【アナザーストーリーズ】「上を向いて歩こう」~全米No.1の衝撃~

NHK―BSで「アナザーストーリーズ 『上を向いて歩こう』~全米No.1の衝撃~」を観ました。
坂本九の歌う「上を向いて歩こう」が、アメリカで「SUKIYAKI」というタイトルでビルボード誌1位を獲得したのが、1963年6月15日である。以後、世界60か国でカバーされ、1300万枚を売り上げるヒット曲となった。
戦後のロカビリーブームに乗って、エルヴィス・プレスリーの物真似をしてクラスの人気者だった坂本九は高校在学中に井上ひろしとドリフターズのバンドボーイとして加入。人懐っこい性格はバンドのマスコット的存在になった。マネージャーの曲直瀬信子は「歌手としては異端だった」と振り返る。歌うと音程が取れない、バイブレーションがついてしまう。だが、そのコミカルなキャラクターがテレビに出演すると、たちまちお茶の間の人気者になり、「勝手口のスター」と呼ばれた。
彼に注目したのが、作曲家の中村八大だ。ニューヨークでジミー・ジョーンズやコニー・フランシスを観た中村は当時の日本の音楽界に物足りなさを感じていた。もっと自由でいい。坂本にはニッコリ笑う顔にセンチメンタルを感じ、オリジナルのポップスを歌わせたいと思った。マネージャーの曲直瀬は条件として、「坂本の親しみを生かしてくれる人に作詞をお願いしたい」。
即座に中村は永六輔を指名した。その頃の永はテレビやCMの放送作家として売れ始めていた。60年安保闘争の挫折感を歌にこめた。上を向いて歩こう、涙がこぼれないように。中村八大リサイタルの当日の朝に譜面は出来上がった。19歳の坂本は初めて「上を向いて歩こう」を歌った。共演者の間で「これはいい」と話題になった。
NHKのバラエティー「夢であいましょう」の中で坂本が歌う「上を向いて歩こう」が流れると、視聴者からの問い合わせが1万件を超えたという。この曲の魅力を音楽家の大友良英が分析した。上を向いて歩こう~の「う」、つまり1拍目にアクセントを置いて譜面が書かれている。しかし、我々の知っている曲は「うえを」の「え」、つまり2拍目にアクセントがある。裏から入る。これはリハーサルで変えたものだろう。そして、裏声の効かせ方。サビの部分、幸せは~と堂々と入る。当時のアメリカのポップスの手法を採り入れたことにカギがあるのだ。
坂本九は後年、こう語っている。「いままでうたったどの歌よりもボクの心に深くくいこんでくる歌だった」。テレビでオンエアされた後にレコードは発売され、3ヶ月間で30万枚のヒットを記録した。そして、2年後にある報せが入る。アメリカで「サカキキュウのスキヤキ」がヒットしている、と。坂本はロサンゼルス空港に到着すると、3千人のファンの大歓迎を受けた。
アメリカ・カリフォルニア州の片田舎のラジオ局KYNOの人気DJサム・シュアンが「上を向いて歩こう」の日本盤を手に入れ、「これは絶対受ける」とラジオで流すと、リクエストの電話が殺到したという。それは、19世紀末に移民してきた日系人の心に響いたのだった。真珠湾攻撃で開戦すると、日本はアメリカの敵になった。日系人は不当な扱いを受け、自分たちのアイデンティティはどこにあるのか、戦争が終わっても苦渋していた。自分たちにとって、心の歌はシュープリームスやエルヴィスではなかった。そこに「上を向いて歩こう」が流れてきたのだ。
大手レコード会社のプロデューサー、デイブ・デクター・ジュニアはこの歌を発売することを決定する。戦後の1945~50年にかけて日本に駐在し、退役軍人となって帰国した中産階級の世代に郷愁を呼び起こし、ヒットすると確信したのだった。それゆえ、日本食で馴染み深いスキヤキをタイトルにしたのだった。全米一の人気番組「スティーブ・アラン・ショー」に坂本が出演し、「上を向いて歩こう」を熱唱。日系人の心を震わせた。
日系三世のデイビッド・マス・マスモトは当時9歳だったが、自分の祖母が涙を流してこの曲を聴いているのを覚えているという。「歌詞の喪失感、葛藤も共感できた。我慢して、頑張って、愛を慈しむ。それが僕らにとってのSUKIYAKIなんです」。
そして、その17年後に黒人デュオのテイスト・オブ・ハニーのジャニス・マリー・ジョンソンが「スキヤキ´81」をリリースする。1970年代の後半のディスコブームによって脚光を浴びた黒人音楽。彼女はグラミー賞で最優秀新人賞を受賞した。ロサンゼルス郊外で貧乏で不遇な子ども時代を過ごしたジャニスは学校で孤独感に苛まれているときに、「SUKIYAKI」に出会った。「素晴らしいメロディー!」と感激した彼女は母親にねだってクリスマスプレゼントにレコードを買ってもらい、擦り切れるほど聞いた。辛い現実があっても、全く違う自分になれたと振り返る。
歌手を目指し、グループを結成し、最優秀新人賞を受賞した。だが、ディスコブームが終焉を迎え、ギアチェンジする必要があった。そのときに思い出したのが「SUKIYAKI」だった。メロディーに自分の人生を重ねた英語の詞を書いた。全部あなたのせいよ、悲しくてブルーなのは。あなたが行ってしまって、毎日が雨降りのよう。恋人へのラブソングにした。レコード会社の反対を押し切り、アルバムの最後に加えた。シングルカットすると、ロングヒットとなり、ビルボード3位を獲得した。来日したときに、憧れの坂本九に会い、一緒に撮った写真は今も宝物だという。
坂本九はその後、歌手というよりもエンターテイナーとして活躍した。そこには葛藤もあったという。中村八大と永六輔によるコンサートが渋谷の小さな劇場で開かれ、坂本も出演した。そのときに「もう一度、歌いたい」と言っていたそうだ。だが、その5日後、1985年8月12日。日本航空123便墜落事故によって、坂本は天国に召された。
だが、歌は人々の中で生き続けている。1995年の阪神淡路大震災、2011年の東日本大震災。皆が声を合わせて「上を向いて歩こう」を歌った。柏木由紀子夫人の許には「坂本九さんが励ましてくれる」という手紙が届くという。夫人は「逆にそういう方々に私が励まされる」と語る。
「上を向いて歩こう」には、わたし、あなたといった主語がない。聴く人によって、受け取り方や意味が変わる。それがこの曲の最大の魅力なのかもしれない。