種々世間夫婦契(いろいろとあるめおとのちぎり)五街道雲助「子別れ」「中村仲蔵」

上野鈴本演芸場四月下席二日目夜の部に行きました。今席は五街道雲助師匠が主任を勤め、「種々世間夫婦契(いろいろとあるめおとのちぎり)」と題したネタ出し興行だ。①お直し②子別れ③芝浜④中村仲蔵⑤つづら⑥厩火事⑦休演⑧佃祭⑨幾代餅⑩夜鷹そば屋。きょうは「子別れ」だった。

「つる」隅田川わたし/「ろくろ首」桃月庵こはく/太神楽 翁家勝丸・丸果/「お血脈」林家たけ平/「二十四孝」柳亭市馬/ウクレレ漫談 ウクレレえいじ/「はなむけ」むかし家今松/「寿司屋水滸伝」春風亭百栄/中入り/奇術 ダーク広和/「鹿政談」蜃気楼龍玉/「子別れ」(中)隅田川馬石/粋曲 柳家小菊/「子別れ」(下)五街道雲助

雲助師匠の「子別れ」。特徴は伊勢屋の番頭が熊五郎に「木場に一緒に行って木口を見てほしい」と言って誘い出すが、実はそれは口実に過ぎず、息子の亀吉の学校の帰り道を事前に調べておいて、その道を通り、偶然を装って熊五郎と亀吉を再会させるという仕掛けになっているところだ。番頭の「確か、この辺り…」という台詞が伏線。

熊五郎が亀吉を見送った後、番頭が再び現れ、熊五郎はこれが伊勢屋の旦那と番頭の策略だったことに気づく。「もう木場には用はないんでしょう?お陰で、良い木口を見せてもらいました」。熊五郎は元の鞘に収まりたい気持ちがあるが、あれだけ無茶苦茶なことをしてしまった負い目があり、そんな身勝手なことを自分から言い出せない立場にある。熊五郎夫婦の仲人をした番頭さんがそのことを十分汲んでの作戦だったのだ。

元女房は後添えを持たずに亀吉と倹しく二人で暮していることを知った熊五郎は過去の自分への反省とともに、まだこんな自分のことを気に掛けていてくれることを心の中で喜んだと思う。「亭主は先の飲んだくれで懲り懲りだ、生涯やもめでいる」と周囲が後添えを世話しようとするのを断っているのは、熊五郎のことが好きだからだ。酒が良くなかった。酒さえ飲まなければあんな良い人はいない。酒のせいで吉原の女郎という魔がさしたのだと信じている。

しかし、世間体というものがある。熊五郎がいくら酒をやめて、吉原の女を叩き出して、仕事に精を出したとしても、「再婚したい」と自分から口には出せない。亀吉が「独りかい?寂しくないかい?もう一度、一緒に住もうよ」と言っても、「行かれないんだ。それはお前が大人になったら判る」。その分別がとても愛しく思える。

だからこそ、亀吉の額の傷の理由を聞いたときは、さぞ辛かったろう。地主の坊ちゃんに「親父もいないのに、生意気だ!」と言われ、母親も一旦は「片親だと思って馬鹿にして!」と怒るも、相手が世話になっている地主と聞いて「痛いだろうが、我慢しておくれ」と言った。その後の母親の言葉。「こんなときに、あの飲んだくれでもいてくれたら、案山子くらいにはなった」。亀吉も熊五郎も一緒に泣いている姿を思い浮かべると切なくなる。

亀吉が熊五郎から貰った小遣い1円の件の心配も母子家庭の悲哀が出ている。誰から貰ったかを頑なに口にしない息子に対し、「この子は盗んできたに違いない」と心配してしまう親心。「なんでそんな情けないことをするの。三度のものを二度にしたって、不自由はせせていないつもりだよ」。玄翁を持ち出し、「これはお父っつぁんが折檻するのと同じだよ」と、亀吉を叱る母親の気持ちを察すると胸が痛い。

最後の鰻屋二階。熊五郎は意を決して、両手を畳につけて頭を下げる。「この通りだ。散々、馬鹿をやってしまって、謝りきれないのは判っている。ここまで女手ひとつで亀を育てるのは並大抵の苦労じゃないだろう。今さら、言えた義理じゃないが、もう一度、元の鞘に収まってくれないか」。これに対し、元女房も「私はその言葉を言ってくれるのを待っていました」。過去を許すとか、許さないを超えて、これからの三人の将来を考えたとき、この決断は美しいと思う。

上野鈴本演芸場四月下席四日目夜の部に行きました。今席は五街道雲助師匠が主任を勤め、「種々世間夫婦契(いろいろとあるめおとのちぎり)」と題したネタ出し興行だ。きょうは「中村仲蔵」だった。

「道具屋」隅田川わたし/「真田小僧」桃月庵こはく/太神楽 翁家勝丸・丸果/「鈴ヶ森」柳家勧之助/「雑俳」柳亭市馬/ウクレレ漫談 ウクレレえいじ/「壺算」むかし家今松/「お血ミャクミャク」春風亭百栄/中入り/奇術 ダーク広和/「ざるや」蜃気楼龍玉/「中村仲蔵」(序)隅田川馬石/粋曲 柳家小菊・小春/「中村仲蔵」五街道雲助

雲助師匠の「中村仲蔵」。女房おきしの意見が良い。忠臣蔵芝居で「五段目斧定九郎一役」という報せが届いたとき、仲蔵は「これは相中格の役だ。人を馬鹿にしやがって。断ろう」と思った。だが、おきしは「これは何かあってのことだろう。お前さんじゃなきゃ出来ない定九郎を見せてほしいということじゃないか。今までにない定九郎を作るんだよ」と励ます内助の功が美しい。

柳島の妙見様に「良い工夫が浮かぶよう」日参した満願の日。思案投げ首の仲蔵は雨に降られ、蕎麦屋に入ったときに出会った侍の格好を見て、「これだ!これが定九郎だ」と閃く。つぶさに観察していると、その侍は「役の工夫か?俺のナリを舞台に上げるのか」と訊く。芝居好きで、目の前の男が売り出し中の仲蔵本人であることを知っていたという設定だ。「恥をかかすなよ。しっかりやれ」と名前も名乗らずに去って行った。これも良いエピソードだ。

そして、本番初日。白塗りの全身ずぶ濡れの、これまで見たことのない「斧定九郎」が見得を切る姿に、観客は圧倒され、声も出ず、夢中になって見入り、唸った。仲蔵はこれを「悪落ちした」と勘違いし、そうとなったら思う存分やり切ろうと肚が決まった。それがまた、凄味を増した演技になった。

楽屋に帰っても誰も声を掛けてくれない。とんでもない穴をあけちまった。こいつはいよいよやり損ねたと思った。家に帰り、女房おきしに「やり損なったから、上方へ修行の旅に出る」と告げる。おきしは「私は良いと思ったけれど…存分に芝居をしたんだろう。悔いはないね」と言って、心尽くしの料理を出して労い、送り出した。自分は子どもたちの手習や三味線を教えて暮らすから心配しないでいい、いつか帰ってくるのを待っているという女房としての肚の括り方も素晴らしい。

仲蔵が日本橋辺りを歩いているときに、芝居の噂が聞こえてきた。五段目がいい。定九郎がいいと言っている。「今までにない形なんだ。全身ずぶ濡れで、鉄砲に撃たれたときはゾクゾクした。これで三年は生き延びることができた。今度の忠臣蔵は五段目でもつぜ」。わかってくれる人がいた。さぞ、嬉しかったことだろう。

成田屋の番頭が追いかけてきて、仲蔵に團十郎親方のところへ行くように言われる。座頭の團十郎、勧進元、師匠伝九郎の前で「とんだ出過ぎたことをしてすみませんでした」と頭を下げると、團十郎は「でかしやがったな!」と褒める。仲蔵に定九郎を配役したのには考えがあった。「五段目はつまらない」という定評を払拭するために、わざと仲蔵に定九郎を振ったのだという。「なるほど家老の息子はこうあるべきだ。極上の定九郎だった。この型は後世に残る」と讃えた。

師匠の伝九郎も「末には座頭になる役者が自分のところから出たのは嬉しい」と言って、煙草入れを贈った。そして、総見の申し込みが殺到しててんやわんや、この芝居は何十日何カ月続くか判らないという。祝いに一杯やろうと誘うと、仲蔵は「女房のおきしに知らせたい」と言うが、何と隣座敷におきしは控えているという…。なるほど、今席のタイトルにあるように「種々世間夫婦契」、夫婦の噺として「中村仲蔵」を位置付けた意味がよくわかった。