【佐野元春のソングライターズ 小田和正】誰の為でもなく、自分の為に歌を書く。自分が歌って気持ち良くなければ(上)
NHK―Eテレの録画で「佐野元春のザ・ソングライターズ 小田和正」を観ました。(2009年7月4日&11日放送)
シンガーソングライターの佐野元春がホスト役を務め、日本のソングライターたちをゲストに招き、「歌詞」すなわち「音楽における言葉」をテーマに探求してゆく。佐野の母校である立教大学の教室での公開収録で、音楽・文章表現を志す学生たちを招き、ゲストのソングライターと学生との対話も番組の中に織り込んでゆく。以下は佐野元春自身が番組視聴者に向けて書いたメッセージだ。
「詩=言葉」は力を失ってしまった、とよく言われます。現代詩が文学ディレッタントに終始するかぎり、そう言われても当然です。しかしどうでしょうか。唄の詩人達=ソングライターたちの言葉は、深く人々の心に届いています。そう考えると、ソングライターたちこそが、現代を生きている詩人といえるのではないかと思います。聴き手は私、佐野元春。ゲストとの対話を通じて、「ソングライティングとは何か?」を探っていく内容となります。(中略)
よく、人から、「作詞・作曲って、感性で作るんですよね」と、聞かれます。私はソングライティングというのは、感性も大事だけれど、けっこう、経験と技術が、ものをいうんじゃないかと思っています。また、ソングライターは短編作家であり、一曲をせいぜい3〜4分間でまとめないといけない。これは難儀な作業です。創作方法はさまざまあれど、作家はそれぞれに、きっと独自のメソッドを持っているはずだ、と思います。(中略)
ポップソングは時代の表現であり、時代を超えたポエトリーです。これまで、流行歌の作詞や作曲というと、芸能の一環に含めて語られがちでした。しかし、70年代に始まり今日至る、国内のソングライターたちの充実した仕事ぶりを俯瞰してみれば、「ソングライティング」は、文学や演劇など他の表現と同様、現代的なパフォーミングアーツの一環として捉えていい、一級の表現形式だと言えます。「ザ・ソングライターズ」では、そうした「音楽詩」表現の諸相を省察し、その意義と可能性を視聴者に伝えていきたいと思います。以上。
番組は2009年に始まり、2012年まで23人のソングライターを招いて放送された。僕はその第1回目のゲストである小田和正さんをゲストに2週にわたった放送を観たが、とても貴重な内容なので、それを記録したい。(以下、敬称略)
小田和正は東北大学工学部を経て、早稲田大学理工学部建築学科で学んだ。本当は建築家になるつもりだったという。では、ソングライティングと建築の共通点は?と佐野が問う。
何もないとこからから作るというのが一番共通している。最終的にディテールを決めていかなきゃいけない。具体的に言うと、サビに向かって盛り上げて、サビに入るみたいなのは最後に詰めればいいやと放っておくことが多かった。建築の課題でトイレや階段は面倒くさいから最後に決める。似てるなあと。明日は階段だ、と。30年やってると、そういう感じもなくなってきましたが。
小田は団塊の世代。学生運動をした。理想をアピールした。だけど、歌にはならなかったね、と。
曲を書き始めた頃、オリジナルを書くということが、拓郎も出てきて、刺激的で、ようやく周りがスタートしたときだったから。早稲田の近くのアパートに住んでいたので、そこで曲を書こうということになって、「いつでも…」のフレーズだけで、後が何も出てこない。コピーをすることと、創るということは全然違う。アマチュアはコピーをやっていればいいけど、プロはどんなに上手に洋楽を演奏しても受けない。同級生と手分けして書こうとするんだけど、歌いたいことがない。反戦フォークや他愛ない歌しか浮かばない。メッセージソングを泉谷や拓郎が青春のたうち回っている姿を歌にしていて。
意識にあったのは同級生のこと。あいつ、何やってんだ?建築やめてまで、こんな幼稚なことやって、と思われるんじゃないかという強迫観念がある。何を書いたらいいのか?今は聴いてくれる人に向けて書ける。同級生がどう聴くんだろう?それが一番の大きなテーマだった。
ソングライターを志したきっかけは、音楽が好きだったということ。僕が曲を書くなんて思わなかったですからね。本当に音楽が好きだったんですね。影響を受けたソングライターは?数限りなくいるから絞れない。出会った音楽が全てと言ってもいい。(ビートルズですか?一般的には)ビートルズはもういいかというくらいに何回も思うわけだけど、いつまで経ってもビートルズはいるね。すごいなと思うね。(一種の古典のような?)すごいシンプル。だけど、よく聞くとただのシンプルじゃない。必ず思うのは、勿論力はあったと思うけど、世界の若者の中心になったグルーヴみたいなのが、現象のように集まっちゃったんじゃないかというような気がするんだよね。(60年代にテレビメディアが一般的になった)ビートルズの持っている楽しいグルーヴが一気にメディアを通して世界を包んだ。力以上というと語弊があるけど、それ以上のものがどんどんできちゃったんじゃないかとしか思えない曲がいっぱいあるものね。奇跡だよね。
デビューのシングル曲について。どうやって書いていいかわからないし、手掛かりを何かに求めるしかないから、僕はしつこく日記を書いていたんです。嫌と言うほど何年間も休まずに書いていた。そこにヒントはないかと思って探しているうちに、手掛かりがあって、それがヒントになった。それ1曲だったけど(笑)。
どうしても使ってしまう言葉。風がどうしたとか、風が多いですね。風、好きなんです。だから、また風かよと言われても平気なんだけども。本当は全部、風でいいんだ、俺(笑)。
絶対やりたくない職業。音楽やってても、いつまでに書かなくちゃというのがあると、本当につらい。連載を抱えている漫画家というのは、この人、毎週大変だなと思って。でも、誰かに書いてくださいと頼まれれば、必ず約束は守るんです。僕は期限を守らなかったことはないですね。
誰のために曲を書いているか?人のためにはあんまり書かないね。最近はタイアップとか、いやらしい要素が絡んでくると、発注してきたドラマの人たちの思いもあるだろうから、できるだけそれに近いのを書いてあげたいなと。だから、自分から進んで書くときは、なかなか誰かのために書くことはないね。
作家性と商業性について。結局、歌は自分だからね。商業性に浸食されたようなものは歌っていて自分が気持ちよくないと思うんだよね。歌うときの自分を考えると、どうしたって、どこかに作家性が素直に出てくるわけで。自分で歌う限りはそれをいつも考えて素直に歌えるものに辿り着きたいと思います。
つづく