津の守講談会 神田春陽「大高源吾」田辺銀冶「大石妻子別れ」

津の守講談会十二月定席初日に行きました。きょうから三日間は赤穂義士伝特集だ。
「三方ヶ原軍記」神田はるまき/「笹野名槍伝 海賊退治」神田ようかん/「木村又蔵 清正との出会い」一龍斎貞介/「早川鮎之助 序開き」宝井小琴/「大高源吾」神田春陽/中入り/「大石妻子別れ」田辺銀冶/「神崎与五郎 堪忍袋」宝井琴梅
春陽先生の「大高源吾」。雪降る両国橋で煤竹売りをしている大高源吾を宝井其角が見かけて声を掛ける。「子葉先生では?」「ああ、茅場町の宗匠」。浪人をして身過ぎ世過ぎの商いをしていても、雪景色を愛でている源吾を「風流の道は忘れていない」と其角は喜ぶ。其角の「年の瀬や水の流れと人の身は」に対し、源吾は「明日待たるるその宝船」と附けた。
其角はその意味を解さなかった。立派な侍だったが、今は貧乏をしている、宝船を売って儲けようというのか。賤しくなったのものだと思ってしまう。だが、優しい。半纏一枚で寒そうな源吾を見て、風邪をひいてはいけないと自分の着ていた羽織をかけてあげた。可哀想にと思い、これも友情ということだろう。
だが、二人が別れた後、其角は「あの羽織は松浦の隠居から拝領した特別な羽織」ということに気づく。事情を説明しなくては…と帰り道、其角は松浦の旦那の屋敷を訪ねる。そして、其角との再会の話をして、付け句についても話した。松浦の旦那はこれを聞いて、「明日待たるるその宝船」の深い意味に気づく。「わかるか?…きょうは何日(いっか)じゃ?」。この句については誰にも話していないと聞いて、旦那は安心し、「この句は預かりおく」と言って、上機嫌で其角に酒と馳走を振舞った。松浦の旦那も人物である。
其角は帰宅しても、まだあの句の意味が判らない。考えを巡らせているうちに、寝入ってしまった。翌朝、兄弟弟子たちが土屋主税の屋敷である句会に行くべく、迎えに来た。土屋様の屋敷…吉良邸の隣…きょうは十四日。松の廊下の刃傷が元禄十四年三月十四日。明日待たるる…わかった!
句会が終わった後、土屋主税が「今宵は泊まっていけ」と言うので、其角は「表門に近いところに床を延べてください」と頼む。果たして、播州赤穂浪士が土屋の門を叩く。それは中村勘助と大高源吾だった。其角が叫ぶ。「子葉先生!餞に句を贈ります」。我がものと思えば軽し笠の雪。これに源吾が返す。日の恩やたちまち砕く厚氷。さらに其角が返す。月雪やなかば命の捨てどころ。兎角武骨を思わせる赤穂義士であるが、風流の道も嗜む大高源吾に深く共感する読み物である。
銀冶先生の「大石妻子別れ」。敵を欺くためには母親や妻子にも虚偽を貫かなくてはいけなかった大石内蔵助の胸中を思う。高円太夫を身請けして、自分の家に妻とともに暮らさせるという発想は、当然妻りくや実母の反感を買うことを予想しての言動だったのだろう。
「高円には家事一切はさせず、自分の酒の相手や寝間の伽をさせる。高円を姉と敬い、りくは妹に徹しろ。そして、襦袢の一枚でも洗い、肩の垢を流してやれ」。これが我が夫、内蔵助の酔った上での戯言ではなく、本心なのか。りくは離縁を申し出て、三行半を書くように願い出る。
内蔵助の実母も「狐女郎に騙され、離縁とは」と嘆き、「仇討実行のための計略かと思ったが、本心か」と呆れて、嫁のりくに同行する旨を伝える。息子の吉千代と大三郎も母親の実家で、祖父の石束源五兵衛がいる豊岡に一緒に行きたいという。これに対し、内蔵助は「昔は母を棄てる姥捨山があった」とか「種は良けれど、畑が悪かったのか、カボチャができた」と罵詈雑言を吐く。心にもないことを言わねばならない内蔵助の心中いかばかりか。
内蔵助は寺坂吉右衛門に、但馬豊岡に行く駕籠を用意させ、石束老人に宛てた手紙を託す。「心中よしなにご賢察を」という言葉を添えてくれと言って。これを読んだ源五兵衛は「内蔵助の本心」を理解するところが美しい。十八で嫁入りしたのに、四十になって「家風に合わぬ」と離縁された妻りくに対し、「一つだけお願いがある。内蔵助の噂はなさぬよう」と釘を刺すところは流石だ。
そして、元禄十五年極月十四日。赤穂浪士四十七名が見事に吉良邸討ち入りに成功し、仇討本懐を遂げたことが、寺坂吉右衛門が豊岡に持参した書面によって知らされる。実母は「倅の本心を知らず、恥ずかしい。仇を討ってくれたのか」と喜び、妻りくも「離縁しても最後まで妻」という一文に涙を流した。そして、寺坂が討ち入りの仔細を語り聞かせるところは、銀冶先生、素晴らしかった。うっとりした。見事な高座だった。


