津の守講談会 宝井琴星「萱野三平 親子別れ」田辺一乃「安兵衛婿入り」宝井琴調「赤垣源蔵 徳利の別れ」

津の守講談会十二月定席二日目に行きました。きのうに引き続き、赤穂義士伝特集だ。

「谷風の情け相撲」神田ようかん/「柳生十兵衛生い立ち」宝井優星/「和洋料理合戦」神田おりびあ/「水戸黄門漫遊記 釈場の喧嘩」神田伊織/「萱野三平 親子別れ」宝井琴星/中入り/「安兵衛婿入り」田辺一乃/「赤垣源蔵 徳利の別れ」宝井琴調

琴星先生の「萱野三平」。浅野内匠頭刃傷により切腹という報せを国許の播州赤穂の加里屋城に伝えなければいけない。江戸留守居役の堀部弥兵衛は誰を注進役にするかと考えていたところ、萱野三平が名乗りをあげた。そして、副士役には早水藤左衛門が当たることになった。江戸から赤穂へ、650キロを早駕籠で急ぐ大役である。

赤穂目前の兵庫横道まで来たとき、萱野は早水に「故郷の摂津芝村で両親に一目会って戻って来る」と言って、駕籠で待っているようにお願いする。そして、萱野は実家へ向かう。そのとき、下男の治助がいち早く萱野を見つけ、「若旦那様がお戻りになった」と萱野の父・三右衛門に伝える。三右衛門は「母の一念が通じたか」と言って、萱野を迎えるが、それは亡くなった母を棺に入れて菩提寺に運ぶタイミングだった。

母の死を知らされた萱野は驚くが…。三右衛門が棺を見送ってくれと言うと、萱野は「実は…一刻も早く殿様刃傷の件を城代家老の大石様に知らせる役目がある」と言って、見送りを断る。父の三右衛門は「目の前に棺があるのに、お役目と母とどちらが大事なのだ」と詰問する。周囲の者は萱野の立場を理解し、「行かせてあげなさい」と言うが、三右衛門だけは「親不孝者め!」と激怒。しかし、萱野は「父上のことをお願いします」と治助に行って、駕籠に乗って去っていった。

三右衛門はその早駕籠をじっと見つめる。駕籠の中の萱野も「父上、申し訳ございません。幾重にもお詫び申し上げます」と手を合わせた。萱野の脳裏には両親の顔が浮かんで離れなかったのは言うまでもない。そして、兵庫横道で待っていた早水と合流、加里屋城に到着し、大石内蔵助に仔細を注進申し上げた。この萱野三平は忠臣義士には加わっていない。この顛末については、今回の読み物では触れられなかった。またの機会に聴きたいと思う。

一乃先生の「安兵衛婿入り」も今まで聴いてきた型と幾分違って、新鮮だった。堀部弥兵衛の妻とせと娘さきが「良き婿を迎えられますように」と鬼子母神にお詣りした帰りに、高田馬場で果し合いを見たことを弥兵衛に報告する。

六十過ぎの老人が二十数名を相手にするという不釣り合いな勝負。背後から騙し討ちをするという卑怯な手を使われ、老人は討たれてしまった。そこに甥っ子が駆けつけ、あっぱれな活躍をして仇討ちを遂げる。そのとき、娘の投げたしごきを襷にしたことが役立ったと聞き、弥兵衛は喜ぶが、その男の住所、氏名を訊かなかったことを責める。弥兵衛の一本気な性格をよく表している。

だが、出入りの八百屋から「高田馬場の仇討」をしたのは、八丁堀岡崎町の中山安兵衛であることが判る。早速、とせは娘さきを伴って、家主甚兵衛を通じて、安兵衛を婿として迎えたい旨を伝える。堀部家は藤原鎌足を祖先に持ち、三百石取りの武士の家柄であると述べ、「もし願いが叶わぬならば、自害の覚悟」と申し出る。

これに対し、安兵衛はあっさりと「ありがたき幸せ」と喜ぶが、一つ望みがあると言う。「他家の姓を名乗ることはできない。婿入りはするが、中山姓を許してほしい」。これを受けて、弥兵衛は浅野の殿様に願い出て、「一代限りの中山姓」が許されたという…。安兵衛は堀部姓を名乗らないのか…その後の義士伝の整合性をどうするのか。不明のまま終わったので、とても気になった。

琴調先生の「赤垣源蔵」。源蔵が兄の塩山伊左衛門を訪ね、留守だったために、待っていたが寝入ってしまい、目覚めると女中のたけに言って持参の貧乏徳利と湯呑み二つを持って来させる。さらに兄の羽織をわざわざ出して衣紋に掛けさせ、それに向かって、やったりとったり、泣いたり笑ったり。

そこでの思い出話が良い。兄弟で手習をしていたが、草相撲の声が聞こえてきたので、観に行ったために、父親に叱られ、松の木に縛られたこと。女中が可哀想に思い、塩むすびを持ってきてくれて食べたら、母親が「むすびを選ばず、死を選べ」と厳しく怒られたこと。母の膝の上で耳掃除をしてくれて気持ち良かったが、兄上はそのようなことは一度もなかったということ。情景が浮かぶ。

伊左衛門が帰宅して、「源蔵が来た」と知らされると、「会いたかった」。脇坂の殿様が江戸剣術の達人を呼んだとき、その達人は「堀部安兵衛は名が高いが、浅野家は他にも剣の遣い手に達者な者がいる」と言って、赤垣源蔵の名を出し、大層に誇らしかったという。

また、源蔵が酔って、たけに酔い覚めの水を運ばせたとき、躓いて源蔵の肩から袴までが水に濡れた。だが、源蔵は怒りもせず、「これがわしで良かった。もし客人であれば大変な粗相だ。以後、足の運びには十分に気をつけよ」と諭した。あいつは侍の魂を忘れていないと褒めたところも兄弟愛を感じる。

翌朝、赤穂浪士吉良邸討ち入りの報を聞くと、伊左衛門は老僕市爺に忠義の義士に源蔵はいるか、確かめに行かせる。果たして、源蔵の姿はあり、「傷ひとつない。兄上の教えを守り、恥ずかしくない働きをした」と言って、形見の品として襟印、奥方の癪の妙薬、五両の金子、さらに市爺に吉良を見つけたときに鳴らす呼子の笛を渡した。

市爺からこれらの報告を受けた伊左衛門は貧乏徳利の残りの酒と湯吞み二つを持ってこさせ、「改めて飲むぞ。褒めてつかわす」と言って酒を飲む。そして、肴に呼子の笛を市爺に吹かせる。兄弟愛がよく描けた高座だった。