講談協会定席 田辺銀冶「新吉原百人斬り 八ツ橋身請け」一龍斎貞花「梅雨小袖昔八丈 婿殺し」

上野広小路亭の講談協会定席初日に行きました。

「なめとこ山の熊」宝井一凛/「山本琢磨」田辺凌天/「日本女医誕生記」宝井琴桜/中入り/「ホタル帰る 特攻隊員とトメ」宝井梅福/「新吉原百人斬り 八ツ橋身請け」田辺銀冶

琴桜先生の「日本女医誕生記」。「女医界の産み親」、荻野吟子、生沢クノ、高橋瑞子の評伝。特に荻野と高橋にスポットを当てていた。

埼玉熊谷の庄屋の娘に生まれた荻野吟子は名主の長男の嫁に入るが、亭主の淋病を移され、離縁されてしまう。順天堂医院に入院したときに受けた屈辱から、「女の医者がいたら」と思い立ち、自分が医者になることを決意する。女に学問は要らないという風潮をものともせず、勉学に励み、御茶ノ水女子師範学校を首席で卒業。下谷の医学校、好寿院で3年間学ぶも、当時の医術開業試験は「男子に限る」という規定があった。

衛生局長の長与専斎に訴えるも、「前例がない」との返答。吟子は古文書を調べ上げ、平安時代に女性の医者がいたという記述を見つけ、長与は折れた。医術開業試験を受験し、4人の女性受験者のうち、たった一人合格を勝ち取った。

高橋瑞子は三河出身、女性が自立する職業として助産婦の道を選んだが、それでは飽き足らなかった。医者になりたい。本郷にある済生学舎に入学を希望するも、「女子の入学は認めない」と門前払いを食らう。毎日門前に立ち、長谷川校長に直談判する機会を待ち、ついに校長はその熱意に負けて入学を許す。だが、男子学生からの嫌がらせは酷かった。長谷川校長はその様子を見て、「誤解や偏見に立ち向かう高橋君を苛めるとは、それでもお前たちは日本男児か」と糾弾した。

明治18年、荻野吟子が第1号の女医になり、本郷に荻野医院を開業。翌19年、生沢クノが第2号、埼玉県内の医療活動に従事した。さらに20年、高橋瑞子が第3号となり、日本橋に高橋医院を開業した。この後、吉岡弥生が東京女子医大の前身である東京女医学校を設立。女医界の育ての親と呼ばれるが、それ以前に三人の「産みの親」がいたことを忘れてはならないと思った。

銀冶先生の「新吉原百人斬り 八ツ橋身請け」。野州佐野の商人、佐野次郎左衛門は幼少の頃に松皮疱瘡に罹り、醜いあばた顔である。八ツ橋花魁を見初めたが、八ツ橋は緋縮緬の長襦袢で寝床に入ると、「ごめんなんし」と言って、背中を向けて寝てしまう。ふられたわけだ。それでも次郎左衛門は諦めずに通い続け、10日が経った。

幇間の紋久と一平がそれを知り、次郎左衛門に「お見立て替え」をするように勧める。八ツ橋には宝生栄之丞という間夫がいる。他にもいい女はいくらでもいる、と。次郎左衛門は「通い続ければきっと振り向いてくれると信じていた。諦めよう。この醜い顔で身の程知らずだった。これからは商いに精を出す」と答える。これで幇間二人は安心したが、次郎左衛門は諦めておらず、独りで八ツ橋の許に通った。三月半ばから十月半ばまで続いた。

ある日、次郎左衛門は意を決して、八ツ橋に話をする。どれだけ金を積んでも、花魁と寝てみたいと思っていた。でも、もう諦めた。嫌われているのは判る。でも、男の意地がある。私には許嫁がいた。沢屋吉左衛門の一人娘のお嶋という女。でも私の顔が嫌で破談になった。尼寺に入ると偽って、実は日本橋の鰯屋の次男坊の嫁になったのだ。悔しくて、見返してやりたいと思った。そんなとき、花魁の道中姿を初めて見た。魂が宙天に飛んだ心持ちになった。

どうだろう。半年だけ、女房になってくれないか。夜は別々でいい。昼間だけ、表を歩くときだけ、女房になってくれ。そして、日本橋界隈を歩く。その後、栄之丞さんとは夫婦になれるように支度をしてあげる。身請けさせてくれないか。

切ない胸の内を打ち明けられ、八ツ橋は思わずホロリとした。嫌われているのを知りつつ通い続けてくれた。栄之丞さんとも一緒になれる。八ツ橋は「わかりました。佐野へお伴します」と答える。次郎左衛門は「栄之丞さんと兄弟の盃のやりとりをしたい」と言い、「半年の小遣い」と言って二十五両を預ける。

八ツ橋がこのことを栄之丞に伝えると、「女郎は売り物、買い物。半年と言わず、一生涯でもあの化け物と一緒になったらいいだろう。金に目が眩んで、そんな甘口に騙されるとは…二十五両?これは手切れ金か?」と栄之丞。八ツ橋は泣きながら袖にすがりつく。「別れるのが嫌なら、そんな話は断れ。二十五両の受け取りは書いたか?書いてないんだな。よし、二十五両は俺が預かる。俺が今夜、化け物に会ってやろう。のさばっていたら恥をかくことを思い知らせてやる」。

次郎左衛門と会う蔦屋の二階の座敷に芸者幇間6人を集める。兄弟盃のやりとりのときに話をもつれさせ、「二十五両なんか受け取っていない」と言って、次郎左衛門の化けの皮を剥がし、「座敷を変えて飲み直そう」と皆で引き揚げて、次郎左衛門に恥をかかせる算段だ。芸者幇間は次郎左衛門に世話になっている義理もある。さあ、どうしようか。栄之丞の酷いやり口は成功するのか。この続きは来週の「銀冶連雀会」で聴くことになっている。楽しみだ。

上野広小路亭の講談協会定席二日目に行きました。

「真柄のお秀」田辺凌天/「大田蜀山人」田辺鶴遊/「お竹如来」神田香織/中入り/「寛永三馬術 曲垣と度々平」一龍斎貞弥/「梅雨小袖昔八丈 婿殺し」一龍斎貞花

貞弥先生の「曲垣と度々平」。四国丸亀の曲垣平九郎の許に、「築後柳川の百姓の倅」だという度々平という男が下郎になりたいと志願してきた。平九郎は「百姓とは偽り、侍だな。曲垣流奥義を盗みに来たな」とは思ったが、あまりにも純朴な男ゆえ、自分が将軍から賜った志津三郎兼氏を「請け人」として引き受けることにするところが、気持ち良い。

度々平が鰻の蒲焼きを買った帰り道に、丸亀藩重役の萩原清左衛門の甥と喧嘩して、平九郎が呼び出されて度々平の首を差し出せと命じられたのを断り、百石を返上して浪人となり、丸亀を立ち退いて度々平と諸国を行脚することにしたのも、お互いに惹かれ合うものがあったのだろう。馬術の名人同士の友情という点において、大変に興味深い読み物だと思う。

貞花先生の「梅雨小袖昔八丈 婿殺し」。白子屋は五百両の持参金目当てに、桑名屋の二番番頭の又四郎を一人娘のお熊の婿に迎えるが、あくまで「持参金目当て」であって、又四郎のことなど相手にしない、寧ろ邪魔者扱いする冷酷さがこの読み物の底辺に流れている。

白子屋の女将お常は玉井玄貞という貧乏医者に金を積み、長患いの主人・庄三郎の診察を依頼するが、それは「毒薬」を手に入れる算段に過ぎなかった。お常が癪を起こしたと言って、玄貞を部屋に呼び込み、色仕掛けで「主人はもうすぐ六十になる。早く楽にしてやりたい」と言う。玄貞はてっきり庄三郎を毒殺して、自分を後添えに迎えたいということなのかとすっかりのぼせあがり、毒薬をお常に渡す。

お常は下男の久助に味噌汁を一人前用意させ、その中に毒薬を入れた。だが、久助はお常が怪しいと思い、湯屋に向かう又四郎にそのことを密告する。又四郎が帰って来ると、お熊が珍しく朝飯の支度をして待っている。「これからは心を改めて給仕する」と言うお熊の言葉を否定するように、又四郎は「腹が痛いから食べない」と拒む。お常は作戦失敗を覚り、「若旦那にお楽しみができたのでしょう。朝飯は捨てておしまい」。大金と色気を使って手に入れた毒薬は無駄になってしまった。

又四郎はお熊が手代の忠七に執心で、俺を婿に迎えたのは金目当てだったのか…と知ると、白子屋に居るのが怖くなる。仲人の加賀屋長兵衛に相談すると、「五百両を取り戻し、離縁できるようにする」と言ってくれた。又四郎はその手筈が整うまで、ゆっくり大山詣りに出掛けることにする。

一方、お常は忠七と人形町のならず者、長次郎と吉郎に五両ずつを渡し、又四郎を追って、隙を見て殺してしまえと命じる。三人は又四郎の後をつける。生麦、神奈川、戸塚、藤沢、そして大山へ。山の中で殺すのは罰が当たるといけないと、大山から降りてくるのを待つ。又四郎は駕籠に乗って、江ノ島に四日、そして鎌倉、金沢八景を見物。さらに川崎大師をお詣りして、羽田の伯父さんのところに立ち寄る。渡し船に乗ったときには、又四郎のほかには忠七、長次郎、吉郎の四人しかいない。又四郎は身の危険を察する。

「大森まではもうすぐですかね」と訊いて、駆け抜けようとしたが、三人は又四郎を殴る、蹴る、散々に痛めつけて、海の中へ放りこんだ。又四郎の懐にあった路銀で品川で遊び、江戸へ戻った。

お常は大喜び。ならず者の二人に十両ずつ渡す。そして、店の帳面を持って、加賀屋長兵衛のところへ。「又四郎が店の金を三百両盗んで逃亡した」と言う。その晩、長兵衛と車力の善八の枕元に又四郎が現れたという。そこで、長兵衛は南町奉行の大岡越前守に訴えて出た…。さあ、どうなるか。四月の広小路亭の定席で貞花先生がいよいよ最終話「お熊市中引き回し」を読むという。楽しみである。