澤孝子「一本刀土俵入り」真っ直ぐに生きる茂兵衛を励ます人情味溢れるお蔦の温かさに胸が熱くなる
木馬亭で「日本浪曲協会 9月定席」三日目を観ました。(2021・09・03)
澤孝子師匠の高座は、とても80歳を過ぎているとは思えない。力強くて、ゆえに説得力があって、人情深くて、ほろりとさせて…。この日は、名作「一本刀土俵入り」だ。長谷川伸作。菊春師匠から教わったという、堂々とした人情噺に感激した。
夢を捨てずに真っ直ぐに生きようと一生懸命な男と、その男に偶然声を掛けたを何とかしてあげたいと励ます人情味溢れる女の物語。
男は駒形茂兵衛。横綱になろうと上州駒形村から江戸へ出てきたが、「お前は見込みがない」と親方に部屋を追い出されてしまった。故郷に帰っても身寄り頼りもいない。父親は5歳のときに家を出て行方知らず、貧乏に耐えながら育ててくれた母親も今は駒形の広瀬川沿いの墓に眠っている。その上、家は隣家からのもらい火で全焼してしまった。何とか母親を安心させたいと野良仕事に精を出していたが、丸焼けではどうしようもない。心に掛けていた母親の墓の前で土俵入りを見せてやりたいと江戸へで出たがこのありさまだ。
女は芸者のお蔦。取手にある我孫子屋という宿の二階で暇を持て余して、下を覗いたら、トボトボと歩いている茂兵衛を見かけた。どうやら、ここ何日からろくなものを食べていないようで、腹を空かせている様子だ。茂兵衛の不運な境遇と、それでも夢を捨てずに天下晴れての土俵入りを夢見る茂兵衛に心を打たれる。言えるのは、「一生懸命やれば何とかなる」の根拠もない言葉くらいだ。
それでも何とかしてやりたいと、お蔦は気持ちを伝えるために、持っている巾着ごと、放り投げてやる。「ありたけだよ。あげるよ。何か食べておいき」。茂兵衛は優しくされて、泣いてしまう。泣いている姿を見て、お蔦はさらに情が移る。櫛と簪をしごきに結んで、二階から降ろしてやる。「何かの足しにしな」。
泣きじゃくる茂兵衛。「我孫子屋のお蔦。大酒飲みの、呑んべのお蔦と覚えておくれ」「なんて優しい人だ」「ただのあばずれさ。ほら、舟が出るよ」。江戸へ向かう茂兵衛に「きっと、土俵入りを見せておくれよ」。
ここまでだけでも人情味あふれるが、その10年後の話がとても良い。茂兵衛は横綱の夢は破れたが、別の形で恩返しをする。それはお蔦が辰三郎という船大工と一緒になって所帯を持っている第二幕だ。
お蔦の亭主の辰三郎は腕の良い船大工なのに、博奕に手を出すことを覚えてしまった。これが最後、もうやらない、と何度もお蔦に誓うがやまない。とうとう、借金がかさみ、船戸の弥八たちが乗り込んでくる。50両という借金だ。「どうしよう。お蔦、すまない。逃げよう」。
そこに現れたのが駒形茂兵衛だ。「今、家を出ると危ない。戸締りをした方がいい」。もはや弥八たちに取り囲まれている状況を伝え、ここは俺に任せろという具合だ。「話は残らず表で聞いた・・・姐さん、あっしでござんす。茂兵衛でござんす」。思い出せないお蔦に、「天下晴れての土俵入りは叶わぬ夢となりました。こんなあっしをバカな奴と笑っておくんなせい」。張り手の形を見せる茂兵衛。
「ああ、あのときの取的さん!」。ようやく気付くお蔦。茂兵衛は助言する。「飛ぶには今が潮時です」。そう言って、何某かの金を渡す。「危ないところを助けてくれて、お金まで頂いて・・・私はわずかなことしかしていないのに」。そういうお蔦に向かって、「これがしがねえ姿の土俵入りでござんす」。
逃げるお蔦夫婦。見送る茂兵衛。別れてまたいつの日に、二度と会えるか、会えぬやら。茂兵衛の心で示した一本刀土俵入りに胸が熱くなった。