春くらべ 春風亭柳枝「景清」立川小春志「死神」

「春くらべ~春風亭柳枝・立川小春志二人会」に行きました。柳枝師匠が「景清」と「堪忍袋」、小春志師匠が「死神」と「目黒のさんま」だった。開口一番は立川幸路さんで「転失気」だった。

柳枝師匠の「景清」。この噺の主人公は勿論、定次郎だろうが、石田の旦那が重要人物だと僕は思う。江戸で一番の腕を持つ木彫り師だった定次郎が失明し、思うようなものを彫れなくなってしまった。定次郎は勿論悔しいが、石田の旦那も残念でならない。だからこそ、仲町の良庵先生が匙を投げ、赤坂の日朝様の願掛けも叶わなかったと聞いて、上野の清水観音への日参を勧める。百日が駄目なら二百日、それでも駄目なら三百日、と根気強く信心しろと諭す。

後世に名を残すモノを彫ってほしい。目が明きさえすれば必ず定次郎は良い仕事をする。そう信じているからこそ、石田の旦那は自棄をおこさずに信心しなさいと熱く語った。だが、百日目のお参りでも願は叶わなかった。定次郎は赤飯を炊いて自分の目が明くのを心待ちにしている母親の気持ちを不憫に思い、「死んでやる!」と叫ぶ。これを聞いた石田の旦那はこの母子の今後一切の面倒を見るとまで言った。

ここまで石田の旦那を描いておきながら、雷雨に遭うと旦那は気絶した定次郎を置いてあっさり一人で去ってしまう。その後、正気に戻った定次郎が自分の目が明いたことを喜び、後日母親を連れて御礼参りしたというおめでたい噺です、で終わるのは尻切れトンボに感じるのは僕だけだろうか。石田の旦那はどこへ行ってしまったのだろう。定次郎は石田の旦那に御礼をしたのか。そして、木彫り職人として成功したのか。後日談がほしいなあという感想を持った。

小春志師匠の「死神」。主人公が金に目が眩んで、「枕元の死神には手を出さない」という死神との約束を破ってしまった。そのために大金と引き換えに自分の寿命を短くしてしまい、生涯を終える。この「死神」という噺は、単純かもしれないが、「お金なんかより命の方が大切」という至極シンプルなメッセージだと僕は思っている。

だが、小春志師匠の高座は最終盤でこれを大きく超えるメッセージを僕に与えてくれた。短くなった蝋燭を前に、命乞いをする男。「調子に乗り過ぎた、これからは人のために生きたい」と反省し、了見を入れ替えることを死神に訴える。死神はこれに心を動かされ、新しい蝋燭を渡す。そして、男は見事にその蝋燭に火を移すことに成功する。

死神は「それは俺の蝋燭なんだ。じゃあな」と言って、消える。一人になった男は出口がどこかも判らない。だが、必死に風を読み、暗闇の中を探り探り、何日もかけて穴から地上に出ることができた。「助かった。ここから俺は生きるんだ」と思い、ふと水溜まりを覗くと、死神そっくりの自分の姿がそこに映っていることに気づく。

「これからというときに…俺は誰にも見えないのか。畜生!」。すると、目の前に死にたがっている男が現れる。新しく死神になった男は言う。「良い死に方を教えてやろうか」…。輪廻転生ということか。深い「死神」に出逢った。