【プロフェッショナル 歌舞伎役者・坂東玉三郎】妥協なき日々に、美は宿る(中)
NHK総合の録画で「プロフェッショナル 仕事の流儀 坂東玉三郎」を観ました。(2008年1月15日放送)
きのうのつづき
十月大歌舞伎で「怪談牡丹燈籠」を演じる前の稽古。伴蔵が仁左衛門で、お峰が玉三郎だ。疑心暗鬼の夫・伴蔵が妻のお峰を殺してしまう複雑な心境を描く、最後の場面の演出で仁左衛門に玉三郎は話しかけた。
殺した人を抱く。ふっと我に返る。殺してから、まあ一遍うろちょろしてから、唖然として、空白があってから立ち上がって目が覚める。そこに何か時間が、単純に時間がほしいのね、と玉三郎が言った。
演技の間。殺した後、我に返り、妻への思いに気づくまでの間とは、どんなものか。
初日の幕が開いた。ラストシーンはまだ完成していない。夫婦の「間」をどう演じるか。演技を伝染させる。玉三郎は、刺されてから息絶えるまでの間を格段に長く取ろうと決めた。
玉三郎が語る。
僕がぱたっと倒れちゃうと、スコーンと終わっちゃうので、ある程度の印象を残した方が仁左衛門兄さんが芝居がしやすいと思ったんで。約束はしてないんだけど。
仁左衛門が語る。
殺された者のこの世に残す執着、あきらめ、上手く混ぜた死に方ですよね。それを丁寧に演じられる方が、次が出やすいですよね。
玉三郎は初日を終えて、真っ直ぐ帰宅した。明日の舞台が待っているから。
玉三郎は人知れぬ苦労をしてきた。都内の料亭の五男に生まれたが、体が弱かった。5歳で六世中村歌右衛門の舞台を観て、幼な心に夢中になった。身体にいいのでは、と踊りを習いはじめた。その才能が認められ、14歳で芸養子になった。
歌舞伎の世界は厳しい。女形では背が高く、客席で笑いが起こった。どうしたら小さく見せられるか、必死に研究した。好きな踊りで身を立てたい。その一心で稽古を重ねた。
19歳で主役に抜擢された。一躍、脚光を浴び、次々と役が舞い込んできた。壮絶な仕事漬けの日々。一日5つの演目を掛け持ちし、朝10時から夜10時まで舞台に立った。殺人的なスケジュールを死に物狂いでこなした。
24歳のとき、心が折れた。立ち上がれなかった。「気がついたら、30カ月、休んでいなかった。精神的にも、肉体的にも許容量を超えたなと」。気持ちが沈み、極端に食欲が落ちた。鬱だった。
体重は減り、立っていることさえ辛くなった。ずっと心にあった不安が大きく頭をもたげてきた。「もうすぐ踊れなくなる」。舞台に立てなくなったときのことを考えるようになった。
30歳で新劇の演出や、映画の監督をやった。新たな仕事は刺激的だった。高い評価も得た。しかし、それだけでは満たされない何かがあった。
幼い頃から懸命に打ち込んできた踊り。肉体的にはいつまで続けられるか、わからない。自分は踊りから離れることはできない。いつしか、こう考えるようになった。「ただ、明日の事だけ考えよう」。
毎日毎日、明日の事だけ。そして、気が付けば初舞台から50年。明日だけを見続ける日々は、まだ今も続いている。
つづく