【レジェンドの目撃者】安打製造機 張本勲

NHK―BSで「レジェンドの目撃者 安打製造機 張本勲」を観ました。今年9月に亡くなった張本さんの追悼ということで2023年に放送された番組が再放送されたものを観ました。
1979年、東映フライヤーズ入団。通算打率3割1分9厘、通算安打3085本、首位打者7回、3割以上のシーズン16回。とてつもない大記録を残した張本勲という大打者をともにプレイした選手たちの証言で綴った優れた番組だった。
阪急ブレーブスで284勝を挙げて史上最高のサブマリンと謳われた投手、山田久志は語る。どんな球にも対処できる優れた技術を持っていた。バットコントロールとコンタクト力。どんな球種でも、コースでも巧みに打ち返す。イチローや篠塚和典のように「ミートがうまい」のではなく、ボールを正確にとらえ、バットを振り切ることに長けていた。
同じく阪急ブレーブスの打者だった長池徳士はこういう。自分の体の近くまでポイントを持ってこられる。すなわち、スイングスピードが速く、最短距離でバットを出せるから、ボールを見て判断することが正確にできる。よって、始動が遅くても、正確に球をとらえられた。しかも、崩れた打ち方をしない。体の上下動やテークバックが小さく、足の動きやステップも小さかった。理想のバッティングフォームだ、と。
近鉄バッファローズで通算317勝を記録した投手、鈴木啓示はこう振り返る。悪球には手を出さない。自分のストライクゾーンだけをしっかりスイングしていた。投手はストライクゾーンで勝負しない。ボールを振らせて、三振を取る。それが張本にはできなかった。誘い球に手を出さない選球眼があった。
同じ東映に属し、その後南海、阪神と移籍した江本孟紀は「張本さんは実はホームランバッターなのだ」と言う。通算504本塁打は歴代7位。バットを振る力、遠くへ飛ばす力は抜群だったのだ。ひとつだけ弱点を挙げると、インハイが苦手。でも、少しでも甘くなるとホームランにされる。諸刃の剣だった。
さらにすごいのは、俊足を生かしたセーフティーバントが絶品だったこと。21回中、20回成功している。山田久志が忘れらない対決は1970年10月18日の西宮球場のデーゲーム。シーズン最高打率がかかった打席で、張本はまさかのセーフティーバントを決めたのだ。これによって、3割8分3厘4毛という新記録を達成した。
バットコントロールの良さ、パワーで打つホームラン、そして俊足を生かした内野安打…これによって、張本は通算3085本安打というプロ野球記録を樹立したのだった。
張本にとって忘れられないターニングポイントは1976年に日本ハムから巨人に移籍したときだという。75年に長嶋茂雄が巨人の監督に就任したが、何と47勝76敗、首位に27ゲーム差をつけられて最下位に沈んだ。長嶋が抜けた後、他球団の王貞治への徹底マークが厳しく、王は2割8分5厘、ホームラン33本と低調な成績に終わった。これを打破するために白羽の矢が立ったのが、パ・リーグの雄だった張本だった。同期でお互いにリスペクトしている間柄、補強の切り札と期待されての移籍だった。
東映の選手は駒沢の暴れん坊と呼ばれていた。一方、巨人は球界の盟主、「紳士たれ」がモットーだ。だが、張本は巨人に入団すると、きちんと巨人のカラーに染まった。そして、開幕からエンジン全開でプレイし、巨人は5月には首位に立ち、セ・リーグ優勝に貢献した。3割5分5厘、182安打、22本塁打、出塁率4割1分7厘。王も触発され、3割2分5厘、49本塁打の成績を残す。張本は中日の谷沢健一と首位打者争いを演じ、惜しくも谷沢が1毛差で勝ったが、張本は何よりチームの優勝請負人としての責務を果たしたことが嬉しかった。
翌年9月3日。王は756号ホームランを放ち、世界記録を樹立した。このときの写真には、グラウンドを回る王の後ろで飛び跳ねて喜ぶ張本の姿が映っている。張本は「東映時代が青春で、巨人の4年間は花道だった」と振り返ったのが印象的だった。
張本に23年間の選手生活で思い出のシーンを一つ挙げるとしたら何かという質問に、「1962年のオールスター第2戦」を挙げた。張本の故郷、広島にある市民球場で9回に逆転ツーランホームランを放ち、MVPに輝いた試合だ。生活のため、親孝行のためにハングリー精神で続けた野球で、故郷に錦を飾れたのは何よりの喜びだったのだろう。
安打製造機・張本勲さんのご冥福をお祈り申し上げます。

