【美の壺 語りの芸術・講談】①美文調を味わう

NHK―BSプレミアムの録画で「美の壺 語りの芸術 講談」を観ました。(2020年4月10日放送)

一龍斎貞水先生は、放送の年の12月に亡くなっているが、講談について貴重なお言葉をこの番組に遺している。

2002年に人間国宝になった、キャリア65年の貞水先生は語る。

講談は落語じゃない。漫才でもない。浪曲でもない。講談は講談です。独特の喋り方、正しい日本語を使う。自分なりに物語を作って、どうやってそれをお客様に伝えていくか。

16歳で五代目貞丈に入門、師匠の台本を一字一句書き写すこと、1000冊。耳からも覚え、講談ならではの語りを会得していった。

講談の声、講談のリズム、正しい日本語。そういうのからマスターしていかないとね。耳から聞いて、まず言葉の美しさ、リズム。リズムがわかって、そこに言葉がのっかってくる。

まず誰もが稽古する「三方ヶ原軍記」。

必ず皆が読むのは合戦の修羅場。修羅場読みというのは、歌い手さんが発声法を習うのと同じで、講釈師が講談の声、講談の息遣いを体で覚える。

この時に大将自ら敵の中にと躍り込み、真向、梨割り、唐竹割り、あるいは胴斬り車斬り、賽の目かくやに千六本、奴豆腐に玉あられ、ザックザックと斬りたてたり~

次に番組に登場したのは、放送の年に真打に昇進した六代目神田伯山先生。貞水先生の言う美文調を大切にしながら、さらに大衆へのアピールを意識している。

伯山先生が語る。

そっくりそのまま昔のやり方をやっても、絶対に講談は広まらないと思う。伝統というのは、今のお客様にどう寄せすぎず、寄せなさすぎず、という中くらいのところをとっていく。どんな名人でも「うまいな」と思うけど、何を言っているのかわからないと駄目だと思う。でも、何を言っているのかわからない美文調の美しさがたまらなくある。

「赤垣源蔵 徳利の別れ」

元禄十五年十二月の十四日。赤垣源蔵重賢は仲の悪い兄の塩山伊左衛門のうちへ行くことになります。卍巴と降る雪の中、まとうた赤がっぱにまんじゅう傘、左の手に提げた徳利は貧乏徳利。芝汐留、脇坂淡路守塩山伊左衛門の玄関先だ。

それは美しい語り、読み口なんだけど、「どういう意味なんだろう?」と次の物語に入っていかない。ただ、「卍巴と降る雪の中」という言葉は残すんです。美しいから残したい。その後に主人公に「卍巴」というのはどういう描写なのか、会話で説明させたり、テクニックであとでわかりやすい言葉で補ってあげると、「ああ、そういう意味か」となる。

卍巴とは、入り乱れた状態のこと。激しく降る雪の中だということをさりげなく会話にしのばせる。

ああ、そうだ、兄上。このような雪の日に覚えておられますかな。大きな雪だるま。兄上は六尺ゆたかなだるまをこさえますと、私が六つで兄上が十の自分でございました。鬼のように見えるその雪だるま、兄上はよいか源蔵、このような強き者に背中を向けてはならんのだ。

会稽山に越王が恥辱をそそぐ大石の山と川との合言葉、末代曇らぬ武人の鑑。老体手負いを中に入れ、血気の武士は前後を固め、足並みそろえたその中に右の方から六人目。海山道の火事装束銀星乱鋲たる錣頭巾は後ろに投げ、山鹿流の呼子の声、細紐を持って帯に留め、銀の短冊背に結び、北条流の武者わらじ。襟に記すは赤垣源蔵重賢。これを見るより老僕市治が、源蔵さま!

徳利の口よりそれといわねども昔思えば涙こぼる

講談の美学がここにあると思った。