古今亭の暖簾と、丞様という個性と。 古今亭菊之丞の落語美学

YouTubeで「古今亭菊之丞でじたる独演会三夜連続配信」を観ました。(2020・05・04~06)

時系列が逆転して恐縮だが、千穐楽の最後の菊之丞師匠のお話に、とても共感した。大藏流狂言師の善竹富太郎さんが新型コロナで先日、40歳の若さで亡くなられたことに触れたからだ。同じ伝統芸能の担い手として交流されていたそうで、「あんな“つまらない病”で、若い才能を失ったことは無念でならない。悔しい」とおっしゃっていた。いや、本当にそうである。“つまらない病”という表現に、師匠の怒りがこめられている気がして、胸にグッときた。富太郎さんは、「狂言はお笑い」という考え方の持ち主で、狂言をもっと身近に感じてもらおうと、さまざまな活動をされてきた。YouTubeで「そもそも、タピオカってなんなの」とか、「機動戦士ガンダムのギレンサビで自己紹介」とか、狂言で表現してアップしたり、大学のミュージカル学科などで講師をされたり、今年3月にはイケメン俳優による「狂言男師」という舞台をプロデュースしたりと奔走していた。ご冥福をお祈り申し上げます。

それから、北海道の視聴者からきたメッセージには泣いてしまった。池袋演芸場で両親が菊之丞師匠の高座を観てとても好きになった。それで、2月に道新ホールで独演会があることを知り、チケットを買って楽しみにしていたのに、父親のがんが見つかり、帰らぬ人になってしまった。きのう、母と一緒に「法事の茶」を聴きながら、空席の座席が何度か映されたときに、母が「私たちはあそこあたりに座っていたんだよ」と指さし、そして、「この噺みたいに、念じると死んだ人でも逢いたい人に会えるといいね」と泣いていたと。師匠の心温まるメッセージが良かった。「心の中に焙炉や茶漉しを持っていれば、必ず逢えます。どうか、お父様を思い出してください」。そして、「寄席が再開したら、今度は母子で落語を聴きにきてくださいね」。

コロナ禍の中、菊之丞師匠が配信を決断された。急遽、池袋演芸場の協力をいただき、MEDIGAさんに技術面のサポートをもらい、ゴールデンウイーク期間中の配信が実現したこと、素晴らしいです。途中、池袋演芸場にLAN回線がないことが判明し、配信直前に収録して、それを配信するということになったが、その高座の合間に生中継で師匠がトークし、視聴者のツイートやチャットやメールに真摯に答えている姿にお人柄が垣間見えた。また、仲日に音声ノイズが入るというトラブルがあったが、徹夜でデジタルスタッフが修正し、翌朝のアーカイブでは綺麗な音声になっていたのには、本当に頭が下がる思いだ。

菊之丞師匠が初日に「どうしても、古今亭のお家芸である『火焔太鼓』を演りたかった」とおっしゃっていた。そのお気持ちというか、心意気に共感した。古今亭の暖簾。千穐楽に、志ん朝師匠の直弟子が本流で、我々は(文菊師匠含め)、円菊一門であり、「亜流」と謙遜されていたが、そんなことはないと思う。金原亭一門含め、志ん生師匠につながっている噺家さん全員が「古今亭の暖簾」を守り、発展させてほしい。実際、志ん生という名跡を預かっている鈴本が、07年10月に、年2回おこなっていた余一会「柳家小三治独演会」が最終回を迎えたときに、2年間の空白を作って熟考し、その枠を09年10月から「古今亭菊之丞独演会」としたのが何よりの証拠だ。第1回で「らくだ」「湯屋番」の高座は今でも覚えているし、2011年5月「酢豆腐」「付き馬」、10月「文七元結」「火焔太鼓」と並べてきたところに、僕は菊之丞師匠の気概を感じました。

志ん朝師匠の教えということでいうと、2010年の刊行された古今亭菊之丞著「こういう了見」(WAVE出版)から、抜粋。

あたし、「愛宕山」をその勉強会(月1回開催の二ツ目勉強会@池袋演芸場)でやったことがあるんですよ。しかも先代文楽師匠のお弟子さんに習って。「愛宕山」といえば、文楽師匠亡き後、志ん朝師匠がご自身で練りに練った得意の噺。それをやっちゃったわけです。「うーん、菊之丞さんね」。その日は、志ん朝師匠と権太楼師匠が来てくださっていたんですが、まず志ん朝師匠が感想を言ってくださる。ところが志ん朝師匠、「えー、菊之丞さんね」ばかり繰り返してる。さんざんそうなったあとに、「絵が浮かばない」と一言。山がどうなっていて、川がどう流れているのか、谷の深さはどのくらいなのか。「悪いけど、絵が浮かばない」。再度、言われました。

「もうちょっと目で高低をつけると、谷の深さがわかったりする。まあ、これは技術的なことだけどな」。そうアドバイスしてくださった。志ん朝師匠のアドバイスというのは、技術的なことしか言わないんです。気持ちがどうとか、そういうことはいっさい言わない。明らかに言葉遣いが違ってるとか、目線はこう使えばいいとか。自分がこう考えているということは、自分で考えるか、自分の師匠に聞きなさい。そういう人でした。以上、抜粋。

これは、「東京かわら版」2011年2月号「今月のインタビュー 古今亭菊之丞」からの抜粋。

志ん橋師匠は「俺は志ん朝の言ってたことをただお前たちに伝えているだけなんだ。それ以外に言えることはないから」って仰ったン。それがすごい緻密なんですよね。志ん朝師匠はビジュアル的に落語を作る方ででね。例えば「こういう(大げさに広く)上下(カミシモ)をしちゃったらお客に顔が見えないだろ?」って。カメラで撮られてるように映像を意識した作り方をする。二ツ目勉強会の時に言われたのは「うちの親父(志ん生)なんか目だけで上下振っちゃうもんね」って。(中略)「『だめだよお前、“女郎屋”なんて言っちゃ。品が悪いだろ?“貸座敷”って言うんだよ』ってさ。親父の言葉じゃないだろ?女郎学校の校長先生みたいな人がさ。」そんな話を飲みながらしてくださるんですよ。以上、抜粋。

もう一つ。再び「こういう了見」(WAVE出版)から、抜粋。

一朝師匠に「野ざらし」を習ったときも、「オレは志ん朝師匠に習ったんだけど、『つねつねしちゃう』なんてセリフがどうしてもイヤでさ、とっちゃったんだよ。だから入れたいなら志ん朝師匠のを聴いてみてくれ」とおっしゃていましたね。あたしもとったバージョンでやってます。自分が照れながらやるより、よっぽどいいですもん。「つねつね」がないと噺がわからなくなっちゃうわけじゃないですから。

「いい噺はいいようにやんなさいよ」。志ん朝師匠はよくそう言ってました。そうでないとお客さんは満足しない、と。人情噺なんかで、少しクサイと思っても、それでいいんだ、と。志ん朝師匠、声をひそめて、「お客をイカしてやんなさいよ。自分だけイッちゃいけない」。ちょっと下世話ですが、そうおっしゃいましたね。わかりやすいでしょ。あたしもそう思います。以上、抜粋。

口に出して言うのは野暮、だけど心の中で菊之丞師匠は「古今亭の暖簾」を大切に意識し、守り、次世代へつないでいくことを考えているのだと思います。

5月4日(月)菊之丞「片棒」/まめ菊「元犬」/菊之丞「火焔太鼓」

無観客で演じ、配信することについて。演じ方を「カメラ目線にしたほうがいい」とアドバイスされたそう。上下を切ると画面の向こうの視聴者は戸惑うのかも。特に普段、生の高座をご覧になっていない方には逆に違和感があるのかもしれません。拍手がないと、寂しいけど、慣れてくるとも。逆に自分の間でできる。某寄席みたいに高座中にお客がウロチョロする気遣いはないですものね。

「片棒」は扇遊師匠から習ったそう。二ツ目勉強会で志ん朝師匠から褒められた思い出のあるネタだと。「この噺は息子三人がバラバラじゃなきゃいけない。あたしがやると、どうしても三人とも同じようになっちゃうんで、この噺はやらねえんだ。だけどおまえはよくできてたよ」と。特に次男・銀のお祭り騒ぎ、鳴り物が色々入って賑やかに演じるところが、この噺の最大の見せ場だと思うのだけれど、菊之丞師匠の高座は実に見事です。確か2010年10月の鈴本余一で「片棒」をかけていらっしゃったのを覚えています。

5月5日(火)菊之丞「法事の茶」/まめ菊「転失気」/菊之丞「井戸の茶碗」

師匠の「法事の茶」が大好きだ。この噺は多分、師匠にとって飛び道具であり、滅多にかけない。僕は09年2月花形演芸会以来、19年5月YEBISU亭まで巡り合うのに10年かかった。この日の配信は、六代目歌右衛門、八代目文楽、六代目圓生、八代目正蔵、二代目圓菊、雲助、さん喬、談志という流れだった。嬉しかった。ポニーキャニオンからCDで08年11月鈴本の高座の録音が収録されている。歌右衛門の後、三代目金馬、三代目柳好があり、文楽と圓生の「豊志賀」リレー、談志、圓菊の流れになっている。

CDだから、声色中心で愉しめるのだが、今回の配信は、現役の雲助、さん喬が加わり、圓菊、談志も含め、形態模写が絶品なので映像で愉しめたのが素晴らしかった。菊之丞師匠は中学1年生から「東京かわら版」を愛読していたという筋金入りだから、歌舞伎の方も羽左衛門が存命で、歌右衛門にも間に合っていて、あの声色は「95年の翫雀(現・雁治郎)、扇雀W襲名のときの口上」と言っているところがすごい!視聴者からの「この噺は菊之丞さんの専売特許ですか?」という質問に、この噺は鈴々舎馬桜師匠から習ったと。で、当代圓楽師匠(当時、楽太郎)が圓窓師匠から習って、演っていたとも。へぇー。

今回の配信で、弟子の前座・まめ菊さんが昨夜の「元犬」に続き、「転失気」をネタおろししたのも、時代ですね。無観客といえども、画面の向こうには1000人以上が観ているわけで。菊之丞師匠の配慮が行き届いている。圓菊師匠の形見分けをした際に、まめ菊さんは10着の着物をもらったそうで、圓菊師匠は「身体は小さかったけれど、芸が大きく見せていた」という師匠のコメントにうなずいた。

「井戸の茶碗」で、以前に、「正直の頭に神宿る」とマクラで振ったら、客席に安倍首相夫人がいたとか。「外に正直」と「内に正直」があって、なかなか「自分に正直」になるのは難しいとも。「自分(の意思)を通す」ということだから、忖度ばやりの世の中で勇気のいることだ、という言葉も心に沁みた。下手すると、わがままな奴と思われちゃうからね。わかる、わかる。

5月6日(水)菊之丞「紙入れ」/文菊「あくび指南」/菊之丞「親子酒」

僕は「紙入れ」という噺は、「旦那の留守中に“イイコト”をしちゃおうと企てる」おかみさんが好きなんです。新吉という若い男を引っ張りこんで、「あたしみたいなおばあちゃんは飽きちゃったんでしょ」と色で仕掛けたり、時には脅したりしながら、誘惑する。菊之丞師匠は女性の演じ方が上手くて、今回の配信でも、「日本舞踊を習った」「こうやって襟をつまむ」「こうすると肩が落ちる」と実際に映像で見せていただいたのだけれど、この噺ではその「新吉との駆け引き」には重点を置かない。あっさり、「酒が用意されて、やけ酒飲んで、布団に入ると、おかみさんは厳重に戸締りをして、長襦袢一枚になって、新さんお待たせ、というところで、戸を叩く音」と地ですませている。

どうしてなのか。DVD「本格本寸法 ビクター落語会 古今亭菊之丞 其の壱」(08年3月口演)でも改めて観てみたが、やっぱり、あっさり演出。そのDVDの解説を読み、合点がいった。以下、抜粋。

菊之丞の魅力の一つに女性の描写が挙げられよう。歌舞伎役者のような容姿にきれいな身のこなし、所作。踊りの心得が生きているのに加えて、本人も演じるのが好きなのだろう。年を重ねた分、噺の中に登場する女性も艶っぽさが増している。(中略)図太さとしたたかさ、そして色気が必要とされるが、菊之丞はそのどれも兼ね備えたおかみさんを演じている。しかもそれでいて明るいのだ。

間男の噺だからといって、おかみさんの色気や描写ばかりを強調してしまうと観客に不快感を与えかねない。「最近は旦那に重点がいっているんですよ」とは本人の談。(中略)たしかに旦那に重点が置かれ少し滑稽に描かれていることによって、おかみさんの存在感が薄まっている。比較的短く演じられる噺なので寄席などでもよく耳にするし、菊之丞自身も寄席をはじめとして口演回数が多いネタだ、と言っている。以上、抜粋。

ゲストの文菊師匠。抜擢で真打昇進したときには、正直、それほど僕自身は注目していなかったのだが、ここ1、2年で「面白い!」と思うようになった。“キザ”のキャラ作りに成功したのだ。袖から高座に上がってくるところから、座布団に座り、マクラを喋る。「気取ったお坊さんじゃないの。これで落語を喋らなかったら、法事にきたみたいになっちゃう」。これで爆笑。つかみはOK。「あくび指南」も、「揺れるともなく揺れる」「鼻にかけてあくびをしようとする」八五郎の不器用さが堪らなく可笑しい。

菊之丞師匠ほかスタッフの皆さん、3日間お疲れ様でした!

最後に再び「東京かわら版」2011年2月号からインタビューの抜粋で締めたいと思います。

売れるにはやっぱり個性がなきゃと思う。自分には個性がないじゃないですか。喜多八師匠(16年5月17日没)みたいに病弱キャラとかね、あんなに丈夫な方が(笑)。うちの師匠はたまたま痛風が痛くてぐりっと横になっちゃたら、わっとうけたんで、痛くない時にもやったらうけた。特に女をやる時はいいんだって。だからうちではまっすぐですもん。「たばこ屋が並んでいるようなもんで、同じもん売ってるんだから、そこに一つおまけが付いたりとか看板娘がいたりとか、なんか売り方変えなきゃ売れねーぞ。俺はたまたま斜めンなってるだけだけど、お前はお前のたばこの売り方がなくちゃだめなんだ」っていうのは、常々言ってました。以上、抜粋。

古今亭菊之丞でじたる独演会、これで終わったわけではありません。今後の予定です。

5月16日(土)20:00「唐茄子屋政談」一席をナマ配信

5月31日(日)時刻未定 鈴本演芸場からナマ配信 菊之丞2席、ゲスト風間杜夫さん1席(鈴本の席亭と若旦那のご厚意だそう)

それと、菊之丞師匠が長年プロデュースされている第12回神楽坂落語まつり、今年も6月に予定されていてHPにも顔付けも発表になっていましたが、新型コロナウイルス感染拡大防止を鑑みて、中止になったそうです。