立川笑二「唐茄子屋政談」「死神」 自分が納得するまで、考えて、考えて、考え抜く落語。ネタおろしに甘えは微塵もない。

上野広小路亭で「立川笑二月例独演会」を観ました。(2020・07・25&08・24)

7月、8月と2か月連続で笑二さんの月例独演会に行くことができた。7月は「唐茄子屋政談」、8月は「死神」をネタおろしということで、それも注目だったのだが、それ以外のネタも笑二さん独自の解釈による構築がされた「自分の落語」になっていて、とても興味深かった。

7月「棒鱈」「黄金餅」「唐茄子屋政談」

8月「弥次郎」「五貫裁き」「死神」

「黄金餅」は師匠・談笑の型をかなり踏襲しながら、自分らしい高座に仕上げている。最初の金兵衛と西念のやりとりから、面白い。二朱で買ってやったあんころ餅の餡だけ食べて餅をどうするか、隣り合わせの長屋住まいなので、壁に穴をあけて、そこの穴から金兵衛が覗いている描写がいかにも貧民窟。まだ死んでいないかもしれない西念を「金は俺が貰った!」と殴り、口から餅に包んだ金を「出せよ!」と留めを刺し、死ぬと「寿命か」(笑)。

で、長屋連中が悔やみに来ると、「死体が見たい奴は木戸銭を払え」。連中もさるもので、西念が金を貯め込んでいたことを知っていて、戦々兢々な空気がすごい。大家までもが念仏を唱えながら、家探ししているし。麻布の木蓮寺で弔いが終わると、長屋連中に帰ってもらいたい金兵衛は「西念さんが『天井裏は覗くな』と言っていた」で、皆帰った。

棺桶代わりの樽を背負って、金兵衛が焼き場に向かう途中で、「本当の親父だと思っていたんだ。贅沢は言わない、人並みでいい、あんな長屋を抜け出して、二人で笑いながら生きたかった」と心にもないことを言うと、樽から声がするので、金兵衛は締め殺し、「生き返ったかと思ったあ。ビックリしたあ」。焼き場でも、生焼きを頼んだはずなのに、白骨になっているので、仕方なく拾っていると、「それは、うちの爺さんのだ!」と違う弔いから苦情がくる。終始ブラックな噺がいい。

「唐茄子屋政談」は美談にするには、もっと説得力が必要だろうと考えてきた。若旦那が誓願寺のおかみさんを助けたことで勘当が揺れるという終わり方が大概だが、そんな簡単に若旦那が真面目になるわけない。少しはマシになったみたいだな。稼ぐことの大切さがわかっただろう。人の親切が身に沁みただろう。と叔父さんが言ったあとの若旦那の決意が良い。「しばらくは自分の力で稼いでみます」「どうやって?」「とーなすやでござーい」。ガッテン!そうなんだよ。天秤棒を一回きり担いだだけ、それもほとんどは田原町の優しい江戸っ子に売りさばいてもらっただけ。あすからの商売が本当の修行。それを若旦那がわかった、ということが、このエピソードで伝わることが大切ではないか。僕も同感である。

「弥次郎」は久しぶりだそうだ。沖縄出身の笑二さんらしいアレンジ。東北、恐山の武者修行が色々あって、流れ着いたのは琉球王国。「港へはどう行ったらいいですか?」を、沖縄の方言で言うのが愉しい。読谷村から那覇に行くには遠回りした方がいい。そこには米軍基地があるから。そして、まさかのオスプレイ堕ち!

「死神」。死神は「人を殺す神様」ではなく、「人間が死んでいくのが好きな神様」という捉え方で構築しているのがいい。だから、借金に困って首を括ろうとしていた男には「お前は寿命がある。それを始末するのは手間だ。だから生きろ!」という。そういう理屈ぽいのは嫌いな方もいるだろうが、僕は好き。

医者になって金儲けした男は、女房をほったらかしにして、吉原で遊んでいたのであろう、一カ月帰らない。ようやく帰ってきたと思ったら、3カ月ほど上方に行くからという。おすずという女を妾にして、上方見物しようと約束したのだ。臨月の女房は「それじゃあ、産まれちまうよ。心細いじゃないか」と言うが、男は面倒だから「いくらでもやるから出てけ!」。結局、上方見物を終えて散財すると、おすずも消えてしまうのだが。金の切れ目は縁の切れ目。

以前のように医者をやるが、患者が枕元ばかり、近江屋善兵衛のところの番頭が「千両出すのでなんとかしてくれ」と言い、「枕元じゃなくて足元に死神がいればなあ」と男がつぶやくと、番頭は「じゃあ、枕元と足元を入れ替えればいいんじゃあ?」と。そう!これは男の智恵ではなく、番頭の智恵というところはポイント。でも、死神との約束は破っているんだが。で、近江屋主人は治る。

と同時に、男の体調は悪化する。これは蝋燭が入れ替わったことを暗示する。だから、千両入っても、酒や御馳走にもありつけず、布団を敷いて床に就いてしまう。咳き込む。最初は「俺も歳かな。一晩寝なかったからな。くたびれた」と軽く考えていたが。そこに死神が現れ、「うまいことやりやがったな。知ってらあ。だって、枕元にいたのは俺だから」。一緒に出掛けようと死神は誘うが、「眠りたい」と断る男。すると、「死神が枕元にいるんだ。気づかないか?お前は死ぬよ」。ガッテン!

そして、死神の住み家に連れていかれる。まぶしい。沢山の蝋燭。「この弱々しい、消えそうな蝋燭がお前だ」。そして、勢いのある蝋燭を見せ、「これがお前の息子だ。玉のような男の子だったぞ。長生きするぞ」。出産の立ち合いもしなかった男の罪を責める。「もっと面白いものを見せてやろう」と、死神は別れた女房の蝋燭を見せる。半分くらいの長さ。それを、男はフッと吹いて消してしまう。そして、消えそうな俺の蝋燭の火を、この蝋燭に点けるんだ。道理である。燃えさしを自分で作る。

こうしたら、俺は助かるんだろ?お前だって、俺を始末しなくて済むんだろ。ガンバレ!やってやるぞ!手が震える。点いた!よくやった!助かったぞ!やったー!しかし、男はその場で倒れて、サゲ。最後の意味するところは僕にはわからなかった。そんな思い通りにはいかない、という戒めかとも思う。蝋燭が燃えているだけではない、なにか人間の生命力みたいなものがあるのかもしれない。寿命、と一括りにはできない、人間の生き死に、について考えた。