弁財亭和泉「謎の親戚」日常の“あるある”を噺に仕上げるセンスが光る高座はユーモラスでミステリアス。
らくごカフェで「弁財亭和泉の“新”新作びゅーびゅー」を観ました。(2022・02・09)
和泉師匠の三席は「一年生」「奥山病院奇譚」「謎の親戚」。
弁財亭和泉「一年生」
新しく社会人としてスタートを切る若者へ贈る温かい新作だ。人間は誰しも失敗をする動物であり、それは昔も今も時代を超えてあるものなんだと教えてくれる。MZ世代とか言われ、世代間格差が叫ばれるが、そんなこといつの時代もあったこと。その格差をどう埋めていくのかは、自分しかいない。自分なりに考えて乗り越えて行かなくちゃならない。「自分らしさ」を棄てずにね。ここは大事なところだ。「自分らしさ」を殺して、乗り越えようとすると、メンタルをやられてしまうから。
弁財亭和泉「奥山病院奇譚」(三遊亭白鳥・作)
荒唐無稽な白鳥作品を、和泉師匠なりの解釈で、しっかりとした骨格のある高座に仕上げていたのは流石だ。特に死んでしまったヨシエさんがクルマになっているので、人間と擬人化されたクルマのやりとりを聴き手に混乱させずにストーリーを展開させるのが肝の噺だが、そこが達者だった。
そして思ったのが、この白鳥作品の根底には人情が流れているのだなあ、ということだ。就職面接を何十社も落ちて、自信を失い、人間不信に陥っている主人公が言う、「ご縁がなかった」という言葉。だが、そんな簡単な言葉で片づけてはいけない、人間として大事なことをこの新作落語は教えてくれる。幸子ちゃんという身体の弱い5歳の女の子を助けてあげることができたとき、主人公もまた、「ご縁がなかった」では済まされない何か大切なことを教わったに違いない。
弁財亭和泉「謎の親戚」
和泉師匠は日常生活の「あるある」を落語にするのが上手だなあと思った。先月の新作落語ユニット「せめ達磨」でネタ卸しした作品だ。
法事に行くと、「この人誰だっけ?」と名前も間柄もわからない人がいたりする。尋ねるのも失礼かと思い、そのままにしておいて、また次の法事で会ったときに、「誰だっけ?」と思う。知っている人に訊けばいいんだけど、そのまま法事が進んでしまい、また訊くチャンスを失ってしまうという。
で、また、これも「親戚あるある」なんだけど、そういう伯父さんとか伯母さん(叔父か、叔母かも定かではないが)が必ず、話しかけてきて、「あら、大きくなったわねえ」と声をかけてきて、前回と同じ「あなたが幼かった頃はねえ」エピソードを繰り返す。ますます謎は深まるばかり。
さて、主人公マサヒロは「トランプのハートのエース」を手掛かりに、謎の「叔母さん」が誰なのか、解明できたのか…。ユーモアたっぷり、かつミステリアスな楽しい新作落語である。