志の輔らくご in PARCO「神子原米」

志の輔らくご in PARCOに行きました。「みどりの窓口」「神子原米」「文七元結」の三席。

「神子原米」はノンフィクションの新作落語ネタおろしだ。志の輔らくごのパルコ公演は1996年からスタートしたが、当時は暮れに開催されていた。それが、2002年から正月の1カ月公演をするようになった。いわば2025年はパルコ公演30年目の節目の年だ。

2001年の正月、志の輔師匠は全国各地で独演会をやっていたわけだが、その一つとして、石川県羽咋(はくい)市にある「宇宙科学館コスモアイル羽咋」にある900人のホールで独演会をおこなった。この施設の自慢は本物(レプリカではない)の宇宙に関する展示が多くされていることで、中にはNASAから借りたロケットもあるそうだ。

当時、担当職員のタカノさんが案内をしてくれて、どうしてこのような施設を作ったかを説明された。その経緯が面白い。地元の気多神社に“そうはちぼん伝説”というのがあって、古文書も残っている。誤解を恐れずに簡単に言ってしまうと、この地区にUFOがやって来る、つまり宇宙基地がこの地にあるということが書かれている。タカノさんは強く信じた。当時は竹下首相の「ふるさと創生」が叫ばれていた時期で、これで町おこしができないかと考えた。全国のマスメディアに資料を一方的にファックスで送り、少し関心を持ってもらえるようになった。

決め手となったのは、「週刊プレイボーイ」の記者を招き、この土地には「UFOうどん」なる食べ物があるほど、UFOで盛り上がっているのだということ、史実として気多神社にある古文書も見せて、これは「特ダネ」だと熱心に説得した。すると、「週刊プレイボーイ」は6ページにもわたる特集を組んで、「UFOの町・羽咋」が世の中に知れ渡った。1990年にはUFOシンポジウムなるものも開催され、世界各地から4万3千人が集まり、ブームを呼ぶ。日本政府は50億円の補助金を出し、この宇宙科学館が建った。町おこしは成功した。

タカノさんは臨時職員だったが、この実績が認められ、正職員に採用された。だが、役所の上司たちからは「何でも勝手に独断で物事を進めてしまう」という、このタカノさんのやり方への反発も大きかった。結果、専門外である農林水産課に配属されることになる。担当は神子原(みこはら)地区だ。

神子原には世界農業遺産に指定されるほどの棚田があり、そこで収穫される「神子原米」は無農薬米として知る人ぞ知る特産品があった。だが、いわゆる限界集落で、過疎化が進み、移住者を募集しても「一時金目当て」ですぐに出て行ってしまう。新任のタカノさんはこの地区の人々から「村納め」に来たと思われた。

折角、「神子原米」があるのだから、それをPRすればいいと訴えるタカノさんに対し、「農協が決める米の価格では食っていけない」と村人は嘆く。「自主流通米として売り出せば」という提案にも、「スポンサーがしっかりついていないと成功しない。私たちにはその力がない」。「有名な人に食べてもらえば」と言うも、「広告料がかかる…いっそ天皇陛下に食べてもらえばといつも我々は笑って終わっちゃうんです」と諦めている。

タカノさんは動く。加賀藩十八代当主の前田利祐さんが宮内庁にいるはず…宮内庁に出向いて、熱く語って、理解してもらうも、後日「なかったことにしてください」と市役所に連絡が入った。上司は「また勝手なことを!」と怒り心頭だ。

タカノさんは数日間の休暇を取った。久しぶりに神子原地区に行くと、「何をしていたのか?」と問われる。「実は手紙を書いていたのです。これでいいか、あれでいいか、あれこれ悩んでいたら何日も経ってしまった」「どこへ手紙を書いたのですか?」「バチカン市国のローマ法王へ」。一同は驚愕した。神子原米をローマ法王に売り込んだと、タカノさんは言うのだ。

市役所の上司は「タカノを呼べ!」。いつも勝手な行動をするタカノさんへのお決まりの台詞だ。しかし、今度は若干違った。「ローマ法王から返信がきた。美味しくいただきました。聖なる米を作られる方に祈りを捧げますと」。タカノさんはすでにその手紙を先に呼んでいて、そのコピーをマスコミに送っていた。そして、このことはロイター通信を経て、世界中に知れ渡り、市役所には問い合わせの電話が鳴り続いているという。

このことがあって、神子原米を自主流通米として売る会社を立ち上げ、それは見事に成功した。「1%の可能性があるなら、何もやらないのは愚策である。『役人』の役は『役に立つ』の役だ」。タカノさんは自分の信念を曲げずに、見事なアイデアで限界集落に活気を取り戻すことに成功した。事実は小説より奇なり。能登を応援する素敵な新作落語が誕生した。

「文七元結」。佐野槌の女将が長兵衛に言う言葉が滲みる。この娘が言うんだよ、私をいくらかで買ってくれないでしょうか、父が博奕に狂い、借金の山をこしらえ、母に乱暴を働くのです。聞いているのかい!長兵衛さん!何で博奕なんかをするようになったんだい?腕の悪い職人じゃない、腕のある職人が何だって博奕なんかに手を染めたんだい?

長兵衛は答える。最初は面白いからやってみないかと誘われた、面白いように儲かる、だけどあるときを境に崩れていく音がするくらいに目が出なくなる。博奕の借金は博奕で返そうと思ったのが、このザマです。

女将は長兵衛に博奕をやめる気持ちがあるのかを確認してから、50両あればどうにか抜け出せると聞き、貸すことにする。元々通りに一生懸命に左官の職人として働くことを約束させて、「来年の大晦日」と期限を作る。一日でも返済が過ぎたり、また博奕に手を出したという噂を聞いたりしたら鬼になる。娘のお久を店に出す。このまま娘をつれて帰るかい?50両借りるかい?お前さんが決めなさい!

長兵衛はお久に礼を言って、50両を受け取る。お久、ありがとう。目が覚めたよ。博奕をやめる。辛抱しておくれ。俺が本気を出して働けば、50両なんてすぐに返せる。待っていておくれ。必ず迎えに来るからな。長兵衛の決意は本物であることがわかる。

そして、吾妻橋。50両を盗られたから大川へ身投げするという文七を何度も説得する長兵衛に男の優しさを感じる。50両は川へ飛び込んでも戻ってこない、店へ戻って旦那に事情を話して、生涯働け。旦那にはとてもそんなことは言えない、頼りになる親も友達もいない、だから身投げすると頑固な文七に手を焼く。

50両ないと、どうしても死ぬのか?決めたのか?…もう一遍訊くぞ。どうしても死ぬのか?俺の顔を見て答えろ…よーし、わかった。俺が死ぬ。しょうがない。50両持って行け!(見ず知らずの方からそんな大金もらえません)お前が死ぬというから、出したんだよ!こんな格好している俺が50両持っているわけないと思うだろう。あるわけないはずの50両をなぜか持っているんだよ!

汚い金じゃないぞ。変な疑いをかけられるのは嫌だから、言わせてもらう。俺は職人だ、左官だ。博奕に狂って、どうにもこうにもならない深みにはまった。それを今年十七になる娘のお久が自分の方から吉原の佐野槌に身を沈めて拵えた50両なんだ。

お前にこの50両を渡したら、〆て100両の借金。俺は死んだも同然だ。だが、お前はその若さで死んじゃあ駄目だ。娘のお久も吉原で客を取るだろうが、死にはしない。お前は死ぬと言うから、やるんだ。申し訳ないと思ったら、娘がどうぞ悪い病に罹らないように、金毘羅様でもお不動様でもいいから、毎日拝んでくれ。

そう言って、50両を文七に投げつけて去って行く長兵衛。「命を大切にしなくちゃいけない」。これぞ江戸っ子という気質を見せてくれた高座だった。