立川吉笑真打昇進披露興行IN高円寺 九日目「床女坊」

「立川吉笑真打昇進披露興行IN高円寺」九日目に行きました。
「芋俵」立川笑えもん/「勘定板」立川平林/「アナザーラベル」立川志の春/「反対俥」立川キウイ/漫才 家族チャーハン/「人生が二度あれば」春風亭昇太/中入り/口上/「看板のピン」立川談笑/バイオリン漫談 マグナム小林/「床女坊」立川吉笑
昇太師匠の口上。僕が新作を作り始めた頃は「新作をやる奴は古典をできない奴」といわれた時代だった。しかし、今は違う。これも僕たちが頑張って来たお陰です。その流れの中に吉笑さんもいる。吉笑さんは良い落語を作っている。これからも作り続けてほしい。僕は新作派だと誇って言い続けたいから。
現代はコンプライアンスがどんどん喧しくなっていて、演じることが出来なくなっている噺が増えている。いわば、「現代の禁演落語」。そのためにも、新しい落語をどんどん作っていかなくちゃいけない。そういう意味でも吉笑さんを応援していただきたいとエールを送った。
談笑師匠の口上。“新作落語の巨人”円丈師匠の薫陶を受けて新作落語の価値を高めていったのが昇太師匠たちであり、「新作の芸協」の会長にこうして口上に並んでもらっていることに感動している、と。一緒にプーク人形劇場で新作落語の会をやっていた頃と空気が明らかに時代は違いますよね?と昇太師匠に訊く。
昇太師匠いわく、僕は寄席のお客に向けて演じることが多いから、切り込んだマニアックなネタよりも、幅広いお客に受けるネタになってしまう。その点、吉笑さんはマニアックネタも、幅広いネタも両方作れるのがすごいと評価した。
そして、今や古典も新作も区別がない、お客に受ける落語をやることを第一に皆が考えるようになった。新作だからすごい、古典の方が素晴らしいと言い争っている時代じゃない、と。そりゃあ、自分で作った落語が受けた方が嬉しいけれど、時代にそぐう古典が減っていくのは確実。芸人が自分のネタ、新しいネタで受けたいと思うのは当然の欲求だ。僕がSWAの第1回目で「これからは我々がスタンダードになる」と宣言したのは、我ながら名言だと思う、と。そして吉笑さんたちがさらに新しいスタンダードを切り拓いていってほしいと期待した。
吉笑師匠の「床女坊」。数学が得意科目だった吉笑師匠らしい、「場合分け」をテーマにした落語は唯一無二だ。お嬢様と床屋と坊主の三人が舟で向こう岸に渡りたいと船頭に頼む。しかし、舟は二人乗り、船頭と客一人しか乗せられない。
その上、床屋とお嬢様が二人きりになると床屋はお嬢様を丸坊主にしてしまう。また、坊主とお嬢様が二人きりになると坊主はお嬢様を口説きはじめてしまう。これを踏まえた上で三人を無事に向こう岸に渡すにはどうすればいいか。船頭の「なぜ、この三人で旅をしているか」という素朴な疑問が可笑しい。
船頭は得意の場合分けで、お嬢様を一旦向こう岸に渡すが、もう一度お嬢様を戻すという一見無駄に思える方策を取って、四手で無事三人を向こう岸に渡すことができることが判った。ところが、お嬢様が「坊主は太っているので、重量オーバーするのではないか」と言い出し、実際に坊主を乗せると舟が沈むことが判った。そこで、坊主と床屋には船頭の手を借りずに一人で漕ぐという方策を考えだし、五手で問題は解決するかに見えた。
ところが…床屋はオオカミ、お嬢様はヤギを連れて旅をしている。人が見ていないとオオカミはヤギを食い殺し、また坊主一人だとオオカミを殺してしまうという難題が持ち上がった。①お嬢さん②オオカミ③ヤギ④床屋、お嬢さん戻す⑤坊主一人、床屋とオオカミを戻す…。
場合分けがうまくいくかと思ったところで、新たな難題が持ち上がり、さらに場合分けで解決するかと思ったら、また新たな難題が持ち上がり…数学の証明問題を必死に解いていた学生時代を思い出す。吉笑師匠にしか作れないであろう切り口の鋭い傑作落語に改めて感服した。