天光軒満月「父帰る」道楽三昧で家族を顧みず家を出た父親が20年後に落ちぶれて戻ってきた。あなたは許せるか。

木馬亭で「日本浪曲協会定席 二月興行 四日目」を観ました。(2021・02・04)

この日、トリを務めた天光軒満月先生の「父帰る」は大正6年に菊池寛が発表した戯曲で、二代目市川猿之助で大当たりしたという。映画化も3回されていて、近いところでは2006年にシスカンパニーの主催で草彅剛が主演した舞台があったが、僕は観ていない。

道楽三昧で家族を顧みずに家出をした父親が、20年ぶりに落ちぶれ果てた姿で戻ってくる…。果たして、許せるか?僕自身は長男の賢一郎と同じ気持ちでその父親を許せないと思う。母や弟妹のように温かく迎えることは出来ない。父親の代わりに一所懸命働いて弟妹を中学まで出したその苦労はいかばかりか。しかし、最後は慈悲深い母の気持ちにほだされてしまう賢一郎…。絶妙な終わり方をして、お涙頂戴にしない演出がとても気に入った。

長男・賢一郎。次男・新二郎。長女・おたね。それに母親・おたか。今は幸せに暮らしている。新二郎は教師をしているが、勤務先の校長が「父(宗太郎)に似た男の人が、みすぼらしい格好で歩いていた」のを見たという。声を掛けたら、顔を隠して逃げたそうで、顔の左にあるホクロはきっと宗太郎ではないかと。

「そうだとしても、この家の敷居は越せないはずだ」。おたねが帰ってきて言う。「家の前の木の下に人相の良くない男が立っている」。しばらくすると、その男が訪ねてくる。「ごめんなさい。おたかはおるかのう」。憎んでも恨んでも忘れようとしても妻として20年ぶりに合わす顔。「おとっつぁん?・・・やっぱり。随分と変わりましたね。達者ですよ。子どもたちも一人前の大人になりました。あがりなさい。誰に遠慮がいるものですか」。何の躊躇いもなく、家を20年前に棄てた父親を招き入れる。

我が妻、我が子棄て、20余年。浮世の旅をつづけたが、寄る年波には勝てない。故郷懐かしく、飢えと寒さで帰ってきた。新二郎とおたねはきちんと挨拶し、迎い入れた。新二郎は優秀な成績で学校を卒業し、教師になった。おたねにも良い縁談があるんですよ。「親は無くても子は育つだなあ。何から何まで結構」と宗太郎。トラやライオンを伴うサーカスの巡業で日本全国を廻っていたが、広島の呉で小屋が全焼してしまい、以後は鳴かず飛ばずだという。老い先は短いがよろしくな。

賢一郎だけが許していない。好きな酒はやめたと言うが、「盃をくれんか」という父親に「知りません」。新二郎が渡そうとすると、「よせ。兄を差し置いて、出しゃばりはやめろ」。そして続ける。「我々に父はいない。20年前、身投げしないですんでよかった。あの頃の貧乏を忘れたのか」。「許してあげてください」と新二郎が言うと、さらに賢一郎は続ける。「何を言うか、新二郎。お母さまは女だから情にほだされるかもしれない。だが、俺は男だ。承知は出来ぬ。子どものときを忘れはすまい。お腹がすいたと母さんに不平を言えば、何と言われた?お腹がすいて苦しければ、無情な父を恨めと言われた」。

「内職のマッチの仕事が半月無かったとき、親子4人が顔を突き合わせ、二日二晩、一粒のままを食べるに泣いた悲しさをよもや忘れやしないだろう。1年、2年であればいい。20年というのは長すぎる。ハガキ一本よこさない。罪も報いもない妻と子を捨てていった。世の中の道楽をし尽して、食うに困って、オメオメと舞い戻ってきやがって。あつかましい。人の心が憎らしい」。そうだ!そうだ!道楽親父なんか、たたき出せ!

だが、新二郎は優しい。「兄さんは普段は情け深い。なのに、きょうに限って冷たいことばかり。いつもの優しい兄さんになってください」。反論する賢一郎。「お前は誰のお蔭で中学まで卒業できた?並大抵の苦労じゃなかった。父親の義務を果たしたのは、この俺だ!」。

これで宗太郎は諦める。「円満な家庭に戻ってきてすまなかった。帰ってきてすまなかった。幸せを祈っておる」。老いた妻を一目見て、子らに心を残し、後ろ髪を引かれる思いで表に出る宗太郎。秋の夜長に鳴く虫が声より細く闇の中、姿は次第に消えていく。

一家には沈黙だけが残った。母の哀しい顔を見て賢一郎が翻る。「罪を許す。愚痴をこぼさない。いいな。早く行って、呼び返してこい」。喜び勇んで新二郎が駆け出した。だが・・・「大変です。父さんの姿が見えません」。後を追う、賢一郎。さあ、どうなるのか…というところで、「ちょうど時間となりました」。

うん、結末をはっきりさせない、この演出が一番いい。罪を憎んで、人を憎まずか。20年道楽三昧で家庭をほったらかしにしていた父親の罪を許せるか?うやむやにしておくのも、また美学かもしれない。