鳳舞衣子「王将一代」日本一の将棋指しになる!坂田三吉の夢を支えた妻の深い愛情に感極まる。

木馬亭で「日本浪曲協会6月定席二日目」を観ました。(2021・06・02)

伝説の将棋名人、坂田三吉の若き日の苦労物語を描いた鳳舞衣子さんの「王将一代」が印象に残った。北條秀司の芝居「王将」で知られるところだが、こうやって浪曲で聴くのも素敵だ。日本一の将棋指しになるという夢を追った坂田を支えた妻の思いに感極まる。

大阪堺で素人将棋、つまりは賭け将棋で頭角を現していた坂田だが、そこにプロの関根金次郎三段が乗り込んできて、負かされてしまう。面目丸潰れだ。悔しい思い。だが、そこで坂田はプロを志す。田舎将棋でちまちま稼いでいても駄目だ、と目が覚めたのだ。そして、いつか関根に勝ってやると誓いを立てる。

その一念発起を支えたのが妻のこはるだ。草履職人をやっているよりも、将棋の道で身を立てておくれ。貧乏は承知でお嫁に来たんだ。生まれてくる子供のためにも、頑張っておくれ。妻の理解が夢を育む。

そして、10年後。娘たまえは9歳だ。田舎四段の坂田は大坂へ乗り込み、関根六段に挑む。だが、負けた。しかし、関根は坂田の成長ぶりに目を見張り、「腕を上げましたね。紹介しましょう」と、プロになる道筋を作ってくれた。

堺に戻った坂田は妻に決意を語る。そして、断腸の思いで言う。「別れてくれ」。これ以上、家族に苦労をかけたくない。離縁すれば、子持ちでも後添えになってくれる人がいるだろう、と。しかし、妻は首を縦に振らない。「私はどこまでもついていきます。芸道を真っ直ぐ進んでください。それが男の道でしょう」。坂田は思い感じ入り、「関根を倒す日」を夢見て、決意を新たにする。

坂田は堺を出て、大坂へ。四天王寺の仏具屋の裏通りの貧乏長屋に住む。妻こはるは手内職で生計を立てる。坂田が芸道に励めるようにと。

だが、貧乏は極まった。食べるものは娘たまえに食べさせるのが精いっぱいだから、こはるは栄養不足で鳥目になってしまい、目が見えなくなってしまった。わずかに見える目で坂田に手紙を書く。「目が見えなくなり、生きる望みを失った。関根様とのお手合わせの結果を知りたいが、先にあの世に逝きます。芸道一筋、お励みください」。だが、こはるは死ねなかった。

そんなある日、坂田のところに東京朝日新聞の田辺という男が訪ねてくる。新聞将棋の対局の依頼だった。対局料が一局30円。米一俵が2円の時代である。これで妻子を食べさせることができる。

対局は東京だった。相手は何と、関根金次郎名人。「きっと勝ってやる!」。大正2年春。坂田三吉七段は、45年の生涯を賭けて対局に臨む。この日のために生きてきた!食うや食わず、艱難辛苦の20年の思いを込めて、盤に向かう。熱戦、14時間。関根名人が「負けました」と言って、対戦が終了した。坂田が勝ったのだ。

坂田は四天王寺の空に向かって絶叫した。こはるー!

夫の夢を支えた妻の愛情あればこその、名人誕生物語に痺れた。