早春喜劇「お光とお紺~伊勢音頭 恋の絵双紙」、そして立川談洲ツキイチ落語会「水神」

早春喜劇特別公演「お光とお紺~伊勢音頭 恋の絵双紙~」を観ました。藤山直美と寺島しのぶの共演を楽しみに出掛けた。
紀州熊野の庄屋・平左衛門の養女ウメは村の飢饉を救うために器量の良さもあって伊勢古市の遊郭油屋に売られ、お光を名乗り売れっ子になる。これが寺島しのぶの役だ。平左衛門の実の娘トシは不器量にもかかわらず、ウメと姉妹のように育ったために親の反対を押してウメと一緒に古市へ行く。遊女には不向きだったが、下働きとして油屋で働くうちに目をかけてくれるお大尽がいて、遊女お紺となる。これが藤山直美の役だ。仲良しだったお紺とお光だったが、贔屓客の取り合いで二人の間に溝が生じて…という展開だ。
伊勢の御師・福岡九大夫の養子である貢とお光はお互いに孤児だったという境遇から心が通じ合い、恋仲になる。九大夫が与力と結託して金儲けの計略の手を染めていることを知ると、貢は御師の世界の乱れを正そうと改革を目指す。九大夫らが貢を召し捕るように算段していることを知ったお光はお紺の協力を得て、貢に対してわざと愛想尽かしをして京都に逃げさせようとしたが…。貢は自棄をおこし妖刀青江下坂を手に油屋の座敷に乗り込み、遊女や客たちを襲う…しかし、なぜかハッピーエンドに。頭の中は?マークでいっぱいに。
僕は最初、お紺とお光の友情を軸に展開するストーリーなのかと思っていたが、物語の主眼は福岡貢の動向に置かれ、藤山直美と寺島しのぶの存在感が希薄になってしまって、残念な印象を持った。
今回のお芝居は1987年に小幡欣治氏の脚本で初演され、その後も何度か再演されている「油屋おこん」を浅香哲哉氏が脚色・演出したものだ。87年の初演ではお紺を森光子、お光を草笛光子が演じている。元々は有吉佐和子の新聞連載小説「油屋おこん」が原案なのだが、小幡氏が舞台化の許可を求めたときに有吉は「あれはミカンの小説。自分の著作集にも入れていないので困る」と渋ったそうだ。最終的に「おこんとお鹿の設定を使いたいのであれば、私(有吉)の名前は出さなくていいから、自由におやりになって」と許可が出た経緯があるそうだ。
今回、浅香氏が脚色するにあたって、歌舞伎「伊勢音頭恋寝刃」の要素(福岡貢の件など)を取り入れた。また、「油屋おこん」は悲劇的側面が強い芝居だが、「早春喜劇」として時代劇ラブコメディーを意識したとパンフレットの「脚色・演出にあたって」と題した文章に書いている。この二点が原因で僕が残念な印象を持ったことに繋がっているのではないかと推測できる。有吉佐和子の小説も読んでいないし(読むすべがない)、小幡欣治脚本の「油屋おこん」も観ていないので迂闊には断言できないけれど、コメディーではなく、もっとシリアスな芝居を観たかったというのが偽りのない感想である。
「ふくらぎ~立川談洲ツキイチ落語会」に行きました。「蜜の味」「三方一両損」「水神」の三席。
「蜜の味」。ファーストキスの味をグルメな男女が喩えを言い合う面白さ。レモンはレモンでも国内最高の観音山レモン。千疋屋のクイーンストロベリーパフェ。牛肉と完熟トマトのポアレ。本格中華のあんかけチャーハン。おふくろの味のサバ味噌。互いに負けまいと競うところが愉しい。
「三方一両損」。大岡越前守の裁きにピンとこない吉五郎と金太郎の可笑しさ。一両損の理屈が判らないという意見、ごもっとも。二両の褒美を貰うことを気持ち悪いと言ってしまう江戸っ子の了見が良い。特に財布を拾った金太郎の理屈の方が勝っている。「もし、三両貰いおかば」に、「貰ってないし」。平等に損していると言うが、俺は歩いて財布を拾っただけ。いつ一両損したんですか?最終的に越前守が「しておらん」と認めてしまうところ、痛快だ。
「水神」、菊田一夫原作。杢蔵は女房が他に男を作って逃げてしまったので、三囲神社で赤ん坊を抱いて、貰い乳をしようとしていたが…。そこに全身黒ずくめで肌は抜けるように白い綺麗な女が声を掛けてくれ、乳を与えて赤ん坊を泣き止ませてくれた。その上、良かったら家に来ないかと誘う。女の名はおこう。水神の森にある家で世話になり、やがて杢蔵とおこうは夫婦同様の暮らしを始める。
四年が経ったある日。杢蔵はおこうの寝姿に目をやると、烏のような真っ黒な羽がまとわりついているのを見てしまう。おこうが気づき、「あなたは見てしまいましたね」。自分は人間ではなく、神のお遣い姫の烏だという。あるとき、お遣いに遅れ、紙から罰として人間の姿にされてしまった。五年きちんと勤まったら、また元に戻してやると言われていた。杢蔵が大事にしてくれて、幸せだったが、本当のことを隠しきれなかった。烏として山の中に行かなくていけない。おこうは黒い羽織を「私と思ってくれ」と渡し、「どうぞ、お達者で」と去っていった。
そして、おこうのことは息子の金蔵も大家も長屋の衆も記憶にないと言い、杢蔵だけがいつまでもおこうを忘れることができなかった。金蔵は浅草の呉服商に奉公に入り、やがて大店への婿入りが決まって、若旦那になった。皆は「男手ひとつで育てて偉い」と褒めたが、杢蔵はおこうのお陰だと感謝した。
杢蔵だけがおこうを忘れることができず、水神の森の小屋で独り、烏の木彫りを彫って暮らすようになった。大家が訪ねてきて、「目を覚ませ」と説得するが、杢蔵はおこうに未練を残し、大量の烏の木彫りに囲まれて、湯にも入らず、飯も食わず、ただただ痩せ衰えていった。
そして、おこうに会いにいこうと、形見の黒い羽織を着て、屋根に昇り、飛んだ。杢蔵は空に向かって舞い上がった。そして、おこうに会うことができた。「おこう!久しぶりだな」。
物語は後半、夢なのか現なのか判らない幻想的な世界に入り込む。切なくて、哀しいけれど、どこか美しい。素敵なラブストーリーに思えた。

