歌舞伎鑑賞教室「仮名手本忠臣蔵」五段目~六段目、そして一花繚乱 春風亭一花「ねずみ」「船徳」

歌舞伎鑑賞教室に行きました。「仮名手本忠臣蔵」二幕三場。

五段目 山崎街道鉄砲渡しの場/同 二つ玉の場/六段目 与市兵衛内勘平腹切の場

与市兵衛が娘おかるを十文字屋に身売りして半金の五十両を受け取り帰路に就くところ、斧定九郎が襲って刺し殺して五十両を強奪した。だが、勘平が猪を狙って撃った弾が定九郎に当たり、定九郎は倒れ、死んでしまう。誤って人を撃ち殺したと勘平は判り、定九郎の着物の中を探って、五十両の入った財布を見つけると、それを貰い受けて去って行く。

定九郎はこの五十両を仇討に必要な資金を集めているという千崎弥五郎に渡し、仇討ち計画の仲間に入れてもらおうと考えた。ここに僕は疑問を感じる。「誤って」とはいえ、人を殺してしまった上に、その人が所持していた金を自分のモノにしていいものか。その人を殺していなかったとしても、五十両はお上に届けるべき案件ではないか。それを「これで仇討ちに加えてもらえる!ラッキー」と考えるのは如何なものか。

与市兵衛が十文字屋から受け取った五十両が入った財布が、十文字屋の女将お才の証言から、勘平は自分が奪ってきた財布と同一であることを知る。すると、俺は舅の与市兵衛を殺してしまったのか…と当然思う。やがて、村の衆が与市兵衛の亡き骸を運んで来て、姑のおかやに「お前が与市兵衛を殺した」と責められると、二の句が継げないのは当たり前である。(実際には与市兵衛は定九郎に斬り殺されたのであり、勘平が殺したのは定九郎なのだが)。

千崎弥五郎が原郷右衛門とともに与市兵衛宅を訪ねたとき、大星由良之助は「主君に仕える義務を怠っていた勘平を仇討仲間に加えることはできない」と判断した旨を伝える。塩冶判官が高師直に対し刃傷に及んだとき、家臣である勘平は恋人のおかると逢引をしていて、その場にいなかった咎は大きい。それを五十両を寄進したところで、その咎を無かったことにすることは難しいのではないか。

千崎らに厳しい通告をされ、さらに舅殺しをして五十両を調達したとおかやに疑われ、追い詰められた勘平は刀を腹に突き立て、自害に及ぼうとする。だが、与市兵衛は鉄砲の弾で死んだのではなく、刀で斬られて死んだことが、亡き骸から判る。原はここに来る途中に定九郎が鉄砲傷で死んでいる現場を見たという。ということは、勘平は与市兵衛ではなく、定九郎を殺したということが判明する。

ここで千崎と原が下した結論にも首を傾げたくなる。勘平は図らずも舅の仇討ちをしたことになる、よって塩冶判官の仇討に参加することを許すというのだ。由良之助が判断した「勘平の咎」をこうも簡単に覆していいものか。そして、勘平は既に腹を召しており、虫の息の状態である。連判状を差し出されて、勘平が血判を押すことに何の意味があるのか。「お前は死んでも、仇討の仲間だよ」という温かい心遣いということなのだろうが。

名作「仮名手本忠臣蔵」をちょっと斜めに読み取るのは、意地悪だということも判っている。勿論、史実としての赤穂事件を描いているのではなく、あくまでも「お芝居としての忠臣蔵」として演じられているのだから、そんなに目くじらを立てることもないのだろう。ただ、こんな偏屈な見方もできると思った。

「一花繚乱~春風亭一花勉強会」に行きました。「お菊の皿」「ねずみ」「船徳」の三席。開口一番は林家十八さんで「ディズニー行きたい」だった。

「ねずみ」、ネタおろし。虎屋を後妻のお紺と番頭の丑蔵に乗っ取られ、三度の飯を生駒屋に世話になって物置に暮らすのは乞食同然。その悔しさから小さいけれども宿屋を営もうと一所懸命に客引きする卯之吉の健気なところが良い。

前後するが、生駒屋が卯兵衛に「お前はいつからそんな腑抜けになったんだ」と言われ、卯之吉の着物を脱がして裸にすると生傷だらけであることが判ったとき、卯之吉はあくまでも友達と喧嘩をした傷だと言い張った後に、父である卯兵衛の首っ玉に飛びつき、「おっかちゃんは、なぜ死んだんだ!」と泣き叫ぶ姿に胸が締め付けられる。その悔しさが鼠屋として宿屋を始める原動力になっているのだと思うと、余計に泣ける。

この父子の思いを汲んだ甚五郎は人情家である。大枚を積まれても気が乗らないと仕事をしない甚五郎が、卯兵衛の愚痴を聞いてすぐに「鼠を彫りましょう」と言って無償で、魂をこめて彫る福鼠の尊さを思う。この福鼠によって、鼠屋にはまさに福が舞い込み、商売が繁盛。一方の虎屋の方は逆に「薄情だ」と噂が広まり閑古鳥が鳴くのは当然だろう。

虎屋が飯田丹下に依頼して彫ってもらった虎は「目に恨みがこもっている」と甚五郎は言った。丑蔵やお紺、それにかつて甚五郎に負けた遺恨を晴らそうとした飯田丹下の了見が虎の彫物には表れていたのだろう。福鼠が「猫かと思った」というのは、まさにそれを象徴している。

「船徳」。船頭という見た目のカッコ良さに惹かれたが、如何せん非力で船頭の実力を伴わない徳さんを愉快に表現していた。女将は「親方に叱られる」からと引き留めるが、それでも強硬に船を出そうとする徳さんに対し、「駄目だなと思ったら、すぐにやめる。勇気ある撤退が大事」と言いつけ、涙ぐんで手を合わせて船を見送る女将の姿にすべてが表れている。

竹屋のおじさんが「徳さん、一人かい?…お客さん、逃げて!」と言うと、客は何かあったのかと徳さんに訊く。「ちょっとした間違いがありましてね。赤ん坊をおぶったおかみさんを落としちゃったんです。でも大丈夫ですよ。私は泳ぎの達者な方に助けてもらいましたから…あ、おかみさん?自力で泳いで岸に上がっていました」。おいおい、自分のことしか考えていないのかい!

客に文句を言われるたびに、「船を漕ぐのは難しいんですよ。やってごらんなさい」とか、「馬鹿?親父にも言われたことがない。愛されて育てられたんだ。もう、やーめた」とか、「目に汗が…前が見えない。疲れた。帰る。無理!とか。そんな了見でよく船頭になろうなんて思ったなあという世間知らずの甘やかされて育った若旦那特有のわがままがよく表現された一席だった。