【九代目春風亭柳枝襲名披露公演】多くの諸先輩、後輩、そして観客に支えられた柳枝誕生を大いに喜んだ
めぐろパーシモンホール大ホールで「九代目春風亭柳枝襲名披露公演」を観ました。(2022・04・14)
口上 一之輔・正朝・柳枝・談春・さだまさしの並び
春風亭一之輔「鮑のし」/春風亭正朝「ん廻し」
さだまさし お喋りと歌(Birthday、案山子、いのちの理由)
立川談春「山号寺号」/春風亭柳枝「子は鎹」
口上の司会は一之輔師匠。「パーシモンというのは英語で柿なんで」とホールの名前の由来を柳枝から教わった、「こいつは明学は日大より上だと思っている。こっちには理事長がいるんだぞ!」と笑いを取る。従兄弟に当たる正太郎が柳枝を襲名することについて、「普通は、断るものだ」と冗談で言って、「こいつは人間が素直だから、断らない。育ちがいい。純粋。真っ直ぐ」と褒め、「人の悪い私が言うからね」。
一之輔から「令和の名人」と紹介された、談春師匠。「流山は目黒にコンプレックスを持っているね」と。立川流がこの場にいるのは違和感があるかもしれないが、「この人(さだまさしを指さし)の引率で来ました」。「平気で何分でも喋る人ですから。思えば…と始まったら、そこから15分かかる。それを止める役です」。春風亭の勢いを評価し、一之輔の後に誰が続くかと思っていたら、この柳枝がいたと。彼なら(この大名跡を)託してもいい、と周囲が評価したのでしょう。
そして、「御存知」さだまさし。噺家でない人間が口上に並ぶことに遠慮があることを示すように、談春よりちょっと距離を置いて、高座の隅っこに座っているのがさださんらしい。きちんと皆と同じ黒紋付袴姿はさすが、元落研。プログラムに「お楽しみ さだまさし」とあって、色物じゃなかったんだと笑わす。でも、手品師みたいでしょ?いや、詐欺師か(笑)。国学院高校の落研の同級生Nさんが、教師になって、その教え子が柳枝。中学時代に、落語など知らなかった少年がNさんに「落語を一席、文化祭でやってくれ」と頼まれ、その道の虜になった。「でもいいですよね。柳枝を呼び捨てできる。オイ!柳枝!って」。
最後に師匠・正朝。「チケットの金額を見て、驚きました。8000円!?気が狂った?」。柳枝にそれだけの芸があるのか?さださんが歌ってくれる、口上にも並んでくれる、それが5500円かしら…。16年前に入門して来た時から、情熱のある子だったと。だけど、ドジ。裕福な家庭に育って、良い面と悪い面の両方を持っていると。前座の頃から落語は評判が良かった。いい名前はないか?と、62年間空いていた大名跡をとんとん拍子で襲名することになった。去年3月21日の大初日の口上で権太楼師匠が言った言葉を引用していた。「これまでの正太郎らしい高座じゃダメなんです。過去の7人の柳枝の看板を背負って立つ。これからが大変です。宿命なんです」。
さださんのステージ(?)が素晴らしかった。一曲目の「Birthday」は、「鶴瓶の家族に乾杯」のテーマソング。柳枝の披露目に出ると言ったら、「鶴瓶さんが、じゃぁ、バースデーを歌ってや。俺からのお祝いや、言うて」。柳枝はいろんな人から好かれて、幸せだなあ。
さださんは中学1年生のとき、バイオリン修行で長崎から単身上京したのだそうだ。九州訛りが抜けなくて、江戸弁を身に付けようと通った寄席で落語に夢中になったそうだ。だから、志ん生、文楽にも間に合っている。人形町末廣にいったら、普段とは違う満員札止め。下足番のおじさんに聞いたら、「坊や、いいよ。上がんなよ」と言われ、お客にお膝送りをさせて、席に座れた。当然、桟敷だが。で、緞帳が上がったら、釈台を前にした志ん生の復帰高座だった!すごい!
大学生のとき、TBSラジオの落語大学選手権に出たら、審査員が文楽師匠で、サインを貰った。「雨やどり」が売れて、ツアーで回っていたら、休憩所で休んでいる圓生師匠を見つけた。「お墨付きをください!」と頼んだら、気安く「ようがす」と応じてくれた。雑誌の編集者の「誰か対談したい人はいますか?」と訊かれ、彦六の正蔵師匠の名前を挙げたら、実現して、稲荷町のご自宅を訪ねることができた。そんな落語との縁を物真似つきで楽しそうにトークしているさださん。こちらまで幸せになれた。これも柳枝師匠のお陰だ。
最後に、柳枝師匠の「子別れ」(下)、「子は鎹」。去年の鈴本大初日でも、この演目だったが、確実に進化している。番頭さんが、わざと木場に木口を見にいこうと誘い、事前に調べておいた「先のおかみさんの住まい」の近所を通り、亀ちゃんと再会させる作戦が、柳枝「子別れ」のミソだ。周囲がもう一度、熊さんをやり直させたいと応援しているのが伝わってくる。
最後の鰻屋の夫婦のやりとりも好きだ。熊さんがもう一度やり直せないか、と頼むと、元女房はこう答える。「あなたはあんなことしたのだから許せない。でも、亀のことを思うと、やっぱり元の鞘に収まる方がいいのでしょうね。あの子のために、もう一度やり直しましょう。こちらからもよろしくお願いします」。朧げだが、確かそんなことを言っていたと記憶している。「子は夫婦の鎹」という言葉。子どもがいるから、夫婦は仲が悪くとも我慢して別れずにいるか、という意味ではないと思う。子が可愛いと思う気持ちは父も母も一緒、だから夫婦仲良く暮らしていきましょう、思いを一つにしましょう。そんなメッセージが伝わってきた。