寄席の“いぶし銀” 稲荷町の血を受け継ぐ 林家正雀

YouTube「落語家:林家正雀」で、第一夜から第十三夜まで観ました。

寄席が恋しいです。トリに向かって芸人が流れを作っていく、その流れに身をゆだねる心地よさ。それは色物さんだけでなく、15分高座でつなぐ噺家さんも大切で、若手だったら自分のできることは何かを考え全力投球するし、ベテランの大御所が軽く肩の凝らない噺で愉しませようとする。漫談で逃げちゃう人もたまにいるけど。いくつかの波がありながら、3時間半から4時間の贅沢な時間を過ごすのは、実に乙なもので、それが今、コロナ禍で休席になっているのは寂しい限りです。

林家正雀師匠。僕の中で、ベテラン真打で「いぶし銀」の高座を見せてくれる存在の中のお一人である。おなじみの噺でも、師匠がお演りになると、また違う味わいがあるし、持ちネタが多いので、「え!このネタ、初めて!得した!」と思うレアな演目をかけることもあり、好きです。

【林家正雀】1951年、山梨県大月市出身。74年、八代目正蔵に入門、茂蔵。まもなく繁蔵。78年、二ツ目昇進、正雀。79年、NHK新人落語コンクール最優秀賞。82年、正蔵没。文蔵(先代)門下へ。83年、真打昇進。87年、92年と文化庁芸術祭賞。96年、芸術選奨大衆芸能部門新人賞。

もちろん稲荷町、八代目正蔵師匠(のちの彦六)が得意とした怪談噺や芝居音曲噺を受け継ぎ、現在はその分野では第一人者だから、師匠ゆかりの演目を中心にネタだししてトリをとる興行もあり、そちらも魅力であることは言わずもがな。例えば…。

2019年10月鈴本演芸場上席夜の部。「幸助餅」「紙屑屋」「らくだ」「男の花道」「浜野矩随」「お富与三郎」「藁人形」「左の腕(松本清張原作)」「笠と赤い風車(平岩弓枝原作)」

「東京かわら版」2013年11月号の「今月のインタビュー 林家正雀」からの抜粋。

祖母が芝居や義太夫が大変に好きで、寝物語で芝居のセリフとか義太夫を語るんですけど、その七五調のリズムが心地よくてとても好きになったんです。(中略)それをあたしがまともに受けたんでしょうね。「月を朧に白魚の」とか「知らざぁ言って聞かせやしょう」とか。それが何の芝居だかわからなくても耳に心地いいんですよね。普段の生活の中にも芝居のセリフが入っていましたよね。「とんだところへ北村大膳」とか「せまじきものは宮仕え」とかねぇ。

小学校に上がる頃には、もうとにかくそういうものが聴きたかった。当時ラジオで舞台中継っていうのがあったんですよ。芝居の幕が開いて、下手に茶店があってこっちに大きな杉が立っているというような解説があるわけです。芝居ってものをよくわからないながらも自分の頭ン中で広がって、子どもの頃からそういう世界に自分が浸ることに喜びを感じていたんでしょうねえ。お祭りやなんかで大衆演劇が小屋に打ちに来るのも楽しみでね。(中略)

お化粧塗るだけでも嬉しいっていうんならそれでいいんでしょうけど、あたしはそこまでじゃないんですよね。やっぱり他に自分のやりたいものがあるはずだっていう。大学二年のときに師匠の「双蝶々雪の子別れ」という、道具を飾った芝居噺っていうのを初めて見たんです。人情噺でいっておしまいに柝がチョーンと入って後ろの幕が落ちて絵が出て、そこから立ち回りになって芝居っぽくなる。噺と芝居と両方兼ね備えたものじゃないですか。「こういう芸があるんだ、これはやりたい」と思ったんです。それから稲荷町の弟子になろうっていうことを強く思いましたね、ええ。以上、抜粋。

幼少期から「芝居噺」への下地が無意識にあった。そして、大学時代に稲荷町の芝居噺と巡り会った。これは、もはや天職ですね。

2012年刊行の林家正雀著「彦六覚え帖」(うなぎ書房)から、師匠の思い出を。以下、抜粋。

師匠は若い頃から何かというと理屈をこねて怒り出す「とんがり」だと仲間から言われていたそうですが、別に気にもせず、むしろ「わたしはとんがりです」と、少し自慢げに言っておりました。それは、「自分のことで腹は立てない。他人のことでとんがる」という強い気持ちがあってのことだったと思います。「林家は怖いでしょう」と、仲間やお客さまからも聞かれましたが、もともと師匠は怖いのですから(いつ破門だと言われかねないので)、人様が思うほど、そばにいてもそんなに怖いおそろしいとは思いませんでした。師匠はどこかユーモラスなところも随分あったからです。

前座になったばかりの頃、成田で協会の寄り合いがありました。その時の余興で、私が「俵星玄蕃」を歌ったのです。そうしましたら、師匠が立ち上がり、「うちの前座が親不孝な声を張り上げて誠に申し訳ございません」と言って突然、狂言風の余興を演り出し、「やるまいぞ、やるまいぞ」と言って引っ込むと、それはもうやんやの拍手喝采でした。以上、抜粋。

そんな師匠の薫陶を受けた正雀師匠は、96年4月から「醒睡笑」と題した音曲芝居噺研究会をスタートさせた。第一回は清元延初麿師匠をゲストに迎え、「魂の入れ替え」と「稽古屋」、第二回は義太夫の竹本朝重師匠を迎え、「豊竹屋」と「猫の忠信」、第三回は長唄の東音尼崎明師匠を迎え、「うどん屋」と「たちきり」・・・。僕の調べた限りでは、2012年10月の第36回、落語と常磐津で「紙屑屋」と「出世浄瑠璃」をかけたところまで。きちんと調べられたら、加筆します。

そんな正雀師匠のエッセンスが垣間見える、現在、十三席が配信中です。

第一夜「大どこの犬」捨て犬3匹のうち、小僧はクロを可愛がっていたが、大阪の鴻池の大店の坊ちゃんが可愛がっていた愛犬にそっくりと番頭に5円引き取られ…。僕は乾物屋の小僧はさぞ、寂しかったろうと思ってしまうの。

第二夜「四段目」芝居が好きで好きでたまらない定吉。蔵の中での力弥と判官のやりとりのセリフ回しは、まさに本格本寸法!

第三夜「茄子娘」茄子の精が現れ、肩を揉んでもらっているうちに、雷が落ちて艶っぽい雰囲気に…。ファンタジーなんだけどね。

第四夜「松山鏡」これもファンタジーですよね。鏡を知らない村。正直者の正助と悋気の女房のかわいい喧嘩がいいっス。

第5夜「大師の杵」おもよが弘法大師の布団の中に手を入れたら…(ちょっと艶っぽい)、杵!ガックリ。ここで師匠は義太夫だったらと、浄瑠璃を語るくだりがたまらないです。

第6夜「鼓ヶ滝」西行が天狗の鼻をへし折られるというより、素直に老夫婦と孫娘の意見を受け入れるのがいい。お互いに謙虚。この三人が和歌三神とは!

第7夜「田能久」これもファンタジー!狸と間違えた大蛇と久兵衛さんの会話。そして、嫌いなものは「金だ」という純朴さ。徳島の民話で、地元の小学生は課題で夏休みに「狸の絵」を描かされるそう(小学校時代を徳島で過ごした妻情報)

第8夜「紀州」聞き違いのマクラで、入院した九代目文治師匠を見舞った稲荷町の実話がおかしい。「足が痛い」が「足が見たい」で、看護婦さんに頼んだら、恥ずかしいがりながらスカートをまくってくれた!いい時代だなぁ。

第9夜「開帳の雪隠」回向院の傍の老夫婦のやりとりがほのぼの。悪智恵を働かせた爺さんだけど、可愛くて許せちゃう。

第10夜「紙屑屋」これはもう、師匠の独壇場。清元三枚三丁で「情けなや、この姿」「待ってました!紙屑屋!」。都々逸、「その気になるならその気になる気、ならなきゃその気にならない気」「夢に見るよじゃ惚れよは薄い、芯から惚れたら寝られない」。「籠釣瓶花街酔醒」、八ツ橋花魁が歌大成駒の右衛門で、佐野次郎左衛門がなぜか彦六!すごい!義太夫「絵本太功記」尼崎の段、光秀に対する妻・操のクドキを語るのもすごい!もう、お薦めです!

第11夜「黄金の大黒」紋付の羽織や口上で、長屋連中がわいわいがやがやする楽しさ。

第12夜「元犬」無理にじゃなくて、自然と変わっている人を使用人にほしい旦那って。

おまけ:第三夜のマクラがすごい面白いです。古本屋めぐりが趣味で、古書市に行ったら、オロナイン軟膏のブリキの看板が売っていた。浪花千栄子(1907-1973)のやつ。なんと、1万8千円の根がついていた。買わなかったけど…と言って、あまり詳しくないと言いながら、どんどん浪花千栄子さんの思い出を語るの。NHKのラジオドラマ「お父さんはお人好し」(1954-1965、全500回)は大阪発の番組で、花菱アチャコと夫婦を演じていた。松竹新喜劇で(2代目)渋谷天外と結婚、そして離婚。ちなみに天外の再婚相手・渋谷喜久栄はソ連に亡命。あとは、映画「おさん茂兵衛」(1954、正式タイトルは「近松物語」)で、長谷川一夫と香川京子のコンビ。その母親が浪花千栄子。映画「瞼の母」(1962大映)、中村錦之助と大川恵子のコンビ。そこで夜鷹の役を沢村貞子が演じていて、三味線を弾いていたのが浪花千栄子。で、どうしてオロナイン軟膏の看板になったか?本名が南口(なんこう)キクノ!これ、実話!

そして、第十三夜「左の腕(松本清張作)」!ついに長編です!

元々、この噺は八代目が亡くなった後、正雀さん(当時二ツ目)が兄弟子の文蔵門下に入りましたが、その先代文蔵師匠が存命中の松本清張先生に手紙を書いて許可を頂き、落語にしたもの。去年12月に当代の文蔵師匠がネタ下ろしで、この噺を演っていました。正雀師匠も、松本清張記念館の館長に許可をもらい、演じるようになったそう。名作です。ミステリー要素あり、人情噺の要素あり、任侠モノの要素もあって、実に興味深く、40分弱ありますが、全く長さを感じません。元は飴屋だった卯助の左の腕に巻いた布の理由は火傷の跡ではなかった。器量よしの芸者、娘おあきと一緒にさせろと岡っ引きの浅吉に脅されるが。奉公先の松葉屋に強盗が押し込み、卯助の過去が解き明かされる…。くらいに留めておきます。是非、ご覧あれ!

外出自粛の自宅ではベテランの正雀師匠のいぶし銀の高座はありがたいです。第9夜と第10夜の間には「奴さん」を踊る正雀師匠の動画もあります。師匠のHP「雀のお宿」で検索してみてください。