不朽の名作「あしたのジョー」時代と生きたヒーローは今も生き続けている(3)

NHK―BSプレミアムの録画で「アナザーストーリー あしたのジョー・時代と生きたヒーロー」を観ました。

きのうのつづき

粗暴で手に負えない不良少年だった矢吹丈。その姿は戦後の残り火が微かにくすぶる1960年代の人々の思いを映し出すものだった。そんなジョーを打ち負かした力石徹が、この試合の直後、命を落としてしまう。力石という目標を失ったジョー。あの時代、ジョーに共感していた若者も壁に突き当たっていく。

この番組で第2の視点に据えたのは「何が力石徹を殺したのか」。

漫画の中の死であるにもかかわらず、葬儀までおこなわれ、多くの人が力石の追悼に駆けつけた。常にジョーの一歩先を歩み続けていた男はなぜ死ななければいけなかったのか。ジョーのライバル、力石の死の意味とは。

その男の死は突然、訪れた。それが描かれたのは、1970年1月30日。その2か月後の3月、力石の葬儀が執り行われた。企画したのは、劇作家の寺山修司。当時、前衛演劇グループ「天井桟敷」を立ち上げ、何かと話題を集めていた。寺山は弔辞までしたためた。

力石徹よ。君はあしたのジョーの“あした”であり、全ての読者の“あした”であった。君はスラムのゲリラだった矢吹丈の胸の内なる幻想、権力の露払い、仮想敵にすぎなかった男よ。お前を殺したのは誰だ、誰なのだ。

(「寺山修司劇場美術館」より)

実は力石にはモデルになった人物がいる。日本大学で大学を守るため全共闘と対峙した、あの山崎照朝だ。キックボクシングを始める前から、天才空手家として名を馳せていた。山崎の空手の師匠は極真会館の創始者、大山倍達。山崎は大山を介して、ある人物と会っていた。それが、原作者の梶原一騎だ。

山崎は梶原からこう告げられた。

会って、すぐだと思う。「山崎、ジョーにライバルができたのだ。力石っていうんだよ。モデルはお前だよ」。

やがて、山崎は空手だけではなく、キックボクシングでも頭角を現し、本場タイの選手を倒したことで、注目される存在となっていった。

梶原の息子、高森城は山崎のことを父からよく聞いていたという。

ものすごくストイックで、お酒も飲まず、ただ雰囲気はダークで。多分、そういったものをトータルで映そうとしたと思うんです。「回し蹴りがこういう角度から入ってくる。もう絶対に見えない。すごいんだよ」と。

実は梶原は作画を担当するちばには、山崎のことを知らせていなかった。高森城が山﨑に直接会ったのは最近のことだ。そのとき、父が山﨑に託した力石徹をちばがなぜここまでイメージできたのか驚いたという。

ああ、力石だ!って。会ったときに思いましたね。不思議なのは父は山崎照朝がモデルだとは、ちば先生に伝えていませんし、本当にお会いして、驚きました。

こうして生まれたジョーのライバル、力石徹。力石が所属したのは近代的な設備を整えた白木ジム。白木財閥の娘、葉子の支援を受けるエリートボクサーだった。

一方、ジョーは丹下段平の作った橋の下のジムでトレーニングしていた。力石は2階級下のジョーと闘うため、過激な減量で自らを追い込む。白木葉子に止められようとも、揺るがなかった。

橋の下のオンボロジムで旗をあげて、のし上がってきた男と戦うのですよ。これくらいのことが苦になるようでは負けたも同然です。

そして、あの運命の対決がはじまる。このとき、梶原とちばは議論を重ねていたという。力石をどうするのか。

高森城が語る。

ちば先生は殺したくなくて、梶原はやはり話の限界として殺すと。バーで「殺す」と話していたら、バーテンダーが警察に通報してしまった。人を殺すという恐ろしい話をしていると。

ちばは自ら描いている力石に、次第に死相を感じていたという。そして、ちばも力石を殺すしかないと思うようになっていく。

あの地獄の減量の後、血で血を洗うような死闘を描いたあげく、後日力石が再び元気になって再挑戦、再々挑戦するというのは、どう考えても不自然でした。

(「ちばてつやとジョーの闘いと青春の1954日」より)

つづく