さん喬・権太楼特選集 柳家さん喬「中村仲蔵」「柳田格之進」

上野鈴本演芸場八月中席夜の部三日目に行きました。今席は「吉例夏夜噺 さん喬・権太楼特選集」と題し、柳家さん喬師匠と柳家権太楼師匠が交互に主任を勤める恒例のお盆の特別興行だ。1999年にはじまったこの興行も、お二人の年齢を考慮したのだろう、今年でピリオドを打つことになった。さん喬師匠のネタ出しは①船徳③中村仲蔵⑤笠碁⑦八五郎出世⑨柳田格之進。きょうは「中村仲蔵」だった。

奇術 ダーク広和/「夫婦でドライブ」春風亭百栄/「家見舞」入船亭扇遊/「新聞記事」林家正蔵/漫才 米粒写経/「首ったけ」柳家喬太郎/「かぼちゃ屋」春風亭一之輔/「権兵衛狸」露の新治/中入り/粋曲 柳家小菊/「青菜」柳家権太楼/紙切り 林家楽一/「中村仲蔵」柳家さん喬

さん喬師匠の「中村仲蔵」。歌舞伎の世界は血筋がないとなかなか出世できなかったことや、仲蔵は芝居に色々な工夫を凝らすのに熱心だったこと等はあえて強調しない演出である。

中村傳九郎の弟子だった市十郎(のちの仲蔵)が衣裳を丁寧に扱っているのを四代目團十郎が見て、「見どころがある。一人前にしたい。預からせてくれ」と自分の許に置くようになったというエピソードが良い。台詞を失念し、咄嗟の機転で團十郎の傍に行き、「台詞、忘れました」と耳打ちして、その機転が評価されたというエピソードはどの噺家も入れるが、それ以前から成田屋は市十郎を買っていたという…。

その後も芝居に打ち込み、二十九歳で名題に昇進し、中村仲蔵を名乗る。顔見世興行で仮名手本忠臣蔵の通し狂言をやることになったが、そのときに仲蔵に付いた役が五段目斧定九郎一役。これを知って、仲蔵は金井三笑のツラ当てだと激怒するが、女房のおみつの反応が良い。「私が客だったら、仲蔵は一体どんな定九郎を演じるのか、楽しみに思うけど」と言う。良妻である。

三囲稲荷の日参で、雨宿りした蕎麦屋で出会った貧乏旗本の稲葉新三郎にヒントを得て、身なりを熱心に観察するところ。仲蔵の熱心さが良く出ている。そして、与市兵衛を演じる團蔵ほか浄瑠璃、長唄、大道具、小道具含め五段目のスタッフに自分の考えた演出プランを話して協力を求め、「どうかご内分に」と頼む用意周到なところも良い。

五段目山崎街道の場面は鳴物入りで、さん喬師匠が演じ、まるで舞台が見えるかのようだった。白塗り、黒紋付で現れた定九郎が与市兵衛を襲い、五十両を奪うところ。猪が走り抜けるところ。垣根から出てきた定九郎が勘平の撃った鉄砲に射抜かれ、体が血に染まるところ。観客が声も出ない素晴らしい演技であったことが良く伝わってきた。

「しくじった」と思った仲蔵が上方で修業をやり直すと言って、おみつに別れを告げて、中村座がはねて帰る客の「堺屋は大した役者だ。重役の倅のはずの定九郎の謎を見事に解いてくれた」という声を聞いたときの喜びはいかばかりか。そして、座頭の團十郎に呼び出され、「よくあれだけの芝居を思いついた。俺はお前を預かって良かった」、そして師匠傳九郎の「しくじりどころか、大当たりだよ。お前は俺の弟子だよな。鼻が高いよ」という言葉。自分は間違ったことをしていなかったという安堵とともに、これからも歌舞伎の世界で頑張ろうという気力がみなぎったのではないか。素敵な名人伝として聴くことができた。

上野鈴本演芸場八月中席夜の部九日目に行きました。今席は「吉例夏夜噺 さん喬・権太楼特選集」と題し、柳家さん喬師匠と柳家権太楼師匠が交互に主任を勤める恒例のお盆の特別興行だ。きょうは主任がさん喬師匠で「柳田格之進」だった。

奇術 ダーク広和/「弟子の強飯」春風亭百栄/「松山鏡」林家正雀/「ぞろぞろ」林家正蔵/漫才 米粒写経/「粗忽長屋」柳家喬太郎/「桃太郎」桃月庵白酒/「紙入れ」露の新治/中入り/粋曲 柳家小菊/「疝気の虫」柳家権太楼/紙切り 林家楽一/「柳田格之進」柳家さん喬

さん喬師匠の「柳田格之進」。萬屋善右衛門は柳田のことを「侍の中にもこんな実直な方がいたのか」と感心し、「生涯の友にしたい」と願う。積み上げてきた友情を番頭の惣兵衛の「つまらない忠義心」によって壊されてしまったと判ったときの悔しさはなかったろう。

十五夜の晩に紛失した五十両について、番頭が柳田を疑ったとき、「馬鹿なことを言うな!」と罵倒し、「私の小遣いにしておいてくれ。もう、二度と五十両のことは口にするな」という台詞に柳田への愛情がこもっている。

それなのに、番頭は柳田を嫉妬してしまった。「やはり五十両は柳田様から出ました」と鬼の首を取ったように主人に報告したときの善右衛門の憤慨。馬鹿!なぜ、柳田様のところに行ったんだ!あれほど五十両のことは言うなと言ったろう!何ということをしてくれたんだ。私は柳田様のためだったら、百両でも二百両でも惜しまず出すんだ!生涯の友を失ってしまった…。善右衛門の落胆もよく判る。

この噺のもう一つのポイントは柳田の娘あやのだ。番頭に「五十両紛失の件を奉行所に届ける、役人の取り調べを受けるかもしれない」と言われた柳田は「明日までに用意する」と約束する。このやりとりを聞いていたあやのは父親が腹を切る覚悟であることを察知する。そして、進言する。「お父上は赤き心をお示しになるつもりかもしれないが、世間はそう見ない。五十両を盗んだのが表れて、腹を切ったと思うだろう。無駄です。犬死にです。お留まりください」。賢明である。

娘がすごいのは自分が犠牲になると考えるところだ。「離縁くださいませ。私を吉原にお売りください。その金子でご無念をお晴らしください。五十両は必ず出てきます」。そうすることこそ、武士として赤き心を示すことなのだと意見する娘あやのは賢女であると同時に、貞女であろう。

最終盤、彦根藩江戸留守居役に仕官が叶った柳田が萬屋を訪ね、善右衛門と惣兵衛が主従の庇い合いをしているのを見て言う台詞が滲みる。黙れ!黙ってくれ!赤貧洗う身で、あの五十両をどのように整えたと思うか。一度でもその出所を思ったことがあるか。娘あやのが吉原に身を沈めて拵えたのだ。幸い、彦根藩から支度金を受け取り、早速身請けしたが、そのときには既に遅かった。わが娘はわが娘ではなかった。背中を向け、話すことも笑うこともせず、ただ泣き暮らしている。緑の黒髪は真っ白になり、まるで老婆のようだ。その背に許しを請う言葉があるか。あるなら、教えてくれ。

この後、番頭惣兵衛があやのを看病し、一年かけて雪解けを迎え、二人は夫婦となり、生まれた男の子に柳田の家督を継がせるというストーリーに疑問を感じる人は多い。だが、そのことよりも、萬屋善右衛門が柳田を生涯の友人としたいという強い気持ちと、武士以上に武士らしく誇りと覚悟をもって対処した娘あやのの言動の素晴らしさに感動した高座だった。