歌舞伎町大歌舞伎「獨道中五十三驛」、そして扇辰・喬太郎の会 柳家喬太郎「千早ふる」

歌舞伎町大歌舞伎「獨道中五十三驛」を観ました。
四世鶴屋南北の作品を昭和56年に三代目市川猿之助(のちの二代目猿翁)が復活上演し、積み重ねてきた澤瀉屋の人気狂言で、僕は平成26年に新橋演舞場で当代猿之助が十八役を演じた舞台が印象に残っている。今回は「こえかぶ」という人気声優が語りで話を進める部分が半分を占め、歌舞伎として上演されたのは1時間半程度だったのが残念だった。「朗読で楽しむ歌舞伎」とか、「声の早替り相勤め申し候」などと謳っているが、やはり役者の演技で通して全部観たかったというのが正直な意見だ。
それでも大詰の「写書東驛路」における市川團子の十三役早替りは素晴らしかった。小田原の道具屋信濃屋の丁稚・長吉、恋仲の信濃屋娘お半、さらには長吉の姉で芸者の雪野、長吉の許嫁のお絹、お半の母お繁、悪人江戸兵衛とその女房お六…、これらをすべて團子が演じて由留木家の家宝の雷丸と九重の印を奪い返そうとする展開は見応えがある。さらに弁天小僧菊之助、土手の道哲、鳶頭政吉、雷、船頭の浪七といった人物も演じて、家宝の行方という一つのテーマに関わるそれぞれの役回りに彩りを添え、それは単なる「趣向としての早替り」ではなく意味合いを持たせているところが興味深かった。
物語の芯は由留木家の家督を二人の若殿のうち、優秀な調之助ではなく愚劣な馬之助に継がせて御家乗っ取りを図ろうとする赤堀官太夫・水右衛門親子に対し、馬之助から縁談を申し込まれている重の井姫と恋仲にある丹波与八郎が由留木家を守ろうと奮戦するところにある。
また、三河国八ッ橋村の百姓・佐次兵衛の娘お松とお袖をめぐる因縁も物語を面白くしている。お松は以前吉原で働いていて、そのときに出逢った由井民部之助の種を宿している。お袖は由留木家に奉公していたときに、家中の中野藤助と深い仲になり、出産した子を里子に出した。そして、実は由井民部之助と中野藤助は同一人物で、由留木家の騒動を聞き、逆臣の赤堀親子を討とうと江戸へ向かう途中で、八ッ橋村に立ち寄り、お松とお袖と鉢合わせとなるという…。
この二つの物語の肝が「こえかぶ」パートとして演出されていたことは、新機軸であり、イケメン声優が日替わりで登場することで新しい客層を開拓したいという思いがあるのだろう。だが、僕個人としては、宙乗り含め化け猫を演じた市川中車の快演や團子の十三役早替り熱演が素晴らしかっただけに、忸怩たる思いが残った。
扇辰・喬太郎の会に行きました。入船亭扇辰師匠は「夏の医者」と「一眼国」、柳家喬太郎師匠は「千早ふる」と「諜報員メアリー」、開口一番は入船亭辰むめさんで「道灌」だった。
喬太郎師匠の「千早ふる」、ネタおろし。しっかりとした芯のある噺の中に、思い付きなのだろうか、アドリブ的に遊びの部分が挿入され、新鮮な笑いを生んでいるのが印象に残った。果たして、最初から計算して挿入したものなのか、本当のところはわからないが、リラックスした噺運びが特徴的で、これは新作落語の手法が生きているのではないかと思った。
竜田川という相撲取りの件。「とある師匠に入門って、親方は誰?」と訊かれ、竜田王だな。部屋には竜田山や竜田海がいる。「だから竜田川を襲名した」「襲名ということは前にもいたの?」に、竜田大川、竜田小川というのもいた。竜田川は真面目で大関になるまで「女断ち」をした。「汚らわしい」ということではなく、「寧ろ女が好きだから断った」。随分内面に迫るんだね。
大関昇進後の願ほどき。贔屓客と吉原に夜桜見物に行った。「頃しも弥生」に、「裕子と弥生?」と訊かれ、弥生は三月のことだ。ちなみに「裕子と弥生」は双子姉妹の演歌デュオ。竜田川は千早太夫にも、神代太夫にも振られ、相撲取りなんて馬鹿馬鹿しいと豆腐屋になった。「年寄にならないの?」と訊かれ、「その贔屓客は女は紹介するが、年寄株は買ってくれなかったんだ」。
「水くぐるとは」の「とは」は余計では?どういう意味があるの?に、「とはは千早の本名だった」「裕子じゃないんだ」でサゲ。「裕子と弥生」をここに持ってくるんだ!何気ないアドリブと思ったが、それが伏線だったとは!喬太郎師匠、天才である。

