田辺いちか真打昇進披露興行「忠僕元助」「長門守木村重成の最期」「鉄砲のお熊」

南大塚ホールの田辺いちか真打昇進披露興行初日に行きました。

「めがね泥」橘家文吾/「木津の勘助」神田春陽/「千早ふる」橘家文蔵/「えーっとここは」柳家喬太郎/中入り/口上/「楠木の泣き男」田辺一邑/「忠僕元助」田辺いちか

口上の司会は春陽先生。天高く馬肥ゆる秋。天高く駆け上がっていく新真打の誕生と表現した。芸はもちろん、人柄も良く、協会の垣根を超えて、後輩に慕われ、先輩に可愛がられている、と褒めた。

文蔵師匠。しっかりしているようで、どこか抜けているところがあるいちかを天才バカボンと呼び、「自分ではそうおもっていない」ところが凄い、と。芸人には「巧い人」と「面白い人」がいて、巧い人にはやっていくうちにそれっぽく巧くなるものだが、面白い人はなかなかいない。先代小せん、先代歌奴、文朝、先代志ん橋…特別なくすぐりをいれずに淡々と古典を演るのだが、なんだか面白い、醸し出す可笑しみがある先輩を前座時代に楽屋で見ていた。いちかにはそういう素質がある、つまりフラがある、フラの塊だと評した。いちかには達者な講釈師ではなく、面白い講釈師になってほしいと期待した。

喬太郎師匠。まず、謝らなければいけない、文蔵は前座のとき、寄席にほとんど来なかった!と笑わす。協会、業種を超えて良い芸人が出てきたことを嬉しく思うと喜んだ。池袋の三月余一会の自分の独演会に食いつきでいちかに出てもらったとき、「木村長門守」を掛けたのだが、寄席のお囃子さんが目にいっぱいの涙を浮かべていた。仲間内の心も打つ芸を持っている。その一方で、ばばん場で三遊亭白鳥作品の「豆腐屋ジョニー」を水を得た魚のように読み、爆笑を取っていた。この人は両方できる。演芸にとって大事な人になるなと思った。こういう嬉しい仲間が現れると、自分はこの世界に入って良かったと思えると絶賛した。

一邑先生。「おまけの師匠です。グリコのキャラメルを買うとき、キャラメルよりおまけの方が楽しみでしょ」と謙遜する。師匠一鶴からは「三方ヶ原」しか教わっていない。田辺一門はそういう流儀で、私もいちかにほぼ教えなかった。でも、彼女は色々な先生からネタを習い、自分でもネタの掘り起こしをしてきた。「独立心旺盛」な弟子だと褒め、陰に日向に応援をお願いしますと願った。

いちか先生の「忠僕元助」。まず片岡源五右衛門の不器用さが愛おしい。仇討の計画が漏れぬように元助にさりげなく別れを告げようとするが、うまくいかないところ。佐賀鍋島藩に仕官が叶った、さる後家に惚れられて入り婿することになった、挙句にはお前が嫌いになったという…。

武林唯七と木村岡右衛門に相談すると、それだけ武士にも勝る忠節な男ならば特別に明かしても良いのではないかと助言された源五右衛門。他言無用ではあるが、「気絶している」元助に胸の内を打ち明ける…。元助も心得ていて、「新天地鍋島藩での活躍」を観世音菩薩にお祈りし、その後奥方様とお子様にお伝えすると素直に嘘を受け入れる。そして、武林と木村含めた酒宴の支度をするところなど、実に気の回る男である。

そして、討ち入りが首尾よく遂行された翌日には風呂敷に蜜柑を大量に包んで、引き揚げて回向院で休憩していた義士たちに振る舞い、労った。さらに四十七士が切腹した後は出家して、西向坊と名乗り、二十数年かけて四十七基の石仏を彫ったというのだから、忠僕というのは元助のためにあるような言葉だと思う。

南大塚ホールの田辺いちか真打昇進披露興行二日目に行きました。

「北斎小僧」林家あんこ/「出世浄瑠璃」宝井琴鶴/「珍宝軒」林家きく麿/「元犬」柳家三三/中入り/口上/「秋色桜」田辺一邑/「長門守木村重成の最期」田辺いちか

口上の司会は琴鶴先生。いちかはひたむきに芸と向きあって、一生懸命に努力研鑽してきたと紹介。特にすごいのは縦横無尽に演芸の世界を垣根を超えて飛び回り、「講談っていいね!」「もっと講談を聴きたい」という講談ファンを増やしてきたことだ、と。講談を愛し、講談を広めたいという強い志を持ち、積み上げてきたものが、連日素晴らしい客演を迎える披露目を実現した、そういう才覚がある人だと称賛した。

きく麿師匠。同じ北九州出身で、「親戚の叔父さん」として応援している。律義だが、頑固なところがあり、そこがまた良いところ、芸は一級品だから、これからもどんどん売れて益々人気が上昇するだろうと太鼓判を押した。

三三師匠。もっと早くに真打になると思っていた、満を持しての昇進だ、と。紀伊國屋ホールの琴調・三三二人会で前講を勤めてもらったときに、「井伊直人」を読んでいたが、こんな素晴らしい才能が若い人にいるのか!とビックリした。その日の会のお客様の拍手が一番大きかった。この人の芸は上っ面が綺麗というのではなく、聴く人の心に入り込む、人間っていいな、真っ当に生きようと心が清められる高座だと絶賛した。

一邑先生。毎回素晴らしい方が出演してくれて、感謝すると同時に、可愛がられているいちかにちょっと嫉妬しますと冗談を飛ばした。2014年に彼女が入門してきたとき、私は真打5年目で「弟子を取るのは早いかも」と躊躇ったが、その頃協会に前座が2人しかいなくて二ツ目に上がれない状態だったので、協会事務局も「是非弟子を取ってほしい」という考えで、取った。もしかして、あと5年くらいすると、いちかの弟子が見られるかも…と期待した。

いちか先生の「木村重成の最期」。これは死に様を描いているようで、実は人間の生き様を描いているのだ、と。だから、披露目に相応しい演題ではないかと考えて高座に掛けたとのことだった。なるほど。

重成と大蔵卿女中の青柳(本名きぬ)の馴れ初めが素敵だ。青柳が切ない女心を歌った恋文を重成の袂に投げ入れ、重成もその返歌を渡す。難波戦記の一つではあるが、美男と美女の戦場の中に生まれた恋物語として脚色しているところが美しい。

大坂夏の陣に出陣する重成はきぬに対し、「幸せであった。思い残すことはない」と言って、兜の用意をさせるが…。なかなか戻ってこないきぬを思い、奥の間に行くと屏風の陰に白無垢姿の短刀で喉を突いたきぬの姿があった。そして、蘭奢待の香り。重成は言う。「本当は一人残るそなたを思うと死んでも死にきれなかった。三途の川で待っていてくれ。きぬ、行ってくるぞ!」。生きては戻らぬ決意を固めた重成は戦場に向かう。

そして、徳川方の初陣と思しき安藤長三郎に兜をかぶったまま首を差し出し、介錯を頼む。蘭奢待の香りのするその首を家康が見たとき、周囲の武士たちは「女々しい」と嘲笑ったが、家康はそれを一喝する。「二度と生きては戻らぬという重成の覚悟がわからぬか!」と言って、涙したという…。旭堂南海先生の脚色の意図をしっかりと表現したいちか先生の高座だった。

南大塚ホールの田辺いちか真打昇進披露興行三日目に行きました。

「黄金の大黒」春風亭一花/「豊竹屋」三遊亭萬橘/「加賀の千代」春風亭一之輔/「曾我物語 裾野の雨」一龍斎貞橘/中入り/口上/「良弁杉の由来」田辺一邑/「鉄砲のお熊」田辺いちか

一花師匠の口上。本来ならいちか先生と呼ぶべきでしょうが、あえて「いちかちゃん」と呼ばせてください。私が2013年、いちかちゃんが14年の入門でほぼ同期、今は亡き道楽亭の橋本さんの世話で「いちいち」という勉強会を前座の頃からしていた長い付き合いになる。いちかちゃんの真打昇進が決まったという電話を受けたとき、私は泣きました。一緒に切磋琢磨してきて、彼女は笑うと少女のようですが、懐に刀を持っています。時と場合によっては、その刀で仁義を通すという熱いところがある。北九州出身で、鉄の匂いがする、「鉄の女」サッチャーいちか。頑固一徹ではなく、色々な人の意見を取り入れる裁量もある。そして、講談のために怒ることもある真っ直ぐな人。この晴れ舞台が自分のことのように嬉しい。袖でいちかちゃんの高座を聴くお客様の顔は夢を見ているように見える。この夢を見せてくれる講談師についていけば間違いないですと太鼓判を押した。

萬橘師匠。相変わらずの萬橘節。ある人の高座を評して、いちかが「ある時期から高座がすごく良くなった」と言っていた。「俺は?」と訊いたら、口ごもった。正直な人です。今回も「披露目に華を添えてください」と言われたけど、きっと本心ではないと思う(笑)。そんな自虐的発言が萬橘師匠にとっては最高の餞なのだと感じた。

一之輔師匠。司会の貞橘先生が師匠貞水は「芸人というのはたった一言で紹介できたら大したものだ」と言っていたと振って、「お馴染み、一之輔師匠です!」。まず第一声は一花に向けて、「他人の口上を言うのがいかに大変か、わかったろう」。そして、萬橘師匠に向けて「漫談を喋るな」(爆笑)。2021年1月12日の池袋の東京芸術劇場の私の独演会でゲストで出て貰った。「生か死か」を読んでいた。このときのいちかの腰の低さ、人当たりの良さ、そしてあの笑顔を見て、「こいつは俺のことが好きなんだ。かみさんがいるのに、どうしよう」と思った。でも、その後、俺には惚れていないことに気づきました(笑)。生まれ変わったら、私はいちかになりたい。これは最上級の褒め言葉。多分、生まれ変わったら、虫です。そして、いちかが生まれ変わったら、僕になってください。野田生まれのいちかと北九州生まれの一之輔で二人会をしましょう。冗談に見せかけた愛情たっぷりの賛辞が良かった。

一邑先生。初日は大先輩を迎え緊張し、二日目はちょっと先輩を迎えて安堵し、きょう三日目は皆後輩で肩の力が抜けました。でも、三日間とも人気は私よりずっと上の人たち。このようにいちかは愛されて、羨ましい。私が真打になった頃は講談界はまだ閉鎖的で、噺家さんとのお付き合いはほとんどなかった。若い頃から他協会の人と勉強会をしてきたのはとても良いこと。そして、お客様にも恵まれ、こんなに素晴らしい門出はないと喜んだ。

いちか先生の「鉄砲のお熊」は三遊亭白鳥作品だが、見事に自分の読み物にしていることが素晴らしい。時次郎後の歌舞伎役者中村夢之丞、おみつ後の女相撲大関お熊、そして長吉後の山賊マムシの権蔵。この三人が生まれ故郷の月影村でそれぞれの思いを胸に再会するのがドラマチックだ。

鋸山で夢之丞を人質に百両の身代金を要求する権蔵は昔から夢之丞のことを同性ながらも恋しているところが人間臭い。だが、権蔵は村人を脅し、こう言う。「俺は世の中を思い知った。強い奴が偉い。弱い奴は這いつくばれ」。そこに、お熊が現れて勝負を挑む。権蔵は砂つぶて、頭突きと卑怯な手を使うが、お熊は村人の声援を受けて、権蔵を土俵の外に投げつける。「弱い者でも、女でも、頑張れば強くなれるんだ!」。権蔵とお熊の両極端の人生訓が心に響く。

これを見ていた夢之丞はお熊にプロポーズする。「これで自分の気持ちが判った。私の女房になってくれ」。お熊が「お前は当代一の女形。そんなことをしたら評判が下がる」と言うと、夢之丞は「役者なんてどうでもいい。所詮、血のない私は小さなしくじりで奈落の底に落とされる。つくづく役者が嫌になった。それよりも、おみつと一緒になりたい」。

これを聞いたお熊は一喝する。「なにが当代一だ、名人だ。初心を忘れたのか。私は知っている。真冬の早朝、砂浜の上で踊りの稽古をしていた時次郎を。どんな気持ちで役者になろうと思ったんだい?私もお前の頑張りを知って、つらい修業に耐えられた。私はいずれ、横綱になる。半端な男にはなびかないよ」。

夢之丞はハッとする。「私が間違っていた。目が覚めた。舞台一筋に精進します」。この後、夢之丞は花形役者への道を、お熊は日下開山大横綱への道を一歩一歩歩むのだろう。そして、権蔵も改心して月影村のために尽くす男になってほしい。幼馴染の三者三様の人生が輝かしくなることを予感させる、素敵なファンタジー講談に仕上げたいちか先生の手腕を思う。