壽初春大歌舞伎「熊谷陣屋」

壽初春大歌舞伎夜の部に行きました。「一谷嫩軍記 熊谷陣屋」「二人椀久」「大富豪同心」の三演目。

「熊谷陣屋」。熊谷次郎直実が我が子の小次郎を身代りにして、平敦盛を討ったとする胸中に思いを馳せる。義経が「一枝を伐らば一指を剪るべし」と言う制札を立て、後白河院の御落胤である敦盛を敵でありながら、救うように暗に命じた。その意向を察した直実が小次郎を身代りに仕立てた。それゆえ、首実検の際に義経は小次郎の首を「敦盛の首に相違ない」と認めた。源氏方の武将である直実は上司である義経に忠実だったといえる。だが、直実にはそれ以上の思いがあったのだと思う。

直実が勤番の武士として都に仕えていたとき、藤の方に仕えていた相模と恋仲になり、相模は小次郎を身籠った。本来ならば不義の罪で捕らえられるところ、藤の方の恩情で二人はお咎めがなく済んだ。その後に藤の方は敦盛を出産した。直実および相模の夫婦は藤の方に恩義を感じていたからこそ、敦盛を救わなければいけないと思ったのではないか。

そして、敦盛を助けるために、義経は白毫の弥陀六を呼び止める。この弥陀六は実は平宗清であることを見抜いていた。平治の乱の際に頼朝や義経を救ってくれた人物だ。亡き平重盛の命に従って石屋に身をやつし、一門の菩提を弔うために石塔を立てていたという宗清に対し、義経は用意していた鎧櫃を渡す。中には敦盛の姿があった。宗清は義経と直実の配慮に感謝する。義経もまた、昔の恩を忘れない人物なのだ。

それにしても、直実の胸中である。我が子を身代りとして討ち、世の無常と悲哀を感じた直実は義経から暇乞いを許され、黒染の衣を身に纏い、剃髪した僧侶の形になり、小次郎の菩提を弔う旅に出る…。

直実を初演した尾上松緑はこれまでもオファーはあったが、辞退してきたそうだ。今年で五十歳になることもあり、祖父の二世松緑に所縁のこの役を祖父に倣って大事に勤めたいと語っている。

義経を演じた中村芝翫は、敦盛を救いたいが命令として熊谷にやらせるわけではないので、押しつけがましくなってはいけないと語っている。「一枝伐らば…」は、あくまでも「ほのめかし」である。そこを直実がどう受け取るか。芝居のしどころだろう。

藤の方を演じた中村雀右衛門は、「複雑な心情を胸に秘めたお役」と語る。敦盛が合戦で討たれたと聞き、熊谷に斬りかかる。そして、悲しみに耽るうち、殺されたのは自分の子ではなく、かつて自分が窮地を救った相模と熊谷の子と知る。訪れる「別の悲しみと感謝の気持ち」、表現が難しい役だ。

弥陀六を演じた中村歌六。自分が幼い義経を助けたために平家の没落を招いたと自責の念にかられていた。それが、義経から敦盛を託される。世を捨てて出家する熊谷と対照的な存在。「この芝居は反戦劇だ。世界に平和が訪れることを祈っている」というコメントが印象的だ。