講談協会定席 神田織音「太平記 楠木正成忠義の終焉」、そして小春志・琴鶴二人会 立川小春志「青菜」

上野広小路亭の講談協会定席に行きました。
「伊達政宗堪忍袋」田辺一記/「英国密航」田辺一乃/「お竹如来」一龍斎貞友/中入り/「万両婿」神田山緑/「太平記 楠木正成忠義の終焉」神田織音
織音先生の「楠木正成忠義の終焉」。楠木正成といえば、戦前までは修身の教科書で忠臣愛国の模範的な人物として取り上げられていた。それが戦後、GHQの指令や教育改革により、軍国主義や天皇中心の思想に繋がるとして、一時は教科書からその名前すら削除されてしまった。僕の記憶では日本史の授業でも「足利尊氏らと戦った後醍醐天皇の南朝の有力武将」として軽く扱われていた印象である。
楠木正成は足利軍との和睦を後醍醐天皇に進言したが、受け入れられず、同じく味方の新田義貞がいる湊川へ援軍に行く。官軍の勝利はないと悟っていた正成は息子正行を桜井の地で返す判断をし、同行を希望する正行に対し、父亡き後も後醍醐天皇への忠誠を尽くすように諭す。織音先生の高座では父の討死を知った正行が自害しようとした部分は出てこなかったが、母がその正行の行動を厳しく諫めるところも含め、正成・正行親子は忠孝の鑑とされ、修身の教科書でもてはやされたのだろう。
湊川で足利直義率いる1万の軍に包囲された正成は「龍蛇の陣」作戦などで善戦するも、ついに追い込まれ、討死を覚悟する。その際に、たった一人、十八歳の小姓・竹童丸を呼び寄せ、祖先より伝わる鎧を与え、官軍は見事な戦死を果たした旨を遺族のいる兵庫に戻って伝える役を託す。そして、弟・正季と差し違えて討死した…。織音先生が綺麗な高座に仕上げた。
立川小春志・宝井琴鶴二人会に行きました。小春志師匠が「馬のす」と「青菜」、琴鶴先生が「伊達政宗堪忍袋」と「長谷川伸生い立ち」、開口一番は笑福亭羽太郎さんで「初天神」だった。
小春志師匠の「青菜」。ガラスのコップで呑む柳影、下に氷が敷いてある鯉のあらい、奥方が正座をして三つ指をついて出てくるところ、そして「菜がない」とお客様に対して失礼だからと夫婦の間でしか判らない“隠し言葉”…。こうしたお屋敷の暮らしにすっかり感心をして、憧れてしまい、自分も真似をしたいと思う植木屋は短絡的だが、その気持ちも十分理解できて、人間味があるなあと思う。
これに対し、植木屋女房は隠し言葉を「火傷のまじない」、正座三つ指を「そういう形の蛙が出ると雨が降る」、挙句にそんな真似がしたかったら「屋敷に暮らしてみろ」と言う。尤もだ。その家庭の経済事情に応じて、その家庭の暮らしぶりがあり、背伸びするのはナンセンスだからだ。所詮、植木屋女房は「三日前に買った摘み菜がいつまであると思っているんだい」と返すのが通常である。
その無理を押して、「お屋敷ごっこ」をしたくて堪らない植木屋亭主が、女房を「次の間」となる押し入れに閉じ込め、建具屋の半公を呼び寄せて、「ご精が出ますな」とはじめちゃうのが、いかにも落語で、だから落語は面白い。ガラスのコップは茶碗に焼酎、鯉のあらいは鰯の塩焼きなのは百も承知で強引に屋敷の旦那の猿真似をした挙句、「菜は嫌いだ」という半公に無理やり「好きだ」と言わせ、「菜を取り寄せよう。奥や!」と手を叩く茶番が愉しい。汗だくの女房が押し入れから出てきたとき、半公はさぞビックリしたろう。
そんな落語世界をしっかりと描き出す小春志師匠がお見事だった。

