【文菊のへや】抜擢真打昇進から8年余り。“自分の落語”が出来上がって、古今亭文菊は僕の中で赤丸急上昇(下)

タケノワ座配信で「文菊のへや」第十一夜から第十五夜まで観ました。

おととい、きのうに続いて、古今亭文菊師匠の魅力を演目から見ていきます。

第十一夜「四段目」

文菊師匠は歌舞伎をよく観ていて勉強しているのがよくわかる。亡くなった團十郎の声色、猪の前足が海老蔵で、後ろ足が勸玄クンというギャグ、「謀る謀ると思いきや、かえって薬缶に謀られた」という台詞廻し。

四段目の判官切腹の場、石堂右馬丞と薬師寺次郎左衛門の二人の描写含め、本格的。「力弥、力弥、由良助は?」「いまだ参上つかまりませぬ」。九寸五分で腹を召したところに、花道の七三に由良助がやってきたところが絵に描いたように見える。定吉は芝居好きどころではない、マニアかおたくレベルに達しているようで良い。

第十二夜「甲府ぃ」

ひもじさと寒さと恋を比ぶれば、恥ずかしながらひもじさが先。善吉が志をもって江戸に出てきたのに、浅草でスリに遭い、一晩人家の軒先で過ごしたときの辛さをこの表現から入ったのは上手い。

身延山に三年の願掛けをして出てきた善吉の宗旨は法華、豆腐屋の主人は法華の塊というくらいの信者という巡り合わせが、この噺の発端としてスッと頭に入る。善吉の甲府の叔父さん叔母さんに見送られ「何とかなるまで国へ帰らない」と心に決めた気持ちの強さが何とも胸に響く。

長屋のかみさん連中に気に入られて商売繁盛の善吉。あるおかみさんが、「あの人(善吉)が毎晩夢の中に出てきて、豆腐を食べさせようとするの」と他のかみさん連中と噂話をするところ、可笑しい。

了見がいい、というのはこういうことなのか!と思う。だから、豆腐屋夫婦が気に入り、娘のお花も惚れる。主人の慌て者ぶりは愉しい。「お花が善吉に惚れている?じゃぁ、婚礼の支度だ。善さんが何と言うか?恩を忘れて太え野郎だ。お花のどこが悪いんだ!」「お前さん、肝心の話してないじゃないか!」。

甲府に行く善吉とお花。「店からではなく、隠居所から立ってほしい」という楽隠居した主人の言葉も嬉しいし、赤のご飯に尾頭付きで送り出すのも豆腐屋夫婦の人情か。通りかかる近所のかみさんの「まるで芝居の道行だね」の台詞がいい。

第十三夜「時そば」「長短」

寄席のスタンダードナンバーを2席。夜鷹そば。客二つ潰して夜鷹三つ食い。川柳から入るのが粋。夜鷹は一人24文。蕎麦は二八で16文。ちゃんと計算が合う。

植木鉢みたいで満遍なく欠けている丼。苦い汁に太くてベトベトの麺。屋号は「はずれ屋」。これで景気がいいというんだから、やんなっちゃう。

長さんの短七さんが玄関からなかなか入ってこないのにジリジリしているところから可笑しい。「昨夜、驚いちゃった」。火事か?泥棒か?今朝の雨を昨夜のはばかりから話すマイペースな短七さん、いいね。菓子をもらって、「食い物くらいは落ち着いてゆっくり食いたい」、ごもっとも。まだ食べていないのに、エ!?うめえか?はないだろう。

短七さんは昔から気が短い。俺はどちらかと言うと気が長いのかなあ。これでさあ、子供の頃からの友達で、いまだに喧嘩ひとつしたことがない、これでやっぱりどこか気が合うのかなあ。そう!タイプが違う方が気が合うんだと僕は思います。

第十四夜「妾馬」

女氏無くして玉の輿に乗り、男氏無くして玉の汗をかく。こういうフレーズから入るのが好き。八五郎の「侍ってのは、威張ってばかりいて、何を言っているのかわからねえ」という江戸の町人の反骨精神がキラリと光っているのがいい。それで立ち向かえば、大名と威張っている侍たちも案外町人の気持ちがわかってくれるものなんだというのがこの噺のメッセージのように感じた。

八五郎のお屋敷に対して怖気づいていない態度がいい。「ここの大将のレコがあっちの妹なんだ」。「田中三太夫っていう人、いるかい?え?人じゃねえの?」。「八五郎ちゅうんですよ」に「爬虫類?」と返されれば、「控えておれ」に「ヒキガエル?」と返す度胸がいい。で、「おまはんが三ちゃんかい?」。

「ツムリをさげえ」とか、「オモテをあげえ」とか。頭だったら頭、顔だったら顔、符丁で言うからわからねえんだよね。「だめだよ、そこだけでわかってちゃあ。俺にもわかるようにしてくれないと」。即答をぶて、と言われ「ソッポをぶて」かと思った。八五郎はわざとやっているのかもしれない。

酒肴が運ばれ、すっかりご機嫌の八五郎に女中たちが笑う。「一緒に飲むか?ねえちゃん!」、「三太夫さんも飲もうよ!」と言った誘いを「無礼である」とされ、「どこが無礼なの?」。「俺と殿様の仲だよ。本当だったら、殿様がこっちに降りてきて、兄サンと言わなきゃいけないんだ…冗談だよ」。もっともだあ。

兄としての愛情もある。「おつるはいい奴です。ガキの頃からおふくろや俺に逆らったことがない。可愛がってやってください」。さらに、母親のことを思い、「おふくろがメソついているんだ。身分が違うのが情けないって。自分の孫の顔も見ることができない・・・アンチャンのことはどうでもいいから、おふくろをここに呼んでやってくれくれないか。物陰でいいから、赤ん坊のツラを拝ませてやってくれないか。そう、おつるから殿様にお願いしてくれないか」。

周りの雰囲気が人情噺に湿っぽくなったのを察した八五郎は、「殿様、来た甲斐があったよ」「三ちゃんのお陰だよ」と言って、都々逸を披露して場を和ませようとする配慮。案外、八五郎は出来た男ではないか。

第十五夜「紙入れ」

男と女。生きていく上で欠かせない命題だと思っていると、文菊師匠。不思議なもんで、男女の摩擦ができるように(世の中が)こしらえてある、と。そこから町内の間男騒動の小咄に入ったのが良かった。

新吉を呼び込んだおかみさんの強かさが良い。「旦那が新さんを可愛がっているのは、みんな私が裏で糸を引いているからなの。だから、新さんは言いなりになっていればいいの」。それでも怖気づいている新吉に、「私みたいなおばあちゃんなんか、嫌になったんだろう。脇に若い娘でもできたんだろう」と、カマをかける。

で、脅しに近い文句。「いいよ。考えがある」(小声で)「旦那に言いつけちゃう!」(もとに戻って)「酔った勢いで私を口説いたって言っちゃう。そうしたら、新さんは出入り止めだよ」。途中で小声になるのがミソ。これは最大の圧力だ。でもって、「嘘だよ。ウブなんだね」と、解放する。緊張と緩和。手練手管だ。

文菊師匠の場合、濡れ場になる寸前にはいかない。布団が敷いてあって、長襦袢一枚で入ってくるという部分は割愛。差し向かいの料理のところで旦那が帰ってくる。ここは師匠の美学だろう。

で、翌日のおかみさんの言葉もすごい。「旦那の留守に男を引っ張りこんで楽しもうという女だろう?私はそこに抜かりはないと思うよ」。あぁ、女は怖い。