「ノルウェイの森」~“世界のハルキ”はこうして生まれた~(1)

BSプレミアムの録画で「アナザーストーリーズ 『ノルウェイの森』~“世界のハルキ”はこうして生まれた~」を観ました。

世界が注目する作家、村上春樹。新作を出すたびに、ベストセラー。待ち切れないファンが書店に行列を作る。そんな村上の名を世界に知らしめた作品が、「ノルウェイの森」だ。1987年出版の著者初の恋愛小説。キャッチコピーは、「100パーセントの恋愛小説!!」。1960年代末の若者たちの愛と性、そして死が描かれた。

舞台は学生運動に揺れるキャンパス。母校の早稲田大学がモデルだ。当時の村上を知るクラスメイトは「青春の混沌の時代」と語る。小説は瞬く間に部数を伸ばし、文学作品としては異例の200万部を超えるベストセラーに。おしゃれな装丁が評判となり、本を持ち歩く若者が街中に溢れた。

この大ヒットをきっかけに、各国で翻訳書が出版され、ブームは世界に広まった。そして、映画にも。撮ったのはベトナム出身の映画監督、トラン・アン。ユン。国際的に知られる気鋭の監督の心を捉えたものとは。

「『ノルウェイの森』は私たちの心の奥底に隠していたものを呼び起こします。閉じていた扉からあなた自身の暗い部分を引き出すようなそんな小説なんです」

大ベストセラー「ノルウェイの森」、その誕生に秘密と魅力に迫る番組だった。

「やれやれ」、この言葉は村上作品の主人公の口癖だ。作家・村上春樹。デビュー以来、多くのベストセラーを生み出してきた。独特の喪失感。非日常の世界。ユニークな比喩に彩られた村上ワールドは熱烈なファンを持つ。そんな村上が初めて書いた恋愛小説が「ノルウェイの森」。1987年9月14日に、書店に並んだ。

こんな印象的なシーンがある。

いつも一人でいる主人公にクラスメイトの緑が問いかける。

「孤独が好きなの?」と彼女は頬杖をついて言った。「孤独が好きな人間なんていないさ。無理に友だちを作らないだけだよ。そんなことしたって、がっかりするだけだもの」。

番組では第一の視点を元担当編集者・斎藤陽子に定め、「『ノルウェイの森』誕生の舞台裏」に迫った。実は彼女の提案が「ノルウェイの森」誕生につながったのだという。

講談社の文芸担当編集者だった斎藤陽子は、村上春樹をデビュー当時から30年以上担当してきた。二人が出会ったのは1979年。斎藤は27歳。文芸部に配属されたばかりの若手編集者だった。

一方の村上は30歳。ジャズ喫茶を経営しながら書いた初めての小説「風の歌を聴け」が群像新人文学賞を受賞。その出版を斎藤が担当することになったのだ。その後、数々の作品が生まれるのを目の当たりすることになる。そんな斎藤にとっても、「ノルウェイの森」は特別だった。

斎藤が言う。

本を読んで泣くというのはあまりないですから。このときは、もう原稿の段階で泣いていました。

斎藤は担当として村上の店に通うようになった。歳が近いせいか、二人は次第に打ち解けた。野球好きの村上と一緒に近所の神宮球場に行ったこともあるという。

彼がヤクルトファンで、私はジャイアンツファンで、春樹さんの手作りのサンドイッチをもう用意してあって。別に良い席じゃなくて、外野とかそういう席なんですけど。パクパク食べながら。

1980年、2作目の長編小説「1973年のピンボール」を発表。若者たちの注目を集め始めていた。ポップで都会的な村上作品には、これまでにない新しさがあった。手応えを感じた村上は店を辞め、専属作家となって、精力的に仕事を始める。

つづく