春風亭柳枝20周年こっそり勉強会三夜「七度狐」「文違い」「佃祭」

春風亭柳枝20周年こっそり勉強会三夜第一夜に行きました。「五目講釈」「七度狐」の二席。ゲストは弁財亭和泉師匠で「気持ちの問題」、開口一番は隅田川わたしさんで「手紙無筆」だった。

「七度狐」はネタおろし。お伊勢参りの道中の喜六と清八が狐に化かされている幻想が愉快に描かれていて面白い。川が流れているので、褌も外してすっ裸になって川を渡っていると、そこは麦畑だと地元民に指摘される。山中に迷い込み、尼寺を見つけて安心したが、食べろと出された雑炊が赤土と藁とイモリが入っている。尼さんに留守を頼まれたら、村の衆が棺桶を担いでやって来て、死んだ金貸しのおさよ婆さんが「金、返せ~」と飛び出したり、伊勢音頭を歌わせられたり…。少々テープで鳴物が入ったが、これを寄席で演ったら、しっかりとした音曲噺として成立すると思う。愉しい高座だった。

春風亭柳枝20周年こっそり勉強会三夜第二夜に行きました。「目黒のさんま」「文違い」の二席。ゲストは柳亭小痴楽師匠で「出来心」、開口一番は入船亭辰むめさんで「道灌」だった。

「文違い」はネタおろし。最終的には芳次郎に騙されていたことが判る新宿の女郎のお杉だが、手練手管を使って20円を拵える算段を日向屋の半七と田舎の大尽の角蔵の両方にしている強かさが何と言っても肝の噺で、そこを巧みに演じていたのが良かった。

半七には血の繋がっていない親父の無心が頻繁で、これきりで縁切りにするために20円を押し付けて黙らせたいという口実。片や角蔵には母親の病を治すために人参という高い薬を20円で買って助けたいという口実。半七も角蔵も出来ることなら大きな出費は避けたいと思ってごねるが、そこを泣きの芝居と夫婦約束という切り札で納得させてしまうところ。「悪かった。すまなかった」と言わせて、「なにも人に謝せたり、金を出させたりする働きのある女じゃないけれど…」と言いながら、心の中では舌を出しているお杉の憎たらしいところがよく出ている。

だから、お杉が間夫と思っていた芳次郎が実は眼病でも何でもなくて、芳次郎は小筆という女がどこかの妾に売られるのを防ぐために20円が必要だったと置き忘れた手紙を読んで判ったときは、僕は「ざまあみろ」と溜飲が下がる思いになる。

それと同じ構造で、芳次郎がお杉に宛てた手紙を読んで、半七が怒りだすが、所詮廓の男女の色恋なんて、狐と狸の化かし合いのようなものと思う。それは江戸時代の廓という限定された空間だけでなく、現代社会でもよくある話なんじゃないか。落語って勉強になるなあ。

春風亭柳枝20周年こっそり勉強会三夜第三夜に行きました。「粗忽長屋」「佃祭」の二席。ゲストは瀧川鯉八師匠で「厚化粧」、開口一番は柳亭市悟さんで「真田小僧」だった。

「佃祭」。次郎兵衛の女房たまの悋気という部分に焦点を当てるのではなく、あくまで「情けは人の為ならず、巡り巡りて己が身の為」というメッセージを強調する演出だ。

次郎兵衛は5年前に吾妻橋で身投げしようとしていた娘に3両を恵んで助けた。その娘が佃島に嫁に来て、船頭金太郎の女房になり、次郎兵衛が佃祭を見物し終わって終い船に乗って神田御玉ヶ池に帰ろうとするところを引き留めた。それが結果的に、終い船が沈んで、次郎兵衛は命拾いをする。

金太郎が「私たち夫婦は女房の命の恩人の名も所も判らないから、“吾妻橋の旦那”と呼んで、大神宮様の脇に祀って、朝に晩に拝んでいた」と言うと、次郎兵衛は「いや、命の恩人はおかみさんですよ」と返す。これに対し、金太郎は「それは女房が助けたんじゃない。お天道様が見ていたんだ。神様が助けたんだ」と言う。確かにそうだ。人間というのは血の繋がりがなくても、持ちつ持たれつ、どこかで助け合って生きているものなのかもしれない。情けは人の為ならず、なのだなあと思う。

もう一つ、柳枝師匠のこの噺に聴きどころは与太郎の悔やみである。(確か、元は権太楼師匠だと思うが)次郎兵衛さん、どうしたの?死んじゃったの?なんで?あたいね、次郎兵衛さんが大好きだった。皆は与太郎は馬鹿だ、馬鹿だと言うけど、次郎兵衛さんは「与太さんはそれでいいんだよ」って、いつもニコニコ笑ってくれた。あたい、次郎兵衛さんが大好きだった。会えなくなるのは嫌だ。あたいの次郎兵衛さんを返しておくれよ!きょうも素敵な高座だった。