浪曲愛がほとばしる!その魅力は世代や国境をも超える 玉川奈々福

MDLで「うなる!語る!ソウルフル!玉川奈々福のほとばしる浪花節」第1回~第3回を観ました。(2020・05・17&23&30)

奈々福さんの浪曲への熱い思い。コロナ禍で、それをどう表現し、どう全国、いや海外の視聴者まで届けるか。まだまだ知らない人の多い「浪曲の魅力」を配信によって伝えること、いとうせいこうさんが旗振りをしているMDL(ミュージック・ドント・ロックダウン)の力を借りて、YouTubeによって、この5月に3回、奈々福さんの新たなる挑戦がはじまった。

当初、第1回から日本浪曲協会の一階大広間からナマ配信する予定だったのが、曲師(浪曲師の相三味線を入れる)である(人間国宝級だと僕自身は勝手に思っている)、83歳の沢村豊子師匠が、2か月にわたる外出自粛で骨粗鬆症の薬を切らし、クシャミをしたら背骨の圧迫骨折をするというハプニングが発生。同じ広間で3月21・22日に開かれた「稽古会」の口演を何と4カメ!で収録していたため、その中から奈々福さんの高座二席を、急遽、田島空監督の名編集で第1回、第2回は配信することに。そして、第3回、念願の豊子師匠の復帰が叶い、満を持してナマ配信されたことは、大変に嬉しかったです!

5月17日(日)奈々福/豊子「寛永三馬術より大井川乗り切り」(3月21日収録)

23日(土)奈々福/豊子「陸奥間違い」(3月22日収録)

30日(土)奈々福/豊子「細川の茶碗屋敷」

「東京人」(都市出版)2017年2月号「特集 平成の浪曲時代がやってきた!」の中で、稲田和浩さんは奈々福さんについてこう書いている。以下、抜粋。

元は出版社に勤務していた。浪曲にも編集力が活かされていて、聴かせどころが明確に客席に伝わってゆく。それ以上に、奈々福は「浪曲が大好き」なんだ。浪曲師はたいてい浪曲が好きで浪曲をやっているが、奈々福の「浪曲好き」は他を圧倒する。その大好きな浪曲だ。「ねえ、浪曲って、こんなに面白いのよ」というアピールが、奈々福の高座から客席に響いている。

三味線弾きから浪曲師になった。今もときどい三味線を弾く。自作の新作の台本もかく。そして、自らの会や、浪曲イベントのプロデュースも手掛けている。縦横無尽の活躍ぶりだ。(中略)新作だけでなく、「慶安太平記」や「寛永三馬術」、大師匠(三代目玉川勝太郎)が得意にしていた「細川の茶碗屋敷」など、威勢がよく面白いネタに、奈々福節が冴える。「面白くなければ浪曲じゃない」と言ったのは、奈々福の師匠、故玉川福太郎だ。その薫陶が、奈々福の高座に生きている。

名人、沢村豊子を相三味線に、いろいろなところに出掛けて高座を務めている。高座が多いから、うまくなる。プロデューサーとして何を仕掛けるかももちろんだが、浪曲師としてもますます楽しみな存在である。以上、抜粋。

稲田先生の文章に出てきた、大師匠(三代目玉川勝太郎)の「細川の茶碗屋敷」。奈々福さんが受け継いで、この配信の3回目にかかった。素晴らしかった。落語の「井戸の茶碗」をご存じの方はストーリーが想像できると思うが、落語とだいぶ演出や設定が違うし、それ以前に「生き方の筋を通す」(奈々福談)という一本のメッセージがこの浪曲にはある。稲田先生が表現された「聴かせどころが明確に客席に伝わってゆく」、まさにそういう高座だった。

仏像を屑屋から求めた吉田武左衛門が、仏像から出てきた50両を受け取るわけにはいかない、元の持ち主である高木左太夫に返せ、という理屈は「井戸茶」と同じ。しかし、高木は50両を受け取る代わりに、茶碗を渡すが、その茶碗の価値を判っていて渡している。なるほど、50両の価値のあるものを吉田に渡した。二人の武士はどちらも「筋を通し」ている!

また、仲介した大家は高木の娘が病気で寝込んでいる父親の看護を甲斐甲斐しくしていることを判っている。また金の工面がつかずに質屋に風呂敷包みを抱えて娘が入っていくところをも見て不憫に思っていた。二人の頑固な武士に困り果てた屑屋を救うというよりも、貧している高木を助けてやりたいという人情が、この大家には流れているんだねえ。

高木が吉田に渡した茶碗も、たまたま吉田の家を訪問した細川家茶道指南役の山崎勇斎が、お茶を出されたときに、ビックリするという自然な流れがいい。そして、その価値について、しっかりと伝えている。太閤殿下が朝鮮出兵の折り、敵に対する一番槍を争った武者たちの武勇に褒美を遣わせたのが、この「高麗高坏の茶碗」で、その武者の一人に有馬家の武士の高木将監がいたから、おそらくその末孫であろう、と推測までする。なるほど!名器のいわれまで啖呵に入ると、ガッテン!

また、屑屋の与兵衛は、20文で高木から引き取った仏像を、吉田に200文で売っている。チャッカリと小銭を儲けているのが可笑しい。また、エンディングでは、細川の殿様が吉田に500石加増するから、その茶碗を譲ってほしいと言うと、吉田は「それでは武士道に傷がつく」と断る!その上で、「高木父娘を召し抱えてほしい」と願い出るんだ。ホントに、一本筋が通っているねえ。大好きだ。で、高木左太夫の娘が細川家の二番家老の次男を婿に迎えたという。いやぁ、落語の「井戸の茶碗」も大好きだし、屑屋を含めて三人が清廉潔白で、正直者という設定の上で、頑固にもほどがある!と笑いをとる部分もある素敵な噺だけれど、浪曲の「茶碗屋敷」もいいでしょ!

奈々福さんの、落語より圧倒的にマイナーな話芸である浪曲をもっともっといろいろな人たちに知ってもらいたいという熱い思い。それが今回の配信にもよく現れていて、第1回と第2回のオープニングで「浪曲入門」的なことをお話しになっていた。以下、メモを基に。

浪曲、浪花節ともいう。落語や講談は座って演る芸だが、浪曲は立って演る。演台の前で唸り、下手に茶飲み台、演者の後ろに背掛けがある。元々は大道芸で、声の圧で伝えることが肝心な芸。青筋立てて唸ります。演台にかかっている布は「業界用語でテーブル掛け」と言います!浪曲師と曲師の二人芸。浪曲師を見ながら、曲師は三味線を弾く。譜面がない。オールアドリブ!浪曲は三味線にのせてうなる節と、語りの部分の啖呵で成り立っている。節に合わせて曲師は瞬間的にこれは〇〇節だな、とか判断して演奏。時間的に微妙なときや、なにかのきっかえがあるときだけ、浪曲師から曲師に目で合図を出すけれど。浪曲師によって、同じ演題でも弾く手が全然違う。呼吸の長さも決まってない。啖呵のときは、これが悲しいのか、楽しいのか、ビックリしているのか、その場面に応じて、曲師が音をつくっていく。スットコドイの芸ですよ!(笑)。

豊子師匠なんか、11歳から曲師をやっているので、相手の呼吸を計る上手さは抜群で、うなっていても気持ちが良い。コール&レスポンスの芸。曲師と浪曲師同様、お客様と浪曲師の関係も。いま、全国に浪曲師と曲師合わせて90人ほど。落語の10分の1。昭和20年代は浪曲師が長者番付の上位に何人も載るくらいのブームがあったの…。浪曲師が出てきたら、「待ってました!」、演題を言ったら、「たっぷり!」、盛り上がったら、「名調子!」「日本一!」と声をかけて。

浪曲の起源は、ちょぼくれ、ちょんがれ、説教節、祭文、阿呆陀羅経。国松という人が東京府知事に贔屓にされ、援助するから協会を作れと言われたが、25人必要で、かっぽれの梅坊主さんのお願いして加わってもらい、なんとか25人を確保した。これで明治政府から芸人鑑札が出る。で、その芸の名前をどうするか。正岡容先生の説によれば、関西に浮かれ節というのがあるから、「浪花節にしちゃえ!」って名前がついた(「日本浪曲史」より)とも。歴史は落語や講談より新しいので、落語や講談からネタをもらって浪曲にするパターンが結構多い。「安中草三」「塩原多助」なんかそう。

でね、僕は完全に勘違いしていたんだけれど、落語家の三遊亭兼好師匠が「陸奥間違い」を演ったのを初めて聴いたときに、「面白い!」と思って伺ったら、「これ、浪曲ネタなんですよ」って。それで、奈々福さんや太福さんの「陸奥間違い」を聴いて、本家の浪曲もいいなぁ、と思っていたの。そうしたら、奈々福さんが、「これは広沢菊春という、今の澤孝子さんの師匠ですね、その方は笑いの多い落語を浪曲にするのが得意で、落語浪曲と呼ばれていた」って言うので、ビックリ!奈々福さんは、菊春師匠の一番弟子の方から福太郎師匠が習い、それを奈々福さんが習ったものだそう。へぇー!

この話も滑稽だけれど、人間らしいというか、身分を超えた人情というと言い過ぎかもしれないけど、登場人物がみんな温かくて、好きです。穴山小左衛門という直参という身分の低い武士が借金のやりくりに困って、兄弟分の松野陸奥守に工面を頼むんだけど、その使いの仙助の粗忽が巻き起こす騒動。松野じゃなくて、松平陸奥守のお屋敷に行っちゃった。300石の旗本に頼むことを、62万石の大大名に頼んじゃった!「三十両」の「十」は、「千」の間違いだろうって、三千両を用立てしてくれちゃう。直参に頼まれたことを「失礼千万!」とするのではなく、「大名の中の大名と見込まれた」と意気に感じちゃう松平様、いいですね!欠字という風習によって起こったミスなんだけど、将軍の家綱さんまで気にいっちゃって、「そーせー」(笑)。松野陸奥守は何もしないで出世しちゃういう、ハッピーエンドがイイネ!

「AERA」(朝日新聞社)2018年9月17日号の「現代の肖像 浪曲師・玉川奈々福 浪曲を今に生きる大衆芸能に」(文=千葉望)からの抜粋。

「浪曲は伝統芸能じゃなくて大衆芸能なんだから、お客さんとつながれない人はダメですよ」(奈々福)。奈々福自身、歌舞伎や文楽にも通うが、大衆演劇の大ファンである。4年間、奈々福の記録映像を撮影し続ける田島空は、「去年、大好きな大衆演劇の役者さんを追っかけて九州まで行くというので、一緒に行くというので、一緒に行きましたよ。それこそ少女みたいな目がキラキラでした」と笑う。

日本を代表する知識人と仕事をしてきた彼女が浪曲師になり、庶民の芸能を全身で楽しむ姿はまったく矛盾していない。日本芸能史を学び、深く分け入るほど、その豊かさを支えてきたのは社会の中心から疎外され続けた人々であることが身にしみるからだ。浪曲は芸能の世界でも一段低く見られてきたという。「今でも、小さな頃にこの世界に入ったためきちんと教育が受けられず、読むことはできても、書くのは苦手という年配の師匠方がいらっしゃいます」(奈々福)。(中略)。

自ら「語り芸パースペクティブ」を企画してみて、奈々福にはさまざまな発見があった。「落語も講談も浪曲と近接してると思っていたけど、全く別の芸能なんだなあってわかりました」。(落語作家の)小佐田定雄は奈々福に「講談は賢い声を出す。落語は嘘の声を出す」と言ったことがある。「そしたら奈々福が『浪曲はアホな声を出す!』と返してきた。『大当たり!』ですよ(笑)」。以上、抜粋。

第3回の配信で、「茶碗屋敷」を演った後、視聴者からの質問タイムをチャットで設けた。それは質問というより、応援や感謝のメッセージだった。「胸がいっぱい。感動しました」「早く火曜亭(毎週火曜夜に日本浪曲協会の広間で開催される会)に行きたいです」「木馬亭(浪曲の定席)、行きます!」「浪曲を初めて聴きました。豊かな時間を過ごせました」「地方に住んでいるので、こういう配信はありがたい。是非、続けてほしい」等々。

これを受けて、奈々福さんも「火曜亭は狭い空間なので、再開をいつできるか、慎重に、かつ前向きに検討します」「木馬亭は6月1日から再開です!是非、お越しください!」「配信は今後も続けていきたいです。奈々福チャンネルにご登録いただき、チェックしてください」。豊子師匠が「お客様がいなくても、これだけのことができるんだね。やっぱり、ナマに限るねぇ」と言うと、奈々福さんも「ライブはテンションが高まるし、やっと血のめぐった芸ができた」と。「配信は収録してチェックするメリットもあるが、ナマ配信は怖いけれど、やっぱりやりたい」とも。木馬亭再開で、1日には奈々福さんの弟子の奈みほさんが浪曲師として初高座。4日には豊子師匠の弟子のなみさんが奈々福さんの高座で曲師デビュー!また、奈々福チャンネルでは、「傑作浪曲音源自慢雑談大会」の第1回と第2回が真山隼人さんセレクトで聴けます!第3回は奈々福さんの担当とのことで、こちらも楽しみ!

では、最後に再び「AERA」(朝日新聞社)2018年9月17日号の「現代の肖像 浪曲師・玉川奈々福 浪曲を今に生きる大衆芸能に」(文=千葉望)からの抜粋。

奈々福の人気は高まり、異分野とのコラボ公演も増える一方である。(中略)アイデアは次々に湧く。ある地方公演に同行したら、自分の衣装に加えて曲師の沢村豊子の荷物や三味線まで持つ奈々福は、大きなバッグを5つも運んでいた。「奈々福ったら、主催する自分の会で当日精算するためのお釣りまで自分で用意するんですよ(笑)。プロデュースはやめて実演だけに絞ったらどんなにすごいかと思うけど、彼女の場合は実演だけじゃダメなんでしょうね」(田島空)。こういう独自のやり方は、「いちばん尊敬している」という落語家の柳家喬太郎に学んだものだ。「喬太郎アニさんをうならせたい」と題した公演にも招く。

「喬太郎師匠は落語という伝承芸を使いながら、≪今≫との闘い方がすごい。古典へのリスペクトはあるけど、壊す勇気もある。破格の方です」。浪曲を今に生きる芸能にしていこうという奈々福にとって、格好の手本なのだ。喬太郎は「今の奈々福はいい顔してると思いますよ。肌もきれいだしね。自分の好きなことを腹据えてやってるから、アンチエイジングにまわってるのかもね。腹据えるのが大事なんですよ。それができねぇヤツは芸人なんてやっちゃいけないんだ」と言った。

3年前、今後の浪曲界を背負って立つといわれた国本武春が55歳で死んだとき、沈鬱な空気の中で代役を奈々福が務めたことがある。「楽屋も拍手喝采だったというからね。奈々福にはそういう責任感がある。まだ武春兄さんには及ばなくても、これから浪花節の世界をある意味で背負っていく大事な人ですからね」(喬太郎)。以上、抜粋。

今年1月8日から24日まで、PARCOプロデュース、脚本・鈴木聡、演出・ラサール石井で、「阿呆浪士」という演劇が新国立劇場中劇場で上演された。赤穂浪士の義士伝のパロディの実に面白い舞台だったが、主演はジャニーズの戸塚翔太さん、福田悠太さんだったので、僕が観に行ったときも、9割方は若い女性客だった。ここに七福亭玉千代という狂言回しの役に抜擢されたのが、奈々福さんだった。このときの奈々福さんのユーモア溢れる節回しが若い感性を刺激したのだろう。後日、「木馬亭にジャニーズファンの女の子が入場したんですよ!」と嬉しそうに喋る奈々福さんの笑顔が今も忘れられない。浪曲を知ってもらいたい!その奈々福さんの熱い思いは、これからも続く。