田辺いちか いざ真打へ!「曲馬団の女」、そして渋谷らくご 田辺いちか「鼓くらべ」

「田辺いちか いざ真打へ!其の参」に行きました。「愛宕山 梅花の誉れ」「忠僕直助」「曲馬団の女」の三席。前講は田辺凌々さんで「一心太助 旗本との喧嘩」だった。

「曲馬団の女」。人を信じる心の尊さ、美しさに思いを馳せる。親孝行で東京市から表彰された経歴のある鹿島壮吉は出征して、戦死してしまった。その死亡記事を読んだ詐欺師の山崎蘭は浅草小島町の壮吉の母の住む家を訪ね、「出征前に壮吉さんと夫婦約束した者です」と偽り、香典泥棒を働こうとするが…。

壮吉の母はすっかり信じこみ、四十九日までいてくれないかと頼み、そこから「義理の母」と蘭の二人暮らしがはじまる。どんな悪い人間にも「良心」はあるものだ。人を疑うことをしない「義母」と一緒に暮らしていくうちに、蘭はこの「義母」に対する情愛が生まれ、孝行をしようと思うようになる。ここが肝の読み物だろう。

蘭は孤児だった。サーカス団で猛獣使いをしていたが、その厳しさから抜け出し、窃盗を働いて食いつないでいたが、警察に捕まり、栃木の刑務所に入っていたこともある。蘭が「世間の風は冷たい」と思うのは仕方のないこれまでの人生だったのだろう。だが、この宗吉の母親を見て考えが変わる。

宗吉の遺影が飾られた仏壇の横には、戦地から母親に宗吉が送った手紙の束が置かれている。何度も何度も繰り返し読んだのであろう、涙で手紙がゴワゴワになっている。母を一人残して、壮吉はさぞ無念だったろうと蘭は同情する。いっそ、義理の娘としてこのまま一緒に暮らそうかと思う。散々悪事を働いてきたが、蘭も人の子なのだ。

宗吉の弟、壮次郎は兄と違ってならず者で、度々母親に無心に来る。「香典がたんまりあるだろう。俺は喧嘩をしてしまって、慰謝料や仲裁料を500円払わないと刑務所に入れられてしまう。兄貴の名誉に傷をつけたくなかったら、さっさと500円を渡してくれ」と脅す。母親にとっては同じ血を分けた息子。どこの馬の骨だか分からない娘とどっちが大事なのかと詰め寄る。とんだ親不孝者である。

蘭は母親に代わって、壮次郎に真面目に働くように諭す。だが、壮次郎はここぞとばかりに強請にかかる。「お前の素性をすっぱ抜いてもいいんだぞ。お前は曲馬団あがりのあばずれだそうだな。栃木の刑務所に一緒にいた奇術師のおしんが言っていた。おしんは俺の女房なんだ。蛇の道はヘビ。洗いざらいぶちまけるぞ」。

だが、蘭は気丈である。「どうぞ、ぶちまけてください。覚悟はできています」。そう言った後の凄みがすごい。「あたしゃ、曲馬団で鞭一本でトラやライオンを操ってきたんだ。松旭斎のお蘭姐さんとは私のこと。お前なんか簡単に眠らせることができるんだ」。役者が違う。蘭は「お金は私が用立ててあげる。悪い仲間とは手を切って帰ってきなさい」と諭し、壮次郎はすごすごと去って行った。

昭和20年、終戦。小島町の自宅に壮吉が帰ってきた。戦死は誤報で、敵国の捕虜となっていて、ようやく釈放され帰国したのだ。すっかり了見を入れ替えていた「戦争未亡人」の蘭は壮吉に正直に仔細を話すと、壮吉は意外な反応を示す。「僕の女房になってくれないか」。曲馬団あがり、前科者という過去はすでに水に流されている。よくぞここまで、おっかさんを大切にしてくれた、あなたがいないとおっかさんが悲しむ、悲しい思いをこれ以上させたくない。壮吉は感謝の気持ちを述べる。

泣きじゃくる蘭、そっと寄り添う壮吉。この二人の姿を見て喜ぶ母。ハッピーエンドという言葉で片付けることは簡単だが、そこに人間の信じる心の大切さが流れているように思う。十二代目田辺南鶴の素晴らしい創作を曾孫弟子に当たるいちかさんが情愛豊かに読んだ高座に感動した。

配信で「渋谷らくご ふたりらくご」を観ました。三遊亭青森さんが「おせつ徳三郎 刀屋」、田辺いちかさんが「鼓くらべ」だった。

いちかさんの「鼓くらべ」は山本周五郎原作。正月に金沢城で開かれる鼓の比べ打ちで一等賞を獲ろうと意気込んでいたお留伊が庭先で稽古しているのを、毎日のように「良い音だ。聴き惚れた」と言って訪ねる老絵師が実は…。老絵師の遺すメッセージがいつしかお留伊の心に響き、音楽の本当の素晴らしさを教えてくれるのがとても良い。

福井出身だという老絵師は諸国を旅して廻るうちに、「人間の悲しみや苦しみは、人を憎んだり妬んだり、欲に負けたりするところから生じる。互いに労わり、慈悲の心を持つことが大切だ」ということがわかったという。その老絵師が重い病で床に伏せ、「死ぬ前にお留伊さんの鼓の音が聴きたい」と宿はずれの木賃宿松葉屋に来てほしいと遣いの者に言われ、病床を訪ねたときに聞かされた老絵師の「思い出話」を聞いたことで、お留伊が彼の言う「慈悲の心」を知ることになるのが、この読み物の肝だ。

十数年前、金沢で観世六郎兵衛と観世市之亟が鼓比べ打ちの対決をした。市之亟の気合いの凄さで、六郎兵衛の鼓が割れて市之亟が勝った。世間の人はこれを「友割りの鼓」と呼んで、市之亟は大層な評判を取る。だが、その後市之亟は世間から隠れるように姿を消してしまった。そして、自分の鼓を打つ左の利き腕を自ら折って、「二度と鼓は打たぬ」と言ったという。芸術とは人々を楽しませるもの、清く明るく芸を高めるもの、決して相手を負かしたり、自分の欲を満たすためにあるものではない。

老絵師はお留伊に対し、「あなたの音色は清く温かい。鼓比べに出ずとも、立派な囃子方だ。優劣を争うのはおやめなさい。音楽とはもっと美しいものだ」と諭す。そして、お留伊は病床の老絵師に鼓を聴かせて帰宅し、やがて新年を迎えた。

正月の金沢城。加賀前田様の前で鼓比べが開かれた。お留伊はライバルの能登屋のお宇多と対になって演奏をした。お留伊は自信に満ちた音を鳴り響かせた。一方のお宇多は青ざめた必死な表情である。お留伊の脳裏に老絵師の姿が浮かんだ。「あの人が市之亟様だったのだ!」。そう思うと、お留伊の手が止まった。そして、鼓を置いて目を閉じた。師匠の仁右衛門がどうしたのかと問うと、お留伊は「打ち間違えましたの」。誰の耳にも打ち間違いはないと思ったが、再度「打ち間違えましたの」。そう言って、城を後にした。

お留伊は松葉屋に向かった。すると、宿の者が「あの老絵師は今朝ほど亡くなりました」。弔いは明日だという。線香に煙に包まれた老絵師こと「市之亟」の顔は衰え切っていたが、何の苦しみもなく、安らかだった。「目が醒めましたの。色々なことがようやく判りましたの。お目にかかって褒めていただきたかった」。市之亟は微笑むようにお留伊を見ているようだ。お留伊は泣くじゃくり、静まると、涙を拭って鼓を取り出し、奏でた。「お聴きください、お師匠様」。その音色は荘厳な響きをしていたという…。

音楽は優劣を競うためにあるのではない。人々に安らぎや幸せを運ぶ、もっと美しいもの。市之亟がお留伊に遺したメッセージが胸を打った。