柳家さん喬「中村仲蔵」 創意工夫の役者魂はそのまま、さん喬師匠の高座に向き合う姿に通じる。

よみうり大手町ホールで「ザ・柳家さん喬」を見ました。(2020・09・30)

精力的なさん喬師匠にはいつも感服している。この日は四席。「浮世床」「木乃伊取り」「鴻池の犬」「中村仲蔵」を、たっぷり3時間。至福の時間と空間であった。中でもトリの「仲蔵」は、太田その師匠の三味線が入り、情感あふれる高座が印象に残った。8月のCOREDO落語会でも、その師匠の三味線で「たちきり」に新しい工夫が入った素晴らしさを、このブログで書いたが、常に創意工夫を怠らない姿は、まさに歌舞伎役者・中村仲蔵を想起させる。

柳家さん喬「中村仲蔵」

伝九郎の弟子である市十郎(のちの仲蔵)を團十郎が目をかけて、「預からせてくれ」と言う理由が良い。名題からは自分で舞台衣装を調達しなければいけないが、その下の位の役者は貸衣装である。その貸衣装を綺麗に畳み、霧を吹きかける姿を見て、「こいつは見込みがある」と思ったからだ。単純に花道の七三で台詞を忘れて、機転を利かせたというエピソードは誰もが演るが、そこにこの小さな細かい気配りが入ると、なるほど、仲蔵は芝居熱心な役者であることがわかる。

金井某の陰謀で「五段目、斧定九郎一役」しか付かなかったとき、がっかりした仲蔵の女房おみつが「親方が、どんな定九郎を見せてくれるか?」考えた配役ではと励ますと、「気休めを言うな」と反発するも、仲蔵にも期するものがあったのだろう、向島の三囲(みめぐり)稲荷に日参する。妙見様が一般的だが、これを三囲稲荷にしたことがサゲに繋がってくる。

芝居初日まであと5日。参拝の後に雨に降られ、雨宿りに入った蕎麦屋で出会った貧乏旗本・稲葉新三郎を見て、「これこそ、定九郎だ!」と心の中で仲蔵が思い、観察をするとき、「お前は役者だな。ふざけた真似をするな」と新三郎に言われる一幕も、仲蔵の芝居熱心を表していると思った。

芝居開幕。黒紋付、白献上の帯、朱鞘の大小で、水をかぶって、蛇の目傘を差した仲蔵演じる定九郎が山﨑街道に見立てた花道に登場し、「とっつあん!とっつあん!連れになろうか」という台詞から、与市兵衛から財布を奪って口にくわえ、斬り捨て、財布に手を入れ「50両ぉ~」とニヤッと笑うあたりから、太田その師匠の三味線が入り、芝居台詞となるところ、目の前に芝居が見えるようだ。

観客がうなって、声も出ないという様子が、三味線と芝居台詞の相乗効果もあって、実によく伝わってきた。勘平の鉄砲の弾が当たり、口の中に仕込んでおいた赤い絵の具を血に見立て、全身を這うように流れおちる様子も臨場感あふれる。なるほど、仲蔵が創意工夫の役者として、血筋でなくても出世した実力を証明するかのように、説得力のある語りである。

仲蔵が「しくじった」と思い、中村座の外に出て見物客の中に、仲蔵称賛の声を聞いたときの感激も一入だっただろう。そして、親方に呼び出され、大シクジリをしたと謝る仲蔵を見て高笑いする團十郎の「預かってよかった。よくあれだけの芝居を思いついた。鼻が高い。ありがとう」という台詞が、心に沁みた。

女房おみつの内助の功も大きいだろう。仲蔵がおみつに言った、「親方や師匠に褒められた。何だか狐につままれたみたいだ」。これが三囲稲荷につながるわけだ。さん喬師匠、渾身の高座に身震いした。