトナム戦争の戦禍を逃れ、家族とともにフランスへやって来た。その後、フランスで育ち、映画学校で学んだ。一見、何のつながりもない60年代の日本を舞台にした「ノルウェイの森」にトランが心動かされたのはなぜか。

あの本を読んで本当に感動しました。「ノルウェイの森」には沢山の悲劇が詰まっています。例えば、突然何かを失ってしまうようなことです。失うことでメランコリーが生じ、悲しみとなります。存在しなくなったものに対する感傷は私たちにとって大きな意味を持ちます。そこで日本に行くたびに映画化できないか、訊いて回ったのです。

しかし、当時「ノルウェイの森」の映画化には大きな壁があった。映像化の申し込みは沢山あったが、村上は一切許可を出さなかったのだ。その後、トランは「シクロ」「夏至」と2本の映画を作りながら、「ノルウェイの森」の映画化を訴えた。作品を読んでから9年。事態が動き始めた。

つづく