【アナザーストーリーズ】“小さな統一” 卓球南北合同チームの奇跡

NHK―BSで「アナザーストーリーズ “小さな統一”卓球南北合同チームの奇跡」を観ました。

荻村伊智朗は終戦の年、13歳だった。高校一年生のときから卓球を始め、僅か5年で日本代表となる。22歳のときに世界選手権イギリス大会で男子団体とシングルスで優勝。翌年のオランダ大会では障害をもったハンガリー選手が観戦席に倒れそうになるのを助けたことが「人道的プレー」と賞賛され、それまで日本大使館への投石など反日感情の強かった世論を一変させた。当時の総理大臣、鳩山一郎が「君たちの活躍は金メダル以上だ」と讃え、卓球の外交面の貢献に注目が集まった。

荻村は世界選手権で12個の金メダルに輝いたが、その後はいわゆる「ピンポン外交」に目覚め、文化大革命が起きていた中国の周恩来に国際強調を訴えるほどだった。卓球というスポーツで国際社会への扉を開くのが、あなたたちの国にとって最良の方法ではないか、と説いたのである。中国は世界選手権に出場するようになり、そこから米中国交正常化が成就した。

荻村は1987年に国際卓球連盟会長に就任。そこで目指したのが朝鮮半島の統一だった。荻村はインタビューでこう答えている。南北に分断された朝鮮半島の問題はひとごとではありません。もし終戦直後のヤルタ会談で日本の分割が決まっていたら、当時中学一年生だった私も何とか日本を一つにしようとがんばっていたはずです。

韓国の体育青少年部長官だったパク・チョルオンは語る。南北統一チームは独自に模索していたが、うまくいかなかった。それに手を差しのべたのが荻村さんで、まるで外交官のようでした。「必ず実現すべきだ」と言う荻村さんに、力を貸してほしいと願い、架け橋になってもらった。荻村は南北双方に何度も説得に出向いた。

問題は合宿地だった。日本で一カ月、南北合同チームが練習できる場を提供した。そして、1991年2月21日、「統一チーム」合意なる。チームコリアと名付けられた。それまで敵と思っていた相手の選手をいきなり仲間になれるのか。不安は隠せなかった。

南北のバランスは慎重に取った。団長は北朝鮮、総監督は韓国。男子監督は北朝鮮、女子監督は韓国。選手は南北11人ずつとした。男子チームのコーチだったユン・ギルジュンは監督のファル・ゴンドンと一緒にやれるか不安だったという。以前の大会で南北が7位決定戦で対戦して、北朝鮮が勝利したとき、ゴンドンは「キム・イルソン万歳!」と叫んだ記憶が鮮明に残っていたからだ。だが、スポーツで一つになれる、和解の道が開かれると信じた。同じ宿舎で寝泊まりしていく中で、「同じ民族なんだ」という思いが強くなった。

それまでは別々の食堂で摂っていた食事も「一緒に食べませんか」と誘ったことがきっかけとなり、距離が縮まった。応援する在日コリアンも、在日本朝鮮人総連合会と在日本大韓民国民団との間に対話が生まれた。境界線のない朝鮮半島が描かれた統一旗が出来、士気も高まった。体力や基礎がしっかりしている北朝鮮、技術面でオールラウンド型の韓国。両者の短所と長所を補い合うように練習が進んだ。

注目は女子団体戦だった。北のリ・ブニ、南のヒョン・ジェンファ。エースが揃い、ダブルスでペアを組むことになった。ジェンファは16歳で代表入りしたレジェンドで、1988年のソウル五輪では女子ダブルスで優勝した実績を持つ。世界ランキングは5位だった。一方。ブニは世界ランキング3位。団体戦はこの二人をつぎこむ総力戦で、8連覇中の最強中国に挑んだ。

だが、ブニは肝炎を患っていた。練習でも休憩を他の選手よりも多くとった。ジェンファは1歳年上のジニに対し、「オンニ」と呼んだ。韓国語で「姉さん」という意味だ。距離を縮め、体調を気遣った。お互いの彼氏の話をして、心が打ち解けるまでになった。

統一チームの快進撃が続いた。応援団はお祭り騒ぎ。北も南の関係なく、声をからして「ケーソッチョジン(継続前進)」と叫んだ。夢の統一に皆が昂っていた。そして迎えた決勝戦は下馬評通り、中国が相手だった。ジニは体調を考え、シングルスには代役のリュ・スンボクを立てた。第1試合シングルスはスンボクが勝利。第2試合シングルスはジェンファが勝利し、優勝に王手をかけた。だが、第3試合ダブルスではブニとジェンファのペアで臨んだが敗戦。続く第4試合シングルスもジェンファが負けた。2対2。優勝は最後のシングルスに持ち込まれた。

スンボクに優勝は託された。負けても勝っても悔いのない試合をと皆が祈った。大接戦の末、チームコリアが勝利を収めた。チームは勿論、観客席も歓喜に沸いた。号泣。「これが小さな統一なのか…」、ジェンファが思った。境界線のない朝鮮半島の旗が揺れた。夢を見させてもらった。ジェンファとジニは別れ際、「また会おうね」と誓った。ジェンファは金の指輪を自分を思い出してほしいとジニに渡した。

しかし、その後の世界選手権で再び統一チームが組織されることはなかった。その3年後の1994年、荻村伊智朗は62歳で早逝した。男子チームのコーチだったユン・ギルジュンの開く卓球教室には監督だった北朝鮮のファン・ゴンドンから贈られたメッセージが掲げられている。

別れると恋しく、会うと親しい、愛する友よ、ユン・ギルジュン先生よ、歳月が流れても、山と川が変わっても、われらの友情、コリア統一への願いは変わらないだろう

ジェンファとブニは以降、連絡が取れていない。だが、2012年に国際メディアの取材に応じたブニの言葉が確認できている。「あのとき、ジェンファからもらった指輪は今も大事にしています。ジェンファに会いたいです」。

南北朝鮮の統一はいつ実現できるのだろうか。同じ民族でありながら、戦争という悲劇で分断されてしまった両国が手に手を取り合う日を夢見てやまない。