【新プロジェクト✕】“たかが芋”とは呼ばせない~焼き芋 世界に羽ばたく~

NHK総合で「新プロジェクト✕ “たかが芋”とは呼ばせない~焼き芋 世界に羽ばたく~」を観ました。
2001年に品種登録された「べにまさり」によって、日本に焼き芋ブームが起こり、それは世界に広がって、この20年で輸出金額が100倍になっているという。その発端は茨城県行方郡の農協職員、棚谷保男の執念だったことが感動的である。
1960年代、茨城県行方郡は日本でも有数の葉たばこの産地であった。1966年の成人男性の喫煙率が83.7%という時代である。さつまいも農家に育った棚谷。米の代わりに腹を満たすいわば代用食的存在だったさつまいもは見下され、保男という名前から「イモヤス」と渾名され馬鹿にされた。高校3年の冬、親に内緒で京都の大学を受験して合格したが、とうとう親に告白できず、進学を諦めて、地元農協に就職し、さつまいも担当になった。
行方のイモは品質が悪く、全国的には下級のレッテルが貼られていた。棚谷は「いつかさつまいもを日本一にして見返してやる」と闘志に燃えた。まずは県内一を目指そう。葉たばこ農家の取りまとめ役をしていた渋谷信行を訪ね、「さつまいもにも力を入れてほしい」と頼む。当時、さつまいもは葉たばこを栽培していない時期に土壌を良くするために、片手間に栽培されていた。だが、本格的に取り組むとなると、肥料を見直し、手間暇をかける必要があった。「収入が減ったら、農協が責任をとれるのか」。棚谷は「行方を日本一の産地にしたいのです」と情熱をぶつけた。渋谷は熱意に押され、「そこまで言うなら、一回作ってやる」と協力を約束した。
棚谷は全国のさつまいもの産地を視察した。そして、イモ一本一本を丁寧に手で洗う農家の姿を見て、「イモを馬鹿にしていたのではないか」と反省した。県農業試験場の研究者を招き、肥料や栽培方法を一から学ぶ。「たかが芋と思うな」。貯蔵庫の温度や湿度の管理にも気を配る。手間をかけることで、イモはどんどん良くなった。評判も上がり、出荷量も増えた。
4年後。行方が県の制定する銘柄産地にさつまいもで唯一指定を受けた。県内一というお墨付きを得たわけだ。だが、全国的には無名、日本一には遠い。そんなとき、県の職員が新種のイモの売り込みに来た。べにまさり。ふかし芋にして食べると、しっとりと滑らかな味、しかも甘い。従来の常識だった「ほくほく」を超える食感に衝撃を受けた。
この「べにまさり」は宮崎県都城市にある九州沖縄農業研究センターが10年かけて開発した新種だった。育種担当の研究員、吉永優が室長の山川理の「欠点があるものでも見落とさずに試せ」という教えに従って、落ちこぼれ品種を掛け合わせた結果生まれた。しかし、欠点があった。大きさにばらつきがあり、芽が出やすいということだった。
棚谷はそれを逆に「なおさらチャンス」だと捉えた。育てるのは大変だが、味は抜群。他の産地に差をつけることができる。2002年5月に、べにまさり作りがスタートした。だが、やはり形にばらつきが出る。市場には出せない。栽培を離れる農家が続出した。だが、渋谷は堪えた。世の中は禁煙ブーム。葉たばこ農家はかつての1200戸から170戸に激減していた。たばこ産地としては終わる、この後の道を作らねばならない。肥料を変えながら、栽培実験を重ねた。
ある日、棚谷の許に「焼き芋を売り出したい」と連絡が入った。静岡県のスーパーマーケットチェーンで農産部長をしている久保田義彦からだった。焼き芋を目玉にしたいという要望に、棚谷は「しめた!」と思った。焼き芋ならイモの大きさにばらつきが多少あっても問題ない。べにまさりを世に出すチャンスだ。「任せてください」と引き受けた。
久保田には勝算があった。街角で屋台を曳いて売っている焼き芋屋は2個1000円という高値。これを1個200円で売ったら、間違いなく売れる。店内で売るための電子式の焼き芋機を見つけた。設定さえすれば、誰もが作れるオーブン搭載の発明だ。発明家の園田豊太郎はこれまで、パイナップルカッターや防寒用電子式ベストなどを発明したが、ヒットしなかった。それが、いきなり40台の大量受注。驚いた。
だが、行方では大きな問題が発生する。別のスーパーマーケットからイモから芽が出て来たとクレームが入り、返品されてきたのだ。2004年秋のことだった。200ケース、80万円相当の返品。だが、棚谷はこのことは農家に言えなかった。部下の金田富夫に「棄てておいてくれ」と頼んだ。芽が出ていても健康に害はない。金田は保冷庫に隠した。そして、芽を取って焼き芋にして、子どもたちのサッカー大会で無料で配ったら、大好評だった。金田は棚谷に報告する。「保管していたべにまさりがさらに美味しくなっています!」。
焼き芋にすると、しっかりとした甘みが出る。これは絶対に売れる。県の研究機関に甘みを最大に出す保管方法を研究してもらった。温度13度、湿度90%。3カ月寝かすと甘みが一番増すとわかった。これで弱点の芽も出なくなる。
園田は焼き芋の焼き方を研究。短期貯蔵(11月~2月)と長期貯蔵(3月~8月)に分けて、焼き時間を変えるマニュアルを作成した。渋谷はイモの大きさと形が安定できる栽培方法を見つけた。素材、保管方法、焼き方。三拍子揃えば、最高の焼き芋ができると確信できた。
2005年、べにまさりの焼き芋販売スタート。しっとりとした食感と甘みが評判となり、売り切れ店が続出した。久保田は棚谷に連絡する。「すごい売れ行きだ。残りも全部ください」。反響は他のスーパーマーケットにも及び、行方に問い合わせが殺到した。作付量は年々増加の一途を辿った。
2013年。棚谷が37年前に出荷した額は数百万だったが、それが20億円に到達した。べにまさりよりさらに育てやすく、甘みのある「べにはるか」が誕生。焼き芋需要はコンビニや個人商店に広がった。そして、2017年。行方のさつまいも作りは栄冠に輝く。全国農林水産業の頂点である天皇杯を受賞したのだ。さつまいもの常識を覆し、日本一となった喜びを棚谷をはじめとする関係者たちは分かち合ったという。
「イモヤス」と馬鹿にされた男の執念のサクセスストーリーに感動した。

