【緒形拳 掌】大きくて、ゴツゴツした手。それが俳優としての原動力となり、心意気となり、魂となった(上)

NHK-BSプレミアムの録画で「俳優という名の男たち 緒形拳 掌」を観ました。(2014年9月17日放送)

名優、緒形拳さんが亡くなったのは2008年10月5日。享年71。去年が十三回忌だったのか。昭和12年生まれだから、僕の母親と同い年だ。僕が心に残っているのは、中学生のときに放送された向田邦子脚本、和田勉演出のドラマ「阿修羅のごとく」。ここで、次女役の八千草薫さんの夫を演じられている。このドラマは思春期だった僕にとって思い出深く、女性中心のドラマだったが父親の佐分利信、そして緒形拳という配役に非常に惹かれたのを覚えている。

世間的には、今村昌平監督の映画「復讐するは我にあり」や「楢山節考」が代表作とされるだろうが、大きな役者さんであるにもかかわらず市井の役を演じるのが上手いという印象を持っている。これは、この番組で知ったのであるが、新国劇出身だったというのは存じ上げながった。それが彼の俳優の根っこにあることを知ったという意味でも、この番組は意義深かった。(以下、敬称略)

「復讐するは我にあり」の原作は佐木隆三の同名のノンフィクション小説である。原作は主人公の殺人犯を周囲から描いているため、その主人公の実像を脚本家も今村昌平監督も掴みあぐねていた。理由もなく殺人を犯した主人公・・・最後はその役を務める緒形拳に委ねるしかなかった。当時の助監督は緒形を「筋肉を感じる役者」と称した。共演の倍賞美津子も「肉体労働者の手をしていた」と語る。

この映画に「魂が宿った瞬間」があった。主人公が殺人を犯した血まみれの手を柿の木の下で小便をして洗うシーンである。今村昌平著「私の履歴書」にはこう書いてある。

彼は一物を元気に振りながら、実際に手を洗った。その動きで何かが腑に落ちたようだった。(中略)机上では理解しがたいこの男のありように肉体で演じることで肉薄した緒形さんを見ながら私も嬉しかった。

あまり自分の内面を語ることのなかった緒形の肉声を録音したテープが、この番組で初めて公開された。その中で緒形はこう語っている。

あれは長かったし、異常な人の話だよね。今から思えばね。ところがやっているうちに異常じゃなくなってきて、俺の中で真っ当じゃないかと言う風に思えるようになった。

殺人をする人間に魅力を感じる。誰かを殺したい。そんな気持ちが眠っている。その気持ちを掘り起こしたことで、あの作品は成功したのではないか。

緒形拳は昭和12年生まれ。20歳で役者を志し、新国劇に入った。当時、新国劇は豪快を売り物にした辰巳柳太郎と緻密な演技の島田正吾の二枚看板。緒形は辰巳の一途さに惚れこみ、入団を志願した。しかし、お前の顔は役者に向いていないと断られた。入団の手助けをしたのが姉のように慕っていた北條美智留。劇作家の大御所、北條秀司の娘である。北條の口利きで入団を果たし、手がゴツゴツと大きいので、緒形拳という名前が付けられた。

「国定忠治」「一本刀土俵入り」「王将」…報われなくても一途な世界に憧れ、一所懸命稽古し、可愛がられた。辰巳と島田の二枚看板にみっちりと仕込まれた。

録音テープから、緒形の回想である。

俺は良い師匠二人と会ったんだと思うんだよね。二人とも優れた役者だと思うのは、万人を魅了する。見ている人をすべからく虜にする。俺はね、そういう役者じゃない。万人を魅了できない。

時代はテレビ全盛になった。そのことが緒形の運命を変える。再び、録音テープから。

「新国劇アワー」っていうのを持つんだ。新国劇もね。俺、仕出し(エクストラ)で人足かなんかで出るんだ。その時に辰巳先生の声が聞こえてきた。「あ!ガタ(緒形)の顔がおもしろい」。俺の顔をどっかで撮っていたカメラが、練習中にだよ。「こいつの顔がすごく面白かった」って、俺の顔を見て言うんだ。「映像に向いてる顔っていうのは、こういう顔なんだ」って言うんだ。「はあ、そうですか」って言って。そのころ僕は新国劇に骨を埋めるつもりでしたからね。辞めるなんてちっとも思わずにいた。

ところが、緒方に思わぬチャンスが舞い込んだ。1965年の大河ドラマ「太閤記」の主役に抜擢されたのだ。翌66年「源義経」でも弁慶役で出演。テレビドラマから出演オファーが殺到したのである。

つづく