【プロフェッショナル】探しても 探しても 映画監督・是枝裕和

NHK総合で「プロフェッショナル 探しても 探しても 映画監督・是枝裕和」を観ました。
今年5月に公開された映画「箱の中の羊」の製作に2年密着し、映画監督としての是枝に迫ったドキュメンタリーである。この番組の定番になっているラストの「(あなたにとって)プロフェッショナルとは」という質問に対する答えが秀逸だった。「プロフェッショナルという番組を作ろうとしたら、プロフェッショナルとは?と訊くことだけはするまいと普通は思うんじゃないか。(撮影を続けてきて)見えてくるのが当然じゃないですか」。尤もである。僕もディレクター時代、「あなたにとって〇〇とは」というインタビューだけはしないように心掛けてきた。つい、話をまとめたくて、してしまいがちな質問なのはよく判るが。
7歳の息子を失くした夫婦が、その記憶を学んだヒューマノイドの子どもを受け入れる物語だ。キーを握る主役である子役をオーディションで選ぶ。書類選考はしない。設定を与え、自由な発想をしてもらい、個性を見る。追加募集を重ね、3ヶ月で5回、280人の子どもを見た。迷い続けた是枝は、演技経験のほとんどない男の子、桒木里夢くんを選んだ。
撮影現場で是枝は台本や絵コンテをほとんど見ない。積極的にスタッフや俳優の意見を訊き、取り入れる。「やってみようか、そうかもね」の精神。撮影が進むにつれ、物語がどんどん台本を離れていく。音を聞き、相手に触れる。そこに想像する余白が生まれる。「何かが欠けていないと、そこを埋めるものが蘇ってこない」。最後に残る、人間らしさって何だろうか?見た人に問うような、自分自身もそれを自分に問いかけながら撮影するような感覚だという。
是枝は東京郊外に2人の姉のいる家族の末っ子として生まれた。幼い頃からテレビや映画が好きで、テレビ制作会社に就職する。クイズ番組や旅番組のアシストとして働いたが、チームプレーが苦手で、「お前がいると現場が暗くなる」と罵られ、1年後に退職した。他人に迷惑をかけずに一人で作れるものはないかと模索した。
91年、フジテレビのNONFIXで「もう一つの教育~伊那小学校春組の記録~」を制作、クラスの子どもたちに「今度はいつ来てくれるの」と言われ、居場所を見つけた。ドキュメンタリーならば、できる。子どもたちが飼育していた牛に子牛が生まれたが、早産で死んでしまった。その母牛のミルクを飲む子どもたちの表情に、本当の教育の姿を見た。想像を超える現実が心を揺さぶった。冒険と発見の連続に胸がときめいた。
32歳になったとき、映画製作の話が舞い込んだ。95年、緻密な構成と絵コンテで「幻の光」を完成、国際映画祭で賞も獲得した。だが、2作目から是枝は緻密な計算をする手法を捨てる。カメラマンの山崎裕など、ドキュメンタリー経験のあるスタッフを招聘し、キャストも一般人を多用した。山崎によれば、ホウ・シャオフェン監督に「絵コンテ通りの映画を作って、何が面白いのか」と問われた是枝は自身のドキュメンタリー制作の興奮が蘇ってきたのではないかと指摘した。
98年の「ワンダフルライフ」は、亡くなった人たちが自身の思い出の再現映像を見ながら天国へ旅立つまでの物語だ。一生で一番印象に残っている思い出。撮影の打ち合わせの様子から山崎はメイキングのつもりで撮影していた。是枝はその映像から生まれてきた台詞や感情、自分が関与していないのに出てきてしまうものに対し、これが人にとっての思い出の意味だと感じ、これが映画で描きたかったものだと気がつく。発見と冒険がそこにあったのだ。是枝は当初の脚本を大幅に改定し、予定になかった映像で映画を完成させた。「創作っていうと、僕の中から生まれてきているようだけど、やっぱりそこに発見がある」。
44歳で、亡くなった母との思い出を一本の映画にしたのが、「歩いても 歩いても」だ。平凡で何も起こらない家族の一日の物語。映画に関わる人たちがアイデアを持ち寄り、物語を膨らませた。兎に角、ためしたらいい。やってみようか、そうかもね。この精神が映画監督・是枝裕和を形作っている。
「箱の中の羊」の撮影後半。両親と暮らすことで人や世界を学んでいくヒューマノイド。その姿に息子の不在を埋めようとする夫婦。子役の里夢くんがダンゴムシで遊んでいるところを見つけた是枝は思い立って、台本に手を入れる。シーン48の改訂である。手のひらにだんご虫を乗せている翔。耳を近づけて音を聴く。しばらく見ている。にぎりつぶす。もう一度、音を聴く。
命とは何かを学ぼうとするヒューマノイドと我が子の死と向き合うことを避けてきた夫婦。そこに家族の形、そして残された者たちを見てとる。「自分の身の周りから失われていくもののほうが多いんだよ。弔う…それが身近になっている」。
映画を取り巻く環境は急激に変化している。撮影の現場は95%がデジタル化されている中、是枝は今もフィルムを使用している。費用は倍以上かかるし、現場での確認もできない。セットやCGのクオリティが上昇しているが、できるだけ現場でのロケでリアルな場に身を置くことを重視している。「不便なことは悪いことばかりじゃない」。
皆が集中力を高めると、そこに磁場ができて、奇跡的なことが起きる。そういう瞬間を求めて、皆が集まっている。それが映画を作るということだ。
撮影は山場に差し掛かった。やがて終わりを告げる三人の暮らし。ヒューマノイドの息子は自らの意志で両親と別れることを選び、自然の中に居場所を見つける。森の撮影が8割ほど終わったところで、ハプニングが起きた。巨木を覆うようにキノコが生えたのだ。撮りためていたカットは棄て、全てを撮り直す判断を下した。
命がめぐる森。両親に別れを告げ、未来へと歩む。答えが出た。不思議な生命力とともに、なんとなく死のにおいがする。夫婦は何を思うのか…。循環。死から生へ。人間関係もそうだ。失って、生まれ変わろう。失うことは終りじゃない。数えきれない出会いと別れを繰り返し、是枝の映画作りに繋がっている。
今年5月。カンヌ国際映画祭で2500の映画の中から22作品が上映された。その中に是枝監督の「箱の中の羊」もあった。
プロフェッショナルとは?と訊くことだけはするまいと考えるのが、「プロフェッショナル」という番組を取材し、制作し、演出するディレクターの矜持ではないか。是枝監督のこの言葉が深く心に刺さる。

