【わが愛しのキャンディーズ】昭和という時代に夢と希望を与えてくれた。そして自分の信じる道を進めと教えてくれた。

BSプレミアムで「わが愛しのキャンディーズ」を観ました。

これはもう、ドキュメンタリーだと思った。「昭和」という時代、特に70年代から80年代初頭の「アイドルブームの集大成」(都倉俊一談)を描いたドキュメンタリーではないかと。われわれのような「高度成長とともに育った世代」のハートを見事に撃ち抜いている。構成は単純と言っては失礼だが、極々シンプルで、ほぼ「ひるのプレゼント」、「レッツゴーヤング」、「紅白歌合戦」での歌唱を繋ぎ合わせて、合間合間にナレーションを入れ、最後は後楽園球場の解散コンサートで締める。だが、そのナレーションが絶妙で、昭和48年にデビューし、53年に解散した、たった5年間のキャンディーズの歴史的意味を明確化している。

実はこの番組が制作、放送されたのは2006年。だが、このほどBSプレミアムで放送されたのは、そのリマスター版を4Kで制作したためで、それほどに昭和芸能史にとって重要な番組であり、優れたソフトであることが証明されたと言っていい。06年にこの番組を作ったディレクターはドキュメンタリーとしての優れた構成力があるディレクターだと思った。と同時に、このような番組が近年、NHKで制作されなくなったことは悲しむべきことだと思う。

流れた楽曲を列挙する。

「微笑がえし」(S53レッツゴーヤング)「春一番」(S51紅白歌合戦)「暑中お見舞い申し上げます」(S52レッツゴーヤング)「あなたに夢中」「危い土曜日」(S53ひるのプレゼント)「年下の男の子」(S50紅白歌合戦)「その気にさせないで」「ハートのエースが出てこない」(S53ひるのプレゼント)「夏が来た!」「やさしい悪魔」「アン・ドゥ・トロワ」「わな」(S52レッツゴーヤング)

「ハートのエースが出てこない」「哀愁のシンフォニー」「微笑がえし」「年下の男の子」「春一番」「あこがれ」「つばさ」(解散コンサート@後楽園球場)

3人はワタナベプロの音楽学院からスクール・メイツの一員になり、「火曜グランドショー」のマスコットガールに抜擢されたところから彼女たちのストーリーははじまる。昭和48年「あなたに夢中」でデビュー。「8時だヨ!全員集合」のレギュラーになった。加藤茶は「他のアイドルと違って、シャレがわかる子たちだった」と語る。今、聴いても歌は上手いし、その上、コメディエンヌとしての才覚もあるから、テレビの裏からも表からも人気がでるのは当然だ。

昭和50年、メインボーカルがスーちゃんからランちゃんに変わった初めての曲「年下の男の子」が50万枚の大ヒット。紅白歌合戦初出場を果たす。「レッツゴーヤング」の司会を一緒に務めた作曲家の都倉俊一が語る。「70年代から80年代前半のアイドルブームの集大成に彼女たちがいた。3人がそれぞれの違う個性を持っていたのが人気の秘密だ。そして、社会にまだ余裕があった時代だった」。

「みごろ!たべごろ!笑いごろ!」(S51~53)で電線音頭を踊る彼女たちの姿が見られたのも、この番組のドキュメンタリーとしての価値を証明している。伊東四朗が語る。「それまでのアイドルは近寄り難かった。だが、彼女たちは身近だった。丸坊主のカツラをかぶり、半ズボンを平気で履くんですよ」。ラン坊、スー吉、ミキ子が三人で「私たちには明日があるじゃない!」というお決まりフレーズは当時、中学生だった僕らの間で流行った。

昭和52年のサマージャック77@日比谷野外音楽堂での突然の解散宣言の映像が入っているのもすごい。ミキが「一人一人、旅立ちたい」と言い、ランが「普通の女の子に戻りたい」と言った。このことは、コンサートスタッフも、中継をしていたテレビ局のスタッフも知らなかったという。そして、翌日の新聞に「わたしたち解散します」と大きな見出しが躍った。中学1年生の僕の脳裏にも鮮明に焼き付いている。解散は翌53年4月4日と決まった。

解散宣言の後のランのインタビューもいい。「一人一人の道を歩みたかったんです。コンサートが終わるときに、また今度会いましょう!というのは嘘になる。嘘はつきたくなかった」と。都倉俊一の分析も鋭い。「中学や高校の子どもたちは誰でも芸能人になりたいという憧れを持っていた。大人がそのレールに乗せてしまう。しばらくすると思う。私の青春って何?価値観が変わってきた。3人の個性がそれぞれに違う道を選んだ」。

解散までのカウントダウン。作詞家の喜多條忠はナベプロからある依頼をされた。「彼女たちをオトナの女にしてくれないか」。キャンディーズ大人化作戦の設計図を描いた。一曲目が「アン・ドゥ・トロワ」だ。そして、ミキを初めてメインボーカルに据えた「わな」。僕は3人の中でミキちゃんが一番好きだった。スーちゃんやランちゃんのファンが大半を占めるなか、なぜそうだったか、わからないが、今考えると彼女が一番大人っぽい雰囲気を感じて憧れていたのかもしれない。

解散コンサートのラス前が藤村美樹作詞の「あこがれ」、ラストが伊藤蘭作詞の「つばさ」というのも象徴的だと思う。大人の女性として、第2の人生を「自分の意思」で選んで飛び立ってほしいという周囲の思い、そして何より彼女たちが自力で巣立っていくんだという意志の現れのような気がしてならない。

彼女たちの解散コンサートのラストメッセージを記す。

私たちは大人の人たちによく言われました。君たちはなんて馬鹿なんだ。こんないい時にバカ騒ぎをして、そんなにまでしてキャンディーズを辞めることはないんじゃないか。でも、私たちは馬鹿じゃありません。そうじゃないから、解散を決めたんです。私たちはよく知っています。キャンディーズは素晴らしいです。全国のファンの人たちが私たちを最高のものに創り上げてくれたんです。だからこそ、私たちは最高のまま解散したいと思います。

昭和という時代に、夢と希望を与えてくれたアイドルグループ、キャンディーズ。彼女たちが、今度は各々の夢や希望を求めて解散した。解散というより、自立したと言った方がいいかもしれない。3人のその後の活動はご存じの通りだ。それぞれに納得のいく道を歩んだ。そして、再結成という選択はしなかった。自分の信じる道を歩め。そう教えてくれたキャンディーズに感謝したい。