真山隼人「闘病記 死んでたまるか」瀕死の病床から見事な復活!将来の浪曲界を背負って立つ26歳。

木馬亭で「真山隼人ツキイチ独演会特別編 蘇った隼人」を観ました。(2022・02・05)

幕が開き、沢村さくらの三味線に乗って、真山隼人が下手袖から舞台中央に登場すると、割れんばかりの拍手。中央の演台の前に立って、頭を下げても、まだ拍手の大きさは変わらない。瀕死の病床から奇跡の復活を果たした隼人を浪曲ファンが迎える気持ちの大きさが伝わってくる。

こんなに大きな拍手を木馬亭で僕は聞いたことがない。隼人が「こんなに拍手されたら、泣いてしまうじゃないですかあ」と言うと、やがて拍手は次第に弱まっていったが、もう客席の方で先に泣いている人がいる。

一席目は「闘病記 死んでたまるか」。曲師の沢村さくらさんの発見が1時間遅かったら、助からなかったかもしれない。さくらさんが、救急車の救命隊員に「富永病院に行ってください」と言わなかったら、助からなかったかもしれない。急性硬膜外血腫。

酔って帰ってきて、御礼のメールを送ったまでは覚えているが、あとは覚えていないという。気が付いたら、集中治療室(ICU)にぐるぐるまきになっていた。ICUに一週間。意識が戻るまで、さくらさんが懸命に揺すり続けていた。隼人は三途の川で幸枝若師匠に会い、「一郎より先に来たら、怒られるで」と返されたという。今だからこそ、言えるギャグだ。本当に危なかった。

相三味線の沢村さくらは、隼人がいつ復帰しても良いように、他の仕事を断り続けていたという。一般病棟に移ってからは、リハビリ。呂律が回らなかった。リハビリの先生が持ってくるプリント問題は難しかったが、浪曲なら出来るだろうと、台本を持ってきてもらった。「円山応挙の幽霊画」。10分唸ったら、自分のベッドの回りにギャラリーができていた。翌日、「続き、聴かせて!」。続きを10分唸った。これだって、今だからこそ、言えるエピソードだ。

二席目は「山月記」。本当は去年10月にネタ卸ししようと思っていた作品だ。倒れてしまって出来なくなったが、今回ようやく出来た喜び、いかばかりか。浪曲作家の芦川淳平さんと、曲師のさくらさんと、三人で作った思入れのある作品だという。僕もそうだが、中学校の国語の教科書で読んだ、中島敦の作品が元になっている。その中学生のときに、「これ、浪曲になるやん」と思っていたという隼人さんはすごい。

人食い虎になってしまった李徴と旧友の袁慘のやりとりに感じ入るものがある。李徴が託す詩。これは自分が人間だった証しだ。それが日が経つにつれ、人間としての意識がある時間が少なくなっていくという。李徴という人間がいたことを、しっかりと受け止める旧友の袁慘もさぞ辛かろう。これから時間をかけて、隼人はこの文芸浪曲を練り上げていくのだろう。楽しみだ。

中入りを挟んで、三席目は十八番「名刀稲荷丸」。赤穂藩士・岡島八十右衛門の無念を晴らしてあげたいという主人思いの直助が、“大坂正宗”と呼ばれた津田越前守助広に入門し、師匠の知らぬ間に腕を上げていくコミカルかつハートウォーミングな浪曲。

強引に師匠の向こう槌の役割を担って、刀鍛冶としての力量を見せつける様子を歌い上げる節回しに酔いしれた。出来上がった刀は宮中が称賛し、直助は津田近江守助直になったという出世譚でもある。だが、直助は偉ぶることもなく、赤穂へ帰り、主人の岡島のために尽くしたという素敵な話だ。

この話がやりたくて、隼人は二代目京山小圓嬢に直訴して、習得したという。隼人にとってはとても大切な演題で、東京復帰の高座で見事に客席を沸かせた。