「つい笑ってしまう。それが落語」 柳家小三治(1)

テレビ北海道のネット配信で「柳家小三治からのメッセージ」を観ました。(2020・04・25)

小三治師匠のマネージャーのツイートで、札幌で開催予定だった小三治独演会の延期が決まった、ついては4月25日18:30から、「小三治のメッセージ」が配信されるので、詳しいことはテレビ北海道のHPを見てください、とのことだった。

テレビ北海道と言えば、2018年に開局30周年特別番組として「人間国宝 柳家小三治~噺家人生悪くねえ~」を制作し、放送。反響を呼んで、TXN(テレビ東京系列)番組大賞優秀番組賞を受賞した。なぜ、北海道なのか。師匠が若くてバイクを愛好していた時代に、よくツーリングして、色々とお世話になった方がいる土地だということを、以前に師匠のマクラで聞いたことがある。

で、今回の配信は「柳家小三治からのメッセージ」だという。そうか、このコロナ禍で若手たちが一生懸命にネット配信で無観客で落語を演ったり(弟子の三三なんかもそうだ)がんばっているが、さすがに人間国宝だから、落語じゃなくて、このコロナ禍のご時世に対する思いみたいなことを、いつもの高座のマクラのように徒然なるままに喋るのだろうと思っていた。公正中立を謳う、どこかの公共放送よりも、よっぽど不偏不党な立場で物申す師匠だから、この社会情勢をどのように感じているのか、伺いたくて、パソコンの前で正座して聴いた。

期待通りのメッセージだった。だが、それで終わらなかった。30分、思いの丈を喋ったあと、「千早ふる」に入ったのだ。80歳、ますます滋味溢れる、魅力的な高座だった。そして、ふと思った。噺家は噺をしてなんぼ。1カ月も2か月も仕事がなくて、落語が喋ることができないと、喋りたくなるんだよね。これが本当の噺家だよね、と。

以下、小三治師匠の温かくて、ユーモアがあって、でも今の社会情勢を冷静に見ていて、とても励まされるメッセージ。

夕方というか、夜の18時32分を回ったところです。あなたのところはどうですか。私の知る限りでは遠くフィンランドのヘルシンキから声援を送ってくださっていると聞いています。その方のメールによると、ヘルシンキにこの春初めて桜が咲きましたと言って、小さな花びらが送られてきた。色の濃い少し痩せぎすの花びらですが、それは間違いなく桜でした。私はこれをホッキョクザクラという風に呼んで送ったら、向こうが喜びまして、早速登録しますと。もし、登録されたなら、向こうの帳簿かなんかに載って、学術用語でナントカカントカホッキョクザクラの次にヤナギヤコサンジの名前が出るっていうんですよ。どうですか、みなさん。

ご心配を頂いていたと内々伺っておりました。私に心配をくださったそうで、本当にありがとうございます。ここは物置よりは少し広い、音楽教室の練習室という感じでしょうか。下は板の間で、ピアノがある。そこで久しぶりにベートーベンの「エリーゼのために」をちょっと弾きかけていたならば、60歳からリウマチのために右指が利かなくなりまして、タララ、ララララランとなるところをテッカテッカポコポンとなりまして、あれは「エリーゼのために」というよりは、「ヘリーゼのために」という、実に情けない。ベートーベンちゃん、ごめんなさい。ベートーベンと私は誕生日が同じです。12月17日。この日に生まれた奴は、どーも危ない。ま、まともに暮らそうとは思ってないですから。

それでとりあえずは、こういう世の中になりました。人並みに、あーでもない、こーでもない、色々なことを考えました。感謝もしましたし、恨みも多少はしました。が、それは人間の勝手だと思いました。何しようが、そういうときが来たんでしょう。だから、毎日、家でなるべく静かに息をしています。おなかも空きます。自慢じゃないけど、仕事はありません。きょうの催しも本当は何もなかったんです。札幌で独演会があるはずだった。それが流行りの病気のために、とりやめということになりました。で、札幌だけかなと思ったら、旭川も函館も、どこもかこも、みんな無くなりました。隣の家に行って喋ることもできなくなりました。本当に弱った世の中ですよね。みなさん、お元気?こんな半分病人みたいな奴が、お元気?というのも変ですけど。

きょうはお客さん一人もいないでしょ。マネージャー、カメラマン、ディレクター、それにいざというときの用心棒なんでしょうね、パソコンを横に置いてお茶を飲んでいる人がいますけど。あと、弟子が2人(三三、三之助)いますけど、これは何の役にもたちません。着物を着せてくれたときに、ハッと驚いたのは、髭を剃ろうと電気カミソリをあてていたら、こっち(左の顎)に剃れない。どうしてかというと、こっち(右)の腕を使っていないんです。一カ月半?それ以上?筋肉というのはアッという間に衰えるといいますけど、そうでしたね。髭が剃れない。

ここは東京です。東京の、東京です。普通は出囃子があって、それにのって上がって、頭をさげて、きょうはよくいらっしゃいました、ではしばらくの間、一席お付き合い願いますというのが私の仕事なんですが。小ホールといえば、小ホールですが、物置小屋といえば物置小屋。立派といえば立派、粗末といえば粗末なところで。こんなところでやることはないですねぇ。目の前に普通は少なくとも500人くらいは、1000人超えることもちょいちょいあります。そういう方の顔を見ただけで、俺はこういう立場なんだな、ということをどこかで感じるんでしょう。で、お話がはじまって、皆さんのお顔が輝きを増したり、しぼんだりする。きょうは何もできません。想像することもできません。想像してもいいんですけど・・・先にいきます。段々寂しくなりますから。

あれはYouTubeで観たのかな。アメリカのオーケストラの人たちとか、フランスのパリ管の人たちが揃って、心を奪われたのは、ラベルのボレロ。タータラララン~(しばらく口ずさむ)というメロディ。あれは最初はオーケストラだと、チャンチャカチャンチャカ、日本でいう小太鼓っていうんですか、そういうので始まるんですよ。そこにちょっとバイオリンが加わったり、木管楽器が加わったり、ハープが加わったりして、どんどん大きくなる。最後はンータラララン!って終わるんですけど。それをパリ管弦楽団の人や、あれはトロントだったかフィラデルフィアだったか、楽団の人たちが編成は小さいけど、かなりの人たちが参加して、そのたびにYouTubeの画面が、数が増える度に、大勢の楽団の人たちの顔写真がパカパカ増えていって、音楽の方も盛り上がっていくという。とても羨ましいなぁ、こういうことを彼らはしているのか、いいなぁと。

そりゃ、私だってそういうことができればいいな、やりたいという気持ちはありましたよ。コンチワ、ご隠居さん。おや、誰かと思ったら八っあんじゃないか、まぁまぁ、おあがりよ。あれ、熊さんも来たね。お前は久さんじゃないかって、ぞろぞろ人が出てきて、それを顔写真をチャッチャカチャッチャカ増やしたって、それはボレロの物真似ですから。でもボレロは、よほど流行ったんですね、色々な楽団がやってて。単純なメロディで、編成が少しずつ少しずつメロディが変わっていく、音の大きさも大きくなっていく、広がっていくという。全体がクレッシェンドになっていくという音楽でしたから、これはうまいこと考えたなと、やられたなと思いました。

だから、噺家だってやろうと思えばできたと思いましたよ。最初は小声で「ご隠居さん、こんにちは」「誰かと思ったら八っあんか。おーしばらくだな。こっちへおあがりなさい」「ご隠居さん、しばらくでした。きょうは友達を大勢引っ張ってきました」「ご隠居さん、こんちわ」「こんちわ」×5。「おいおい、そんなに入ってきちゃ困るよ」というような。これ、全部、私のアドリブですけど。こんなことで始まるかと思ったら。ちっともはじまりませんな。

だいたいね、YouTubeというところは、私の落語をずいぶんと無断でどんどん放送して、ちっともお金が入ってこないんです。どっかに入っているんですかね。ピンハネするんですかね。きょうだって、愚痴言うわけじゃないけど、2か月も3か月も何も仕事ない。全くない。何もすることない。表を昔だったらタバコの吸い殻を拾って歩くとかあったんでしょうけど。今、何もないから、ただ家でジーッとしている。昔の映画を観たり、色々やってますけれども。きょうは、だいたい30分を目安にお話するようにはじまったんですけど、今、15分を過ぎました。こんなね、世間話は…、中には落語はいいから世間話やれと言う人がいるんだよ。全く世間の人は無責任なことを言う人もいるもんだよ。総理大臣と同じだよ。

え!今、1319人の人が観てる?ヘルシンキの人も入れて。世界の皆さん、ありがとう。世界に何千億人の人がいるか知らないけど、その中の1319人の方、なかなかここでやっているなんて気がつきませんよ。よく気がついてくれました!いつか、きっと天下晴れて、胸張って、皆が笑顔で良かったね、と言って大空にむかって、両手を延べて深呼吸できる日がきっと来ます。お約束します。来ますよ。来なかった日にゃ、怒っちゃうよ。誰に怒るかは決めているけど、言わないよ。

この頃はコンビニに行っても…、アッ、高田馬場の横丁出た大通りの角の緑のコンビニが閉まっていました。真っ暗でしたよ。ひょっとすると臨時休業かもしれない。色々なところあります。このあいだ、近所のタイ料理屋に、やってないだろうと夜8時に行ってみたら、やっていた。そっと入れてくれた。そこでは御馳走を出してくれませんでした。お土産としてだけ持ち帰ることができますと。なんとも不思議な気持ちがしましたね。プラスチックの丼をビニール袋に入れて持って、家まで10分もないくらいなんですけど、人通りのない、タクシーも人影もない道をトボトボ歩きながら、皆さん知らないでしょうけど、一人で歌っていました。

♪こんな寂しいこの土地捨てて 荷物片手にあの人は どこへ行くのかこの土地捨てて~(作詞:野口雨情 作曲:古関裕而) これをね、森繫久彌が歌ったんです。確か、作ったのは野口雨情ですかね。♪荷物片手にあの人は~ 寂しいながらも、その中で何か楽しいことないかなと思いながら、暮している今日この頃でございます。知らないのに、知ったかぶりをする人がよくいるもんで・・・と、「千早ふる」に入った。

以上です。

これだよ、これ!小三治師匠の可笑しさ。徒然なるままに口から出てくるものを喋ると、それが聴き手の心の琴線に触れる。そこに全くあざとさはない。人間小三治が小三治落語の魅力なのだと改めて思った。だからこその、人間国宝だと僕は勝手に思っています。ということで、このメッセージを聴いて、無性に小三治師匠のことについて書きたくなった。書くというより、これまでのインタビューやら、評論やら、自伝やらのエッセンスを引っ張り出して、それに自分が小三治師匠の高座をナマで聴いてきた30年を加味して、素人の僕がおこがましいけど、無手勝流に「柳家小三治」について、何日間か書いてみようと思います。