【浪曲映画祭】「清水港は鬼より怖い」(1952年・東映)清水次郎長伝を土台にしたドタバタ喜劇の傑作!

ユーロライブで「浪曲映画祭 情念の美学」四日目を観ました。(2021・06・28)

「清水港は鬼より怖い」(1952年、加藤泰監督)

戦後のラジオ放送によって全国を席巻した浪曲ブームの中で、誰もが知っていたのが、♫旅ゆけば、駿河の道に茶の香り・・・で始まる二代目広沢虎造の「清水次郎長伝」だった。全国津々浦々の銭湯の壁に富士山が描かれていたのは、湯船に浸かり、♫旅ゆけば~と唸るためであったとさえ言われたほどだ。

戦後、虎造が亡くなる1964年までの20年弱の間に、実に膨大な数の「清水次郎長伝」にあやかった映画が作られたという。本寸法の侠客モノあり、ドタバタ喜劇に仕立てたモノあり、時代設定を昭和に置き換えたモノあり。

この作品は東西笑いの豪華メンバーを揃えて、とんでもハップンに演出した傑作喜劇だ。何と、ブームの張本人である二代目広沢虎造も出演している。発想は「清水港にやくざ大学あり」というテーマで、大泉滉演じる青瓢箪の若旦那・小六が繰り広げるドタバタ。情けない男も次郎長親分にあやかって「男になりたい!」という大衆受けする笑いが凝縮されている。映画も浪曲も大衆文化として華やかなりし時代であったことを彷彿させるのがいい。

あらすじはこうだ。

江戸の老舗和泉屋の若旦那小六(大泉滉)は侠客になりたいと清水港の次郎長親分(桂春団治)の許へやって来るが、不心得をさとされ、あっさり追い返された。家へも帰りたくない小六はトンコ茶屋のお豊(永田とよ子)の食客となって、森の石松(澤村國太郎)や吉良の仁吉(加東大介)の手ほどきで男をみがく修業にはげんでいた。

そこへ許婚のお澄(林加壽恵)が番頭を連れて小六を迎えにやって来るが、いまでは石松や仁吉におとらずお豊に熱をあげていて、次郎長親分の諫めもきかない。小六の気持が変るまでと、次郎長はお澄を番頭とともに引き受けてやった。

石松と仁吉も、小六がライバルと知ると、手を変え品を変え、小六を江戸へ帰そうとするが、そんな手には乗らない。次郎長の縄ばりをねらう黒駒の勝蔵のスパイがいると知った小六は男を売るのはこの時とばかり、飛んで火に入る夏の虫となり、勝蔵の喧嘩門出の火祭りにあげられようとした。

しかし小六の身を案じてあとをつけていたお澄の注進で、石松と仁吉が駆けつけ、小六はあぶないところを救われた。そして阿部川沿いの大乱闘にも首尾よく三人は無事ひきあげてかえって来た。すると、トンコ茶屋ではお豊と板前の虎さん(広沢虎造)が仲の良いところを見せつけられた。お豊と虎さんはずっと前からいい仲なのだった。

ようやく小六の恋もさめると同時に、恐ろしいこと続きで、下らぬことで命のやりとりをする侠客への憧れも現実の風のなかで霧散してしまった。このときを待っていたお澄と一緒に江戸へ帰ることになった小六は、江戸へ帰ったら彼女と世帯を持って堅気商売に気を入れようと決心するのだった。