日本講談協会 徳川天一坊フェス!!「越前閉門」~「網代問答」

配信で「日本講談協会フェス!!」第三部「徳川天一坊フェス!!」を観ました。

「越前閉門」神田鯉風/「閉門破り」神田伯山/「水戸殿登城」神田松鯉/中入り/「天一坊呼び出し」神田阿久鯉/「網代問答」神田愛山

「越前閉門」。天一坊は悪相であるから再調べをしたいと高木伊勢守に申し出る大岡越前守。天一坊は真の御落胤であると認めた大坂城代、京都所司代、老中五人を蔑ろにするのか、と言う松平伊豆守に背くことができない伊勢守は吉宗に対し、「悪相である」「命を懸けて再調べしたい」という越前守の願いの肝心な部分を除いて伝えたために、越前守は閉門を申し渡されてしまう。越前守は屋敷を抜け出して小石川の水戸中納言に目通りして直訴するしかないと考える。

「閉門破り」。越前守の三人の家来、白石治右衛門、池田大助、吉田三五郎は中間に扮装し、越前守は白装束の死人に化けて、閉門を潜り抜ける作戦を立てる。田口千助に「開門願いたい」と門番に願い出て、白石の父親が亡くなったので光雲寺まで運びたいと偽る。白石は善吉、池田は熊吉、吉田は虎と名乗り、人入れ屋の武蔵屋善五郎から派遣されたと言って、何とか門の外に出て、水戸屋敷へ。

どうしても水戸様にお伝えしたきことあり、「天下の一大事。これあり」と述べると、御小姓の山辺主税が応対。山辺は水戸中納言綱條卿に繋ぎ、越前守に面会させる。越前守は「天一坊は険難の相だ。偽物ではあるまいか。徳川の政の危機だ」と訴える。水戸綱條は越前守の眼は「命を懸けた男の眼」だと思い、「安心いたせ。明日、上様のところへ行く。再び吟味ができるよう、この水戸が必ずお頼み申す」と約束し、速やかに南町奉行屋敷に戻るように言う。

山辺主税が同行し、越前守が屋敷に戻れるように水に丸の文字の入った提灯を持ち、「水戸様の言伝がある。水戸の意向に背くと申すか」と脅し、門を開けさせ、越前守一行は無事に屋敷に戻ることができた。

「水戸殿登城」。水戸光圀の兄上は分家して讃岐守となった。そのことを申し訳ないと思った光圀は兄の息子の綱條を養子に迎え、水戸家を継がせたという経緯の説明があったのが親切である。

水戸綱條は病に伏していたが、越前守の思いを大切にし、病を押して江戸城に登城する。明け六つの太鼓とともに平河門から入城した水戸様は「天下の一大事」と伝え、吉宗と対面する。名奉行が命を懸けて再調べを願ったのに、なぜ断ったのかと訊く。天一坊の悪相のこと、越前守が命を懸けていたこと、まるで聞いていない吉宗は高木伊勢守に「どういうことだ?」と詰問した。そして、閉門を許し、越前守に登城して顔を見せるように伝えよと言う。

大岡越前守が三人の公用人を呼び寄せ、まさに切腹しようとしていたそのとき、「上使が参った」の報。高木伊勢守である。「早々に登城いたせ」の沙汰。越前守は登城し、吉宗に対面、「天一坊には人を欺く険難の相あり」と伝える。吉宗は「余の名代として再調べをいたせ。遠慮するな」というお墨付きを与え、越前守は「必ずや正体を暴く」と決意する。

「天一坊呼び出し」。白石治右衛門が品川八山の天一坊の宿を訪ね、南町奉行に出頭するよう命じる。山内伊賀之亮は「取調べは済んだはず」と言うも、白石は「上様の名代として言い付けられた」。これでは参上するしかない。伊賀之亮は「陰謀露見か」と心配するが、鷺を烏と言いくるめると天一坊たちに自信のほどを見せる。

先鋒を命じられた赤川大膳が越前屋敷に着くと、門は締まっており、門番は「潜りから入れ」と言う。この門番は池田大助である。さらに藤井左京、天中坊日進、山内伊賀之亮らが到着するも、やはり「潜りから入れ」という。伊賀之亮の判断で、「御帰還あってしかるべき」。還御!の声をあげ、引き返そうとする。すると池田大助が「帰るとは何事だ!召し捕れ!」。これを見た伊賀之亮は「門番にも一理あり。背くはよくない」と判断を変え、天一坊は駕籠から出て、履物を履いて潜りを通った。

座敷に通されるも、天一坊が座るところがない。伊賀之亮は「御無礼でございましょう」と訴えるが、大岡越前守は「座れ、坊主」と言って身の上を問い始めた。

「網代問答」。天一坊は日蓮宗常楽院の僧侶であると伊賀之亮は答える。越前守が「まだ身分が定まっていないのに、上野宮家と同じ飴色網代の駕籠に乗ってきたのはなぜか。誰に許しを得たのか」と詰問する。伊賀之亮はそもそも徳川家康が京都に匹敵する宮家を江戸に設けるため、東叡山寛永寺を建立した来歴を弁舌鮮やかに述べ、逆に越前守をやりこめてしまう。御落胤の証拠の品である短刀と書付を見せ、「美濃を出て三月、早く父上に会いたいと天一坊は願っている」。

越前守は伊賀之亮との問答に負けたのだ。品川八山に引き返す天一坊一行を見送り、越前守は「おそるべし、伊賀之亮。憎むは天一坊。奴らの正体を暴いてやる」と物思いに耽る。越前守は病気届けを出し、公務を休み、全快するまでと時間稼ぎをして、紀州調べをしようと考えた。早駕籠を飛ばし、白石治右衛門と吉田三五郎に紀州に向かわせた。