浪曲に玉川太福あり。講談の松之丞と共に演芸ブームを引っ張る~鍛耳會
高円寺ノラやで「鍛耳會」を観た。(2019・06・30)
落語ブームという言葉は昭和の時代から何度も使われてきた。実際には、世の中を動かすほどのブームではなく、チョコチョコと落語ファンが微増する程度の社会現象とは程遠いものばかりである。今回の「昭和元禄落語心中」と「いだてん」だって、本当にどれだけの国民に理解されているのか。永遠のサブカルチャーであるというのが僕の持論だ。
最近は、「演芸ブーム」と言い換えられるケースを多く見るようになった。それは、モンスター・松之丞の登場により、これまで日陰にいた「講談」が一躍注目を浴びるようになったからで、マスコミの寵児として、講談という言葉が一般市民に少しずつではあるが浸透してきたのは、「サンリオピューロランドでキティちゃんとの二人会」という仕事も、講談界のためと思って取り組む松之丞の功績である。
それと同時に、浪曲が脚光を浴びてきていることも要因の一つだ。渋谷ユーロライブで5日間もの浪曲イベント「情念の美学」が開催されたのは、松之丞の講談だけでなく、奈々福と太福の浪曲が若者に受け入れられてきた証拠でもある。松之丞は従来の講談をドラマチックでわかりやすい話芸で演出することで人気を得たが、玉川太福は違うアプローチだ。新作の浪曲を積極的に創ることで共感を呼び人気を博し、そこから古典浪曲の魅力へいざなっていく手法を採った。
「シブラク」の第一回創作大賞が、落語ではない太福の「地べたの二人~おかず交換」だったことからも明らかである。その後も、太福は「男はつらいよ」全48作の浪曲化の挑戦をスタートさせたり、身辺雑記を唸るという高座も積極的に取り入れたりして、「浪曲って、広沢虎造だけじゃないんだ」「清水次郎長で、寿司食いねぇと言っているだけじゃないんだ」と、若者の目を覚ました。
で、この日に披露した「天保水滸伝」からの「繁蔵売り出す」。笹川繁蔵と飯岡助五郎との抗争を描いた侠客伝である「天保水滸伝」、元ネタは講談である。それを浪曲にしたのは随分と昔のことで、これを得意ネタとしたのが、奈々福と太福の師匠だった玉川福太郎。今年は十三回忌に当たり、木馬亭で2日間、奈々福と太福による「二人天保水滸伝」の会が開かれた。
笹川繁蔵は元相撲取りで、そこから任侠の道に入った。その経緯を描いたのが、講談の「相撲の啖呵」で、浪曲では「繁蔵売り出す」。そこが発端で、賭場の様子がよくわかる「笹川の花会」があったり、ヒーローの平手造酒が活躍しドラマチックな最期を迎えたり、とても魅力的な連続モノだ。
新作浪曲から入ったファンは、是非、次のステップとして、「天保水滸伝」に触れてほしい。きっと、より深い浪曲の世界にはまるはずだ。節と啖呵で構成される気持ち良さ、浪曲師と曲師の阿吽の呼吸、講談とは違う魅力が浪曲にはある。そこへいざなってくれるのは、「浪曲界の若大将」玉川太福をおいて他にいない。松之丞と太福。「演芸」を一過性のブームに終わらせるのか、人気のエンターテインメントとして定着させるのか。この二人の男に託されていると言っても過言ではない。