田辺いちか「井伊直人」妻とはかくあるべし。そして、夫婦とはかくあるべし。

上野広小路亭で「講談協会定席」を観ました。(2021・10・27)

田辺いちかさんの「井伊直人」が印象に残った。色々な人で聴いている読み物だが、直人の女房のお貞の賢妻ぶりがとてもしっくりくる高座だった。

賭け碁ばかりして、財産を食い潰してしまう駄目な侍である直人に、なぜお貞は惚れたのだろうか。僕が思うに、直人にはどこか見込みがあると踏んだに違いない。剣術の腕も、稽古していないから鈍っているのであって、本気で稽古すればきっとものになる人物だと読んだのであろう。目が利く、という言葉を人間に使うのは可笑しいかもしれないが、お貞はその人物の品定めをする目利きができたのであろう。

結婚しても、相変わらず賭け碁ばかりしている夫に文句も言わずに尽くすお貞も辛抱強い女性である。1000両の持参金もやがて使い果たす。そうすれば、直人は何かを言ってくるであろうと考えていた。すると、100両ほど都合してくれと無心にきた。普通なら、お前が遊んでばかりいて使い果たしたんだろう!と怒りだしてもいいところだ。だが、お貞は違った。

100両を賭けて、真剣勝負を申し込んだ。私に勝てば、100両をお渡ししましょう。だが、負けたならば、修行に出てください。顔を洗って、頭を冷やして、出直して来い!と無言のうちに言っているようなものである。お貞には勝算があったのであろう。賢いやり方である。

直人は「女なぞに負けるか」と思ったであろうが、そうは甘くなかった。お貞は薙刀の名手。だからこそ、直人のところに嫁入りしたのだし、相当に自信があったのだろう。この駄目男を叩き直すと心の底で思い、そんなことをお首にも出さずに穏やかな結婚生活をして、辛抱し、来るべきときを待ったのだと思う。心を鬼にして、というのはこういうことを言うのだろう。

直人は江戸へ出て、柳生飛騨守の剣術道場で修行した。1年経って、ほかの門弟で勝る者がいないと判ると、仙台へ帰った。だが、妻にはまた負けた。柳生道場に舞い戻り、修行のやり直し。今度は飛騨守が免許皆伝するほどの腕前になった。仙台でお貞と勝負を挑むも、またも負けた。

これには参った。何という強さなんだ。柳生飛騨守と直人、師弟が必死になって稽古に励み、もうこれ以上ないというくらいに修行を積んだ。そして、3度目の仙台。

お貞は直人を見るなり、「参りました」と言う。いぶかしげな直人。お貞は言う。「身のこなし、目の配り、立ち居振る舞いで腕前がわかります」。そして、この日を待っていたといわんばかりに、膳を振舞った。

お貞はさぞ嬉しかったことだろう。ともすると、夫に対して失礼と取られかねない言動に対して、直人は素直に従い、修行を積み、研鑽してくれた。それが見抜けるお貞の眼力も凄い。驚愕である。

妻とはかくあるべし。内助の功という言葉があるが、それ以上である。夫を立ち直らせる一番良い方法をお貞は分かって行動に出た。それを怒らずに素直に受け入れた直人も立派である。夫婦とはかくあるべし、を示してくれる読み物だと思った。