新春談春独演会 立川談春「文七元結」

新春談春独演会に行きました。立川談春師匠が「真田小僧」と「文七元結」の二席。
「文七元結」。長兵衛は江戸で屈指の腕を持っている左官の職人ゆえ、名人気質から博奕にのめり込み、人生をやり損なった人間としか付き合えず、世間を狭くしたという理屈が底辺に流れている。
長兵衛を呼び出した佐野槌の女将が言う言葉に説得力がある。博奕に狂う心持ちがわからないでもない。でも、お前さんはちょいと器に甘えすぎじゃないか。世間はお前さんのことを「名人」と言う。うちの壁を見て、誰の仕事ですかと訊かれ、お前さんの名前を出すと、半分は肯き、半分は驚く。名人になる人なのにね…という驚きだろう。
師匠が死んで、自分で上手くなっていかなくちゃいけない。今のお前さんの腕のようになりたいと思っても、諦めてしまう人がほとんどだ。苛つく。お前は名人になる人なんだ。博奕が面白いのは、下手だからだよ。嬉しい、悔しいを繰り返し、ただ辛いことだけが残る。「日本一」を沈めたがる人がいるのも仕方ない。それが運命(さだめ)なのかもしれない。何十倍、何百倍も苦労はあるだろう。すぐ「あいつは駄目だ」と言われ、逃げてどうするんだい。これだけ「出来る仕事」を続けて、何年やって飽きたと言えるの。飽きたら「商い」じゃなくなる。十分遊んだろう。働きな。
女将はきついことは言わないつもりだったが、長兵衛が「どうにもならない」という顔をしているのを見て、説教することにした。そして、借金はどれくらい溜まっているのかと問い、長兵衛が「五十両です」と答えると大層驚いた。賭場で借りた金が五十両…やはり名人なんだ。博奕の親分がこいつは返してもらえると思ったから貸したのだろう。長兵衛はそれだけ見込まれた、並大抵な腕じゃないと感心する。
長兵衛が来年の大晦日までに返すと約束すると、女将は「じゃあ、もう一年負けて二年待つ」と言う。それは長兵衛に名人になってほしいからだ。その代わり、お久をカタとして預かるという。それは一緒に暮さない方が長兵衛が仕事に打ち込めるという考えもあってのことだという。
辛抱するのは、この子(お久)じゃない。お前なんだよ。また悪い道に容赦なく引きずりこもうする輩が現れる。それに負けて、賭場に出入りしているなんて噂を耳にしたら、この子をその晩から店に出すからね。佐野槌の女将は心の底から長兵衛が名人として社会復帰することを望んでいることがよく伝わってきた。
そして、吾妻橋。五十両を掏られて死んで主人にお詫びをすると考えている文七に対し、その考えは間違っていると必死に説得する長兵衛のやりとりの迫力がすごい。
お前が飛び込んで金が出てくるのか。お前は主人に「申し訳ない」と思っているかもしれないが、世間はそう見ない。どうせ持って逃げたのだろうと言う。お前に五十両という大金の遣いを任せるお店だ、五十両くらいの金で潰れる身代じゃないだろう。ましてや、正直に話せば「死ね」とは言わないだろう。
文七が自分には一両でも融通してくれる友人も、親類もいないと言う。両親は早くに亡くした。自分は十九歳の一人前、親がいたとしても親になんか助けを求められないと頑固だ。すると長兵衛は「自分の息子が困ったときには親というものは命懸けでなんとかしてあげようとするものだ。お前に親はいないかもしれないが、お前が死んで仏になったとき、親はどんな気持ちになるか。甘えるということが、救いになることだってある。親というものは子を一生面倒を見るものなのだ」と諭す。しかし、文七は「そんなのは甘えです!」ときっぱりと言う。
これを聞いて長兵衛は思う。佐野槌の女将が情け深くて、娘のお久が気丈だったお陰で助けてもらえた。だが、神様は酷いことをする。こいつを救うために、俺は五十両もらったのか…これが運命(さだめ)なのか。そして、五十両の入った財布を文七に渡す。「持って行け。生きていてもしょうがないのは俺の方だ」。
「これは俺の娘だ。邪な金じゃない。持って行け!」「そんな金は貰えません!娘さんの一生を何だと思っているんですか!」「俺は腕の良い職人だ。このまま終わるわけがない。五十両、やる。俺は元からやり直す。二年で娘を迎えに行く。お前は五十両を何とかできないだろう?利ざやで稼ぐお前らの商売と違って、俺はてめえでモノを拵えて稼ぐ商売なんだ。何とかなる」。
うちの娘は女郎になっても死ぬわけじゃない。今年十七になる娘が悪い病に罹らぬように、金毘羅様でも御不動様でもいいから、祈ってくれ。お前が思っているほど命は軽くない。死んだ方が楽だけど、皆一生懸命に生きている。生きていく方が辛いんだ。辛い方を選べ!
命の大切さということにとどまらず、「生きることは辛いけど、生きていかなきゃいけない」というメッセージを、長兵衛は文七にだけでなく、自分自身にも言い聞かせている。そこが談春師匠の「文七元結」のすごいところだと思った。

